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中島みゆきコンサート「歌会VOL.1」劇場版〜歌で描く『生』〜 

 エネルギーの少ない体質(そんな体質があるのかどうか知らないが)なので、生まれてこの方、推し活動はしたことがない。日常生活だけで精一杯だ。
 だがそういえば、中島みゆきさんはデビューしたての頃からのファンだと言える。
ファンクラブも入っている。DVDもCDも持っている。
 かつてコンサートチケットを電話1本で取る時代に、同じ体勢で電話をかけまくってギックリ腰になった前科もある。
 周囲の人は私が中島みゆきさんのファンだと何故か知っている。あまり口に出した記憶はないが、きっと無意識で口走ったのだろう。
 これは推し活に多少は足を踏み入れていると言ってもいいのかもしれない。

 というわけで、推し活の一環として、去年の五月にライブで見たのだけれど復習を兼ね「中島みゆき歌会 vol.1」を映画館で見てきた。
「今も変わらない歌声」というのがベテランシンガーを讃える言葉としてよく言われるけれど、やはり変わったと思う。
 陰影と硬質な響き持つ声で毒のある歌詞を放り出すように歌う若い頃のみゆき様の歌は、若さゆえの孤独をかこつ私の心に突き刺さってきた。
 当時のコンサートはまるで巫女のお告げを聞く信者の集まりのように、咳払いひとつ聞こえなかった。コンサートが始まる前の客席は満員なのに異様な静けさに満ちていた。
 中島みゆき=暗いというイメージもあったのかもしれない。ファンは根暗などと言われたこともあった気がする。
 やがてドラマの主題歌などでみゆき様の才が広く知られるようになり、「地上の星」で国内認知度100%になった(個人的体感)。観客も多種多様になったみゆき様4・50代の頃のコンサートはとにかく何もかもが素晴らしかった。
 心技体が完全に頂点に達し、優しさと厳しさを緩急自在に操る歌声は足元から波のように押し寄せて聴く者を溺れさせ、歌とは真逆の陽気なMCに会場は湧きに湧いた。
 余談だが、そのレジェンド級のコンサートの帰り道「だからさ、いつもおんなじ編曲でバンドじゃん? だから飽きるんだよね。限界を感じるよね。」とツレの彼女に大きな声で話しかけている若い男性(推定当時20代前半 学生風)がいた。
 こちらがこの上ないほどいい気分でいたのに(というか帰宅中のファンのほとんど陶酔状態のはず)、なんだコイツ(言葉悪い)とムッとする。ぎっしりと人がいたが多分広範囲に聞こえていたと思う。
 連れの彼女は曖昧な笑みで「うーん」か「うん」かわからない小さな声で返事をしていた。おそらく辺りに聞こえているのが嫌だったのだろう。
 全く腹立つヤツ(またまたなんて悪い言葉)だな、明日彼女に振られてしまえと内心呪いをかけておいた。私も若かったのだ、すまぬ。
 今にして考えれば、TPOを無視した聞こえよがしな大声は「音楽をわかってる俺」「人と一味違う俺」という「かっこいい俺」(間違いだが)を彼女に見せたかったからだろう。若さとは時に残念なものなのだ。
 どうでもいいことを思い出した。本題に戻る。
 時は流れ、みゆき様は女神になった、と今回のコンサートで得心した。
 かつて、
「としをとるのはステキなことです そうじゃないですか
 忘れっぽいのはステキなことです、そうじゃないですか
 悲しい記憶の数ばかり
 飽和の量より増えたなら
 忘れるよりほかないじゃありませんか」(傾斜) 
 と、客観的にどこか明るく老いを歌ったみゆき様は

「風前の灯火だとしても
 消えるまできっちり点っていたい 
 倶に走り出そう 倶に走り継ごう
 生きる互いの気配がただ一つの灯火」(倶に)
 と、今は実際に老いを味わっている湿度のある歌詞を紡ぐ。

「この一生だけでは辿り着けないとしても
 命のバトン掴んで 願いを引き継いでゆけ」(命のリレー)
 と力強く訴えかけ、コンサートのラストは(アンコール曲は別)
 「未来へ 未来へ 未来へ 君だけで行け」(心音)
 と歌い上げる。

 老いの悲しみとそれでも生きぬく人としての強さと、愛おしい命に注ぐ温かい視線。
 限りある人生だが、どこかで繋がっていくだろう未来への光。

 二時間ほどのコンサートでみゆき様は人の生を鮮やかに描き切った。
 その声は六道から解脱したように透明で邪気がなく、時に無垢な少女めいてもいた。
 もうアーティスト中島みゆき様は神の領域におわします、と断言してもいい。(推し活の暴走)

 またお元気でお会いできることを祈りますと、みゆき様がおっしゃっていました。
本当に、中島みゆき様と、ファンのみなさま(僭越ながら私も含む)に幸多からんことを祈ります。
 またコンサートでお会いできますように。



 


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