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野崎参り

ちゃか、ちゃんりん、ちゃんりん、でんでん・・・

五月晴れの中、ようこそお運びいただきまして、しょもない落語を聞いていただきます。

あたしが、ここで落語をやらしてもらうのも、悪気があってのこっちゃないんですよ。
まあ、あたしの頭の体操を兼ねて、ちょっとの間お付き合いのほどをお願いいたします。

もう歳でっさかい、ちょいちょいええかげんなところがあるやもしれません。
記憶に危ういところもございますので、ご了承くださいな。
そやから、みなさんも、本気になって聞かんようにお願いしますよ。

今日のお話は、もう昔から、それこそ古代オリエントのころ(?)からある野崎(のざき)参りというお話です。

え~、さて野崎の観音さんといいますと、居眠りに悩む方にご利益があると申します。

なんでも、西国三十三箇所に選ばれるために、西日本の観音さんの寄り合いで、この野崎の観音さんは居眠ってはって、西国三十三箇所どころか番外にも選ばれんかったというなんとも間抜けな話が伝わっておるそうで、居眠りを直したいという方には、ここの観音さんが直してくださいますんで、ご心配の方は、JR学研都市線の野崎駅で下車していただいて徒歩何分という当観音さんにお越しくださいということです。

肝心のお参りですが、まあ、むかしは、寝屋川を屋形船でさかのぼって行くのが、粋(いき)なお参りの仕方というもんでした。

普通の人は徒歩で、片町(かたまち)を出て徳庵(とくあん)から住道(すみのどう)を抜けて行くのが常でした。

だいたい、今頃の五月の一日(ついたち)から十日間が、野崎参りの縁日ですな。
参道はお参りの人々で大変な賑わいをみせるわけで、これは、今も昔も変わりません。


さて、幼馴染がそのまま大人になったような喜六(きろく)と清八(せいはち)、世間では「キイ公」「清やん」で通っとりますが、この二人が、このたび、野崎参りとしゃれこんで、片町あたりから出かけましたときのお話でございます。

「こらまた、よぉけの人やなぁ。キイ公、しっかり歩けよ」
「まっすぐ歩くのもホネやな。清やん。もう足がくたびれたで」
「ああ、わかった、わかった。じき、楽にしたる」
「清やん、おぶってくれるんか」
「あほぬかせ。そやないねん、寝屋川に出て、船に乗せたる言うてんねん」
「え~っ。そら困る。船は、板一枚下は地獄や。わて、泳げへんね」
「情けないやっちゃなぁ。あんな川舟、恐いことあるかい。ともかく乗るんや。さあ来いキイ公」
二人は、わーわー言いながら、徳庵(とくあん)の堤(つつみ)にやってまいりました。

「ほれ、見てみい。よおさん(たくさん)の船や。みんな野崎さんへ行くやっちゃで」

「うわ、ほんまや。あれって、普段はしょんべん船(肥船)やろ」
「今日は違うの!ちゃんときれいにして、毛氈(もうせん)敷いてあるやろ?」
「ふう~ん」

「いっぺん、わしが、たんねたる(尋ねたる)」
「何を、たんねるの」
「どの船が早いこと出るかや」

船着場に清やんがさっさと下りていって、船頭らの輪に入っていきます。
「ちょっと、たんねるけど、どの船がすぐに出るねん?」
「ちょうどよかった。あんたら二人が乗ったらすぐに出しまっせ」と、ごま塩頭の船頭

「ほうか、ついてるなぁ、おいキイ公、はよせい。もう出るてぇ」
「うわぁ、まってぇな」
転げるように、土手を下ってくるキイ公です。

二人は、安い「元しょんべん船」に納まり、野崎さんへレッツゴーと思ったら。
「清やん、あかんわ。この船、揺れるやんか。もうあかん」
「船が揺れんのは当たり前やろ。おとなしぃ座(すわ)っとけ」
「清やん、わて、浮いてる船は好かん」
「ほなら、どんな船がええねん」
「地べたから生えてる船がええ」
「そんな船、百年たっても進まへんがな。船頭さん、早よ出してえな」

