評価軸のパラダイムシフトが必要な時
5月27日放送のWeeklyOCHIAIでは、「インターネットの息苦しさを考える”SNSの罪と罰”」というテーマで出演させて頂きました。9人という出演者と広範なテーマだったため、少し論点を補完させて頂きます。時間の都合上解説が不十分だった部分については、本日公開されたNewsPicKsのシゴテツ第5回に偶然ながら解説があります。
朝起きて私がコメントを閲覧して驚いたのが、本日の公開であるのにも関わらず、私が追加して補完しようと思っていた点が、既にユーザーの方々のコメントで適切に説明されていたことです。
頂いたコメントの一部を紹介させて頂くと
「評価軸を変えていかなければいけない、データを集めて分析することで、番組等の体験が個々人に対してどんな価値を与えたかが明らかになってくることで、評価軸が変わっていき、報道のあり方も変わっていく可能性があるとおっしゃられていた。
今回の記事のテーマである『最大多数の最大幸福を考える世界から個別化への転換』もまさに一貫して同じことをおっしゃられていると感じた。
そして我々個人としても大切なのは『皆が良いと言っているから良い』ではなく、個人としてモノやコト(体験)に対して『何をどう感じたのか』、そうしたものを明確に持っていく必要性があることを強く感じた。」
というコメントや
「個々人の体験をより豊かにするには、個々の幸福が違うことを認めなければならないし、違うことに対して攻撃するような言動があってはならない。」
というコメントは、まさに私自身も強調したかった点です。この他にも多くの素晴らしいコメントがあり、NewsPicKsのユーザーの方々の質の高さと、co-creationの1つの形に感動しました。
マスメディアで言えば、これまでの視聴率という「平均値」のみで捉える評価軸は、平均からこぼれ出た人に対して、時に冷徹で過剰な制裁を加える傾向にあります。
NHKの方々と今、議論しているのは視聴率や視聴熱で捉えることができない、学びの深さや、視点の広がり、感動や共感をデータでとらえて評価軸とすることです。これは宇野さんの提示されていた「遅いインターネット」にもつながるものです。瞬間的に注意を引いたり快楽を与えるだけでなく、深い感動や長期的に人生に価値のある体験を提供することも、やはり重要です。
一方で、質の高いコンテンツをつくっても、それが評価されなければ経済もモチベーションも続きません。評価される枠組みをつくりながらエコシステムを確立する必要があります。視聴率が重宝されているのはそれが経済を回す仕組みと直結していたことであり、その点は軽視はできません。
SNSにおいても経済合理性と結びついた仕組みは重要でした。”炎上していてもフェイクニュースが飛び交っていても、場が盛り上がってお金が回れば良し”という考えは大なり小なりありました。
ただ、それが現在は変わり始めています。
消極的な観点からいえば、GDPR(欧州の一般データ保護規則)の規定した新しい人権に対応しなければならないこと。積極的な観点からいえば次の経済の本流となりうるデジタルマネーの価値を決めるのはパーソナルデータであること。いずれのケースにおいても必要なのは人々の信頼を軸にしてデータを扱うことです。ただ落合さんが指摘したように、新しい人権(データアクセス権や忘れられる権利)を確立していない日本は、まだこのスタートラインにちゃんとは立ててはいないのです。
こうした背景の中でGoogle は”AI for Social Good”を掲げ、Facebookは”Data for Good”を掲げています。フェイクニュースに対する対策など、彼らの投資と貢献は目を見張るものがありますが、信頼やGoodという評価軸を含めた新たなビジネスが回るのはこれからです。
それまでの期間の中で、既存のマスメディアが視聴率の枠組みから脱却することができなければ、”For Social Good”を馴染ませた「次の段階のYouTube」に一網打尽にされることは想像に難くありません。
津田さんが仰っていたように、インターネットやSNSには悪意を増幅させるだけでなく、善意をつなげる力もあります。ガクトさんが夢想した新しいテラスハウスは、”視聴者が出演者の体験を通して多様な幸せの姿に気づき、他者に寛容になり、1人ひとりの体験を豊かに生きる”というようなものかもしれません。
素晴らしいクