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電話のひと(2)

日曜日。
ぼくは、高揚を抑えつつも、駅前のコンビニに向かった。
空は晴れて、期待に胸を膨らませていた。
中島さんは、どんな女性なんだろう?
五十は越していると言っていたが、すらりと細身の上品なたたずまいを想像させる。

駅までの道中を、妄想をたくましくして、ぼくは歩いた。
昨晩、まだ見ぬ中島さんをいろいろ想像して自慰にふけってしまった。
互いに独身なら、深い関係になってもいいじゃないか…
思い切ってお付き合いを申し込んでみようか。もとよりそのつもりで「会ってくれ」とおねがいしたのではなかったか?

信号待ちをしながらながめる。
コンビニの表てにはそれらしい女性は見えなかった。
時間は約束の十分ほど前だった。
店内にいるのかもしれない。
信号が変わったので渡ると、駅の方から帽子をかぶった眼鏡にマスクの女性がコンビニの方に曲がるのが見えた。
「あのひとか…」ぼくは直感した。
ぼくも急ぎ足で、その人を追う。
振り向いた。
「あの…中島さんですか?」
その人はぼくを見て眼鏡越しに目を大きく見開いたような表情をした。
「岩崎さんですね。おはようございます」
「よかった、行き違いにならなくて」
「わたしの想像したとおり」そういって、ぼくを慈しむように見たのである。
中島さんは、たしかに細身だったが、背は低かった。
わりと小さなおばさんで、やはり、どう見ても五十くらいにしか見えなかった。
それでも上品なスーツ姿で、帽子をかぶっていなければ、保険の外交員のような感じだった。
「がっかりしたんじゃないですか?言ったとおりのおばさんでしょう?」
マスクでくぐもった声だけれど、あの電話口の優しい声に間違いはなかった。
「あ、いや」
ふふふと含み笑いを浮かべて中島さんは、「どこか行きましょうよ」と誘ってくれた。
「ええ」
その足で駅に向かった。
「日曜礼拝が終わってね、急いで来たのよ」
「教会はこの近くですか?」
「あなた、知らないかしら。西浦の教会」
「知らないなぁ」
中島さんの話によると、その団体の教会は公民館みたいな外観で、ぼくらが想像しているようなキリスト教の教会ではないらしい。
もう二十年以上の歴史があるそうだ。
駅の改札の前で、中島さんは路線図を見上げる。
「楢橋(ならはし)美術館に行ってみない?」
「予約しなくてもいいんですか」
新型コロナの影響で、美術館などは、前もって予約を義務付けていることが多い。
「大丈夫よ、東京や大阪じゃないから」
そういうと、ぼくの分まで切符を買ってくれたのだ。
「出しますよ」「いいのよ」
中島さんは、そう言って受け取ってくれなかった。

電車を待ちながら、中島さんは下の名を「清美(きよみ)」と言うのだと教えてくれた。
別居している一人娘の阿騎子(あきこ)さんは、ことし、大学を卒業したらしいが、この新型コロナ禍で就職先も決まらないと言う。
「離婚したんですってね」「そう。でも娘とは会っています」
そう話した。
「再婚とかは?」
「もういいの。この歳でそんなこと考えられないわ」
こんなぼくと遊んでくれるというのだから、男が嫌いなわけじゃないようだ。
「お付き合いしている人もいないの?」
「いたり、いなかったり…」
中島さんもなかなかどうして、普通の女性なのだと思った。
「いたんだ…」
「それが、どうかして?」
「いや、そういうふうには見えないから」
「そんなに地味に見える?見えるわよね」
「信仰が深いんでしょう?」
「わたしね…それほどまじめじゃないの。昔は違ったけれど」
電車が入構してきたので、話は中断された。
中は、日曜だったし、このご時世だから空(す)いていたので並んで座ることができた。

中島さんによれば、この宗教団体に誘われたとき、すでに夫婦仲が冷めていたそうだ。
次第に勧誘してきた男性と深い仲になって、それが別れたご主人には「狂信的」と映ったらしく、よもや浮気をされているとは疑われなかったらしい。
清美さんは、そのまま男性と付き合い、表向きは信仰にのめりこんでいるかに見えた。
結局夫婦仲の溝は埋まらず、当時小学生だった阿騎子さんとも別れてしまうことになった。
姑が孫を清美さんから奪ったのである。
清美さんと浮気相手との蜜月は、その後、急速に衰えたらしい。男の方にまた別の女性ができたのだそうだ。つまり遊ばれてしまったということか?
清美さんは、何もかもなくして気づいたことがあった。
信仰である。
信仰は裏切らないし、こんな自分を見捨てないということに気づいたらしい。
そしてしがらみから自由になり、今があるのだというのだ。
「岩崎さんに誘われたとき、少し不安がよぎったわ。また同じことを繰り返すのかなって」
「ぼくは、そんなつもりはないです。真剣です」
「まぁ…」
それぎり、彼女は黙り込んでしまった。
(つづく)

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