「はい、はいーっ。今、出しまっさかいな。すんませんけど、兄さん、そこの艫(とも)を張ってくれはりまっか」 と船頭がキイ公に言います。

「はい、連れ(友)を張るんでんな」
ばしっとおもいっきり清やんの頭を張る、キイ公
「痛っ。おどれ、なにさらすんじゃいキイ公」
「いや、船頭はんが連れの頭を張れっていうし」

「張ってくれはったかぁ?どうも、動かんな。え?アタマを張られた?なんで?」
「こいつが、聞き違えて・・・ああいたぁ」

「あんさん、どう言うたらわかるんかな。そこの棒杭があるやろ。あれを持って、きばってくれって言うてんの。わかる?」

「あ、これね。そうならそうと、最初っから言うてぇな。ほなきばるよ」とキイ公

「ほな、みなさん、出ますからねぇ。しっかりつかまってくださいよ」と船頭
「うっ、くっ・・・おうっ・・・・」とキイ公は棒杭をつかんできばってます。

「おっかしなぁ?船、動かんなぁ。って、おまはん、何してんねんな。そんなとこにしがみついてからに」
と驚いた表情で船頭が言いました。

「きばってますぅ」と赤い顔してキイ公が答えます。

「あほちゃう。あんたの連れ」と船頭はあきれています。
「ええ、ちょっと」と清やんは頭を掻いています。

「ボ~ンと突いてくれと言うとんのや!」ちょっとイラっときてる船頭さんです。

「へえ、ほな突きますよ、それ、ぼ~んと」
やっとのことで船が出ました。

「しもたぁ!」とキイ公
「こんどはなんや」
「忘れもん・・・」
「何を忘れたんや、だいたい、おまえ手ぶらやったやないか」
「おしっこ」
「ガキかお前は。ほんまに。なんで乗る前に土手でしてきいひんかったんや」
「しようと思てたんや。けど、清やんがもう出る言うから、せんと乗ったんや」
「まあ、しゃあない、土手でせんならんもんでもないわい。御同船のみなさんには失礼やけど、ちょっと身を乗り出してな、川にしゃーっとやってまえ」

もじもじしているキイ公。
「ほなら、失礼して」
「出たか?」
「あかん、清やん、水が恐いから、出ん」
「竹の筒があったらええねんけどな。あれを樋(とゆ)にして流したら、わけないこっちゃけどな」と清やん。

「前にもわし、やったことあんねん、それ。けどな、おしっこが逆戻りしてきたんや。あかんであれは」
とキイ公が残念そうに言います。

「どうせ、おまえのこっちゃ、節(ふし)、抜くの忘れたんやろ」
「先の節は抜いたんやけど、中は抜き忘れた」
「あほくさ。あ、そこのあなた。おにぎりを食べてはる。そうそう。その食べ終わった竹の皮、ちょっといただけませんかいな」
「こ、これ?どうぞ。もう食べ終わりましたさかい」と客の男。

「えらいすんません。ちょっと拝借。おい、キイ公、これでせえ」
竹の皮を譲ってもらう清やん。

「包むんか」
「あほたれ!まるぅ、筒にして、とゆにすんねんがな。そこにしっこをせい」
「どれぐらいのまるさ?」
「おまえのが入るくらいでええんや。はよせい」

しゃーしゃーしゃしゃしゃ
キイ公はよほど溜まってたらしく、勢いよく始めました。
「歌わんと、はよせい」
「あ~、あ~」
「変な声だすな、みなさん笑うてはるやろ。済んだか」
しゃーしゃーしゃしゃしゃ
「まだかい」
「あ~ええあんばいやった。この竹の皮使う?」
「いらんわ。川に流せ」
「もっぺん洗って使わない?」
「使うか!ぼけ。もう、みなさん、すんません、すんません。あほなやつで」
もう恥のかきとおしです。

「もう黙って乗っててや、キイ公」
「そらできん。わて、一時も黙ってられへん性分やねん」
「けったいなやっちゃな」
「しゃべらんかったら口に虫がわくねん。口中、虫だらけ」
「きしょくわるいな、わかった、ほなら土手を通ってるやつと喧嘩せぇ」
「けんかぁ?無茶言うたらあかんわ。清やん。向こうが本気で怒って石でも投げてきたらどうすんね」
「だれが本気で喧嘩せぇて言うた。お前は物知らずやからおせ(教え)たる。昔から「日本の三詣り」言うて、京都の祇園の「おけら詣り」、讃岐は金比羅さんの「鞘橋(さやはし)の行き違い」、そんでこの野崎詣りや、この三詣りはなんぼ口で喧嘩しても手ぇだしたらあかんのや。口だけの喧嘩や。喧嘩に勝ったら、その年の運がええちゅうわけや」

