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SDGsのある生活

持続可能な開発目標(以下SDGs)に取り組まない企業や個人は、この先、どうなっても文句は言えないことになるだろう。
とはいえ、今すぐに生活や仕事を変えるにはハードルが高すぎる。
まずは「私たちにできること」を考えることが大切で、「考える」という行為はずっと続き、終わることはない。
行動する前に「考える」ことが大切なのだ。
そうでないと、自分が良かれと思ってしたことが、実は、立場を変えると環境や相手方に大変な損害を与えることになりかねない。
やってからでは遅いのである。
「そんなことを言っている間に環境はどんどん悪くなり、紛争は絶えず子供たちの命を脅かすではないか?」と批判されることを承知で私は言っている。
変な言い方になるが、「今さら、遅い」のである。もはや性急に事を運んでも、どうにもならないのである。
だからこそ、じっくり腰を据えて考えて行かねばならないのである。
達成されるまでの、ある程度の犠牲はやむを得ないだろう。SDGsは万能ではない。むしろ人類の「浅知恵」に過ぎないからだ。
しかし、やらねばならないのである。
ジレンマと言われてもやらねば、地球は痛くも痒くもなかろうが、人類の明日はない。
地球の45億年の歴史の中で、今、地球は極めて穏やかな「人生」を送っている。太古の燃え盛る誕生の時の地球の方が環境は劣悪だったはずだから。
環境破壊や殺戮は人類の身勝手であり、それを改善しようとするSDGsもまた人類の身勝手なのだ。

その前提を理解して、私たちは自らの未来を良いものにするために、いま熟慮の時が来ているのである。
その方法論が、国際社会で紆余曲折の末、決定された17の目標(SDGs)だ。
アメリカのトランプ前大統領が、ルイジアナ州のメキシコ湾岸油田地域の住民に対して「バイデン次期大統領候補は環境問題を推進する立場で石油産業を締め出し、あなたがた油田で働く者から仕事を奪うつもりだ」と煽ったのは、つい昨年のことだった。
SDGsの立場からは、石油などの化石燃料の消費は減らしてゆかねばならないのである。
化石燃料は何億年も前に固定化された炭素であり、地球の表面、つまり私たちの生活圏で完結している炭素の循環から外れているために、化石燃料を燃やすと、大量に太古の二酸化炭素が大気中に放出されて、不可逆な地球温暖化を進めてしまうからだ。
このような莫大な二酸化炭素の放出は、地球上の植物や海洋で吸収できる量をはるかに超えている。
と、科学が示すのはざっとこんな内容だろう。

これを、今現在、石油産業で食べている人々に説いても、反発を食らうのが正直なところだ。
SDGs推進の難しいところはこういうところだ。
立場の違いを乗り越えることは、容易ではない。決してしてはいけないのは、暴力で「正義を貫く」ことだ。
つまるところ教育しかないのであって、また具体的な対案を提示して説得することなのだ。
クルマ社会が変わろうとしている。
化石燃料を使わずに、電気でクルマを動かそうという試みで、中国がかなり先を行っていることになっているが、私はどの程度進んでいるのかは知らない。
再生可能な発電でつくった電気を利用するのであれば、まったくSDGsにかなっており、期待できるのだが、社会の構造も変えてしまい、価値までも変えてしまう。
要するに、この変動から弾き飛ばされたり、こぼれ落ちる人々がいるということだ。
先に述べた石油業界で生活を立てている人々である。
SDGsの17の目標に通底している「だれ一人取りこぼさない」というメインテーマがある。
石油業界や油田で生活を立てている人々を、「もういりません」と切り捨ててしまってはSDGsの理念を損ない、やる意味も無くなるのである。
石油や石炭、オイルシェールなどの、まだまだ安く使える化石燃料があり、これを容易く廃止することのリスクは小さくない。
物流のインフラではディーゼルエンジンが主流であり、船舶や貨物自動車を電化することは今のところ物流のコストアップにつながって、社会が停滞しかねない。
陸路の長距離輸送を鉄道に頼れば、いくらかは環境負荷を軽減できるだろう。
ハブーハブ間を鉄道で結び、ハブ(駅拠点)から電気自動車で各家庭に物を流すというプランは、実効性のあるものだ。
すると、油田や炭田、ガス田で働く人々の仕事をどう転換させ、生活レベルを維持させることができるかを考えるのがSDGsの仕事なのではあるまいか?
ガソリンスタンドは減少傾向にあり、電気自動車用充電設備(無人)が普及していくだろうから、もはやタンクローリーの運転手もガソリンスタンドの要員も廃業になる。
そういった仕事に携わっていた人々を取りこぼさないことがSDGsの理念である。
石油元売り会社はエネルギー全般を取り扱う総合商社に変身していっている。
巨大なタンカーを保有する船会社も、ばら積み船などの多様な船の所有に転換するだろうし、船の動力もディーゼルやガスタービンエンジンから、風力やハイブリッド化された新しい動力に移行するにちがいない。
資力のある会社はそうやって生き残るが、個人はリストラクチャリングの波に飲まれて、職を失いかねない。
SDGsは国家単位でも動かせるので、行政が業界再編に力を貸して、新たな職を提供できる下地を作る努力を惜しんではいけない。
それは急いでどうかなるものでもないので、まずは啓蒙、教育からじっくり始めなければ人は動かないのである。
企業には社会的責任も重くのしかかるのである。
会社は従業員を辞めさせずに、彼らの仕事の転換を図っていくのだし、協力会社にも構造を変えてもらって共に生きられる業界になるよう努力するのである。
儲け主義では立ち行かなくなるだろう。

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そこで示唆を与えてくれるのが渋沢栄一ではないだろうか。
NHK大河ドラマ『青天を衝く』が放映されているが、時宜にかなったものになるだろう。
SDGsと渋沢栄一は親和性があるのだ。
世の中が自由主義に傾いたこんにち、もう一度、渋沢の理念を顧みてはどうだろう。
株価だけが躍っていて、まじめに働いている人たちが汲々としている社会は歪んでいる。

レジ袋を止めて、マイバッグで買い物をするという些細なことでも世の中は変わるのだから、我々のちょっとした行動をSNSも使って広まればよいと思う。
その時に、レジ袋を生産していた中小企業がどうなったのかということに思いを馳せてほしい。
それが正しいSDGsの運用だ。

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