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興味津々(続)

学生時代の古典の時間は、変な名前の人が出てきたりして、クラスで流行ったりしたもの。

百人一首に「殷富門院大輔(いんぷもんいんのたいふ)」という女官の一首が採用されていますよね。

見せはやな をしま(雄島)の あま(蜑)の袖たにも 濡れにそ濡れし色はかはらす

濁点を除いて、旧仮名遣いになっているのでわかりにくいですけど、「雄島」は宮城県の景勝地「松島」にある島のことらしく、そのあたりで「漁(すなど)り」する人々のことでしょうか、「蜑(あま)」は、男女を問わない漁師を指します。

「濡れにぞ 濡れし」が淫靡(いんび)で、耳年増な女子高生には特にそう聞こえ、「色は変わらず」のところを「乾く間もなし」と二条院讃岐の下の句の一部と変えて、より「いやらしく」して遊んでいました。

だいたい「殷富門院」がすでに「いやらしい」。あたしは「いんぶもんいん」と覚えてしまい、恥をかいた口です。正しくは「いんぷもんいん」です。そっちのほうが「淫婦」らしくって「いやらしい」ですもん。そして「大輔(たいふ)」を「だいすけ」と「松坂大輔」のごとく読んでしまったのでした。でもカルタの絵は女性でしたんで「なんでかなぁ」と漠然と思っていた次第。

『宇治拾遺物語』の「玉茎(たまくき)けんち」という、とんでもない猥談があります。「玉茎」ってなんのことかわかりまっしゃろ?皆まで言わす?

ある修行僧が、そこそこ羽振りのいい地頭の屋敷に「たのもう!」とやってくるんですね。地頭の家来どもが「汚いお坊さんやな、出ていけ」とすげなくするところを、主人がでてきて、話を聞いてやるんです。

僧は「わしは、煩悩を捨て去り修行を極めるために、玉(睾丸)と茎(陰茎)を切り落としたのです。つらい修行を続けております。どうかお布施をいただけませぬか?」と、つまりは乞食僧が物乞いにやってきただけのこと。

そして着物をまくって、「ほら、ごらんあれ」とつんつるてんの陰部を見せるんです。確かにあるべきものがぶら下がっておらず、まるで女のように見えました。家来たちもどよめきます。

主人は、しかし、そのウソを見破ろうと、家来の中でも小姓のまだ幼さを残した少年に「その、お坊さんのまたぐらをさすれ」と命じます。

たおやかな、女の子のような少年の掌でやさしくさすられた坊様は、身をよじって、耐えますが、ついに、その、ないはずの股の中からふらふらと肉棒が立ち上がってきたではありませんか。そしてついに見事に勃起した男根がそびえたのです。

家来たちは、おかしくって、笑い転げ、果ては「この嘘つき坊主め」と、こらしめようと飛びかかろうとします。僧は「勘弁(かんべん)、勘弁」と平謝り。主人は、大いに笑って、哀れに思い、つかみかかろうとする家来たちを止めて、僧を許し、銀子(ぎんす)や食べ物を与えましたとさ。

ざっとこういうお話でしたね。古典は面白いんですよ。ほんとに。

古典の先生が、こういうお話をされたとき日本には「裸になって、笑う」という「古事記」の天の岩戸の神話を引き合いに出し、性器を露わにして踊ったりする風習があるのだと教えてくれました。また、地方には「陽石(ようせき)」といって男根に似た巨岩や、手のひらサイズの石の棒を崇拝したり、信仰の対象にする祭りがあるというのです。そういったご神体を「金精様(こんせいさま)」と敬って、子女が子孫繁栄を願うのだそうです。

そういう場合「なるだけ立派な、大きな石」が尊ばれ、中には朱塗りの巨大な木製のものをこしらえて、みこしに乗せて担ぎ、村を練り歩く祭まであるんだそうです。あるいは、跨(また)げるほどの陽石に、子宝に恵まれたい女は、裾をからげ、陰部をその先端に合わせるという風習もあるそうな。だからその陽石の先端は、いつも艶やかに濡れているって。

そんなことを高校生のオトメに話す先生もどうかと思うけど。私は謹んで拝聴いたしましたよ。

つボイノリオ氏のことをきっかけにいろいろ若い頃を思い出しましたね。私はだからちゃんとした性教育を受けていません。すべて、自分で取り入れた知識だけで還暦まで来ましたよ。耳年増(みみどしま)は女ならだれでもそうなんじゃないですかね。

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