「ほうか、ほなやってみよか。どいつからいこかな」
「片っ端から行け。あ、あいつどうや、あの頭掻きながら歩いとるやつ」
「あいつか。どう言お。なあ」
「世話のかかるやっちゃな。よう見てみぃ。あいつはな、別段、アタマがかい(かゆい)から掻いてんのとちがうねん」
「そうなんけ?」
「あいつはな、ほら、袖から赤い襦袢(じゅばん)が出てるのわかるけ?」
「ああ、ちゃらちゃら、見えてるな」
「あいつ、わざと、上等な襦袢を見せびらかしとんねん。あたまを掻いて手が上にあがるやろ?そうやって見せとんねんがな。そこを突いたらんかい」

「よっしゃ。いくで。と、どういうように突きましょかい」
「どんならんやつやな。おぉーいそこの頭ガシガシ掻きながら行くやつぅ、お前や、お前。別に頭掻きとないくせに頭掻くなぁ。その袖口からチラチラ見えてる赤い襦袢を見せたいからアタマ掻いてんねんやろ。そないに見せたい襦袢やったら、クルクルッと襦袢脱いで、竹の先へでもくくり付けて、グルグル~ッと皆にひけらかして歩け、アホ、すかたん、カス、ぼけ。と、まあ、こんな感じやな」

「清やん、すごいなぁ。わかった、言うたる」

「うぉ~い。そこのアタマ掻きながらいくやつぅ~」
「おれのことかぁ!」と土手を行く男
「そうそう、あなたですよ~!」
ばしっ。清やんにアタマをはたかれる、キイ公
「どあほ。どこの世界に、喧嘩の相手にあなたですよっちゅうやつがおんねん。おのれじゃ言うたれ」
「お、おのれじゃぁ!」
「どおか、したんか~い」
「おのれは、なんで、頭、かい(かゆい)ないのに掻いてんねん。ほんまはお尻がかいねんやろ~」

「はぁ?なに~」と男

「ちょい、キイ公、何言うてんね、襦袢のこと言わんかい。襦袢や」
「あのね~、おのれの襦袢の自慢が、じゅばんが、えっと、そうそう、自慢の襦袢を見せたいから頭、掻いてねんやろ~。そんな襦袢ならくるくると脱いで、脱いだら風邪ひくよ~」

「ぼけなす!竹の棒いけ、竹の棒や」と清やん
「あの~、竹の棒につけてね、くるくる振り回して、歩くとおもしろいと思うがどうですかぁ」
「はぁ?何言うてんのかわからんけど、大きな声出しやがって、何もわしは、この襦袢を見せたいがためにこんなことしてるんやないわい!この襦袢かて、あるが悲しさで着てるんやないか。お前も悔しかったら着てこいやぁ!」

「そらそうでっしゃろ。あったら着たいけどね、生憎さま、そんなん持ってへんね~ん!」


「うそでもあるて言え。あほが」と清やん

「あ、あるわい。こらぁ!百枚でも二百枚でもあるわ~い!」
「あるんやったら、なんで着てきいひんね!」
「質屋にあんねん!」
「あほ、出したって言え!」と清やん
「出したわ~い」
「出したら着てこいやぁ!」と男
「金に困って売ってもたわ~い!」とキイ公
「あかん、お前の負けや」とぼそっと言う清やん。

「ほんまあかんやっちゃな。キイ公は。ほたら、その後ろを歩いてる、女に傘をさしかけて相合傘の男がおるやろ、あいついけ」
「どう言うんや。清やん」
「お前!、我が嫁はんみたいな顔して女に傘を差しかけてるけど、そちらは嫁はんとちがうやろ?こう言うたれ」
「嫁はんかもしれへんがな」
「そら分かれへんけど、なんなと言わな喧嘩にならへんやろ」
「わかった、でもどうふくらますんや」

「それはお前の嫁はんではあるまいが、どこぞの稽古屋のお師匠(おっしょ)さんおば、うまいこと連れ出して、住道(すみのどう)あたりで酒のまして、うまいことしようという魂胆やろけど、お前のツラじゃ、分不相応じゃ。いっぺん鏡みてみぃ。とこう言うたれ」

「こら~ッ、そこの女に傘差しかけて行くやつぅ~」
「はいー?後先(あとさき)に見えませんが、わたいらのことですかぁ?」
「そうそう、あんさんですよぉ」

「こら、おのれって言わんかい」と清やん
「おのれじゃあ!」
「どうかしましたかぁ」
「お前の嫁さんやあるまいがぁ。嫁さんのよぉな顔してるけども、それはどこぞの稽古屋のお師匠はんですやろ。そのお師匠はんを野崎詣りに誘って連れ出して、住道あたりで、一服しましょ言うて、小料理屋なんかに連れ込んで、奥の部屋空いてるか、てなこと聞いて、うまいこと奥の部屋に連れ込んで、酒のまして、お師匠はん足くたびれましたでしょ、さすりますわとか言いながら、あとは成り行き任せで、あたしも混ぜてほしいわ~い」

「何を言うてんね。これはれっきとしたわたいのかかぁじゃあ!」
「そうでしたか。それはえらいすみませんでしたっ!」

ぼかっ。清やんがキイ公の頭を思いっきりどつきました。
「痛いやんか」
「謝ってどうすんね。嫁はお前を嫌うとるから、逃げられるでって言うたれ」と清やん

「お~い。嫁なら嫁にしといたる。けど、嫁はお前を嫌うてるで。それが証拠に、今に嫁に逃げられるで。わしもこないだ逃げられたぁ」

「どあほ」とまた頭をはたかれるキイ公。

すると・・・
「大きなお世話やぁ。お前らこそ、カタカナのトの字のちょぼがへたったみたいやないかぁ」
「清やん、カタカナのトの字のちょぼがへたったみたいって言われたで、どういう意味や」
「俺がちょこっと背が高い、お前が低いやろ?それをたとえて言うてけつかんねん」
「腹立つなぁ。わたい、背が低いて言われるのが一番はらたつねん。うわ~ん」
「泣きな!背が低い低いとばかにすな。背が高けりゃええんかい。大男総身に知恵が回りかね、うどの大木、てんのじ(天王寺)の仁王さん、体は大きいけど門番止まりや。それにひきかえ、江戸は浅草の観音さん、御身丈は一寸八分でも、十八間四面のお堂の主じゃい。箪笥長持ちは枕にならん、牛は大きいてもネズミをよう取らん。山椒は小粒でぴりりと辛いわ、て言うたれ」

「そんな、ようさん(たくさん)言われへん」
「ええから言え」
「け、軽蔑すなよぉ。うどの大木やで、大きいのがそんなにええかぁ?てんのじの仁王さんは、門番してはるでしょ~!盗っ人がある日、賽銭箱ひっくり返して、持って逃げようとしたんや~。ほんなら仁王さん怒ってね、盗っ人をつまみあげて、地べたに叩きつけて、おっきな足で踏み潰そうとしたんや~。ほたら、盗っ人のお腹の調子が悪かったやろね、ぷ~っと屁が漏れたんで、仁王さんが足をのけたら、盗っ人が「におうか?」って聞いたんや、おもろいやろ~!」

「あれ、だいぶあほやな」と夫婦もんが顔を見合わせた。

わあ、わあ、言うておりますうちに、野崎さんに船が着きました。
さて、この二人の道中はこれからどうなりますやら。

どっと、はらい~

これは、笑福亭松之助(明石家さんまの師匠)の野崎参りを参考にしました。
※さんまさんは落語が得意じゃないので(お稽古をしないから)、「笑福亭」を名乗ることを当時の松鶴師匠に咎められ、松之助さんの本名の明石から「明石家」を名乗るように松之助師匠に都合してもらったそうです。

「野崎参り」に出てくる地名が大阪独特で、あたしが育った近所でもあったから、親近感がわく作品です。
しゃべくりの落語なんで、力量が問われますよね。

しかし、大阪弁はおもしろいでしょ。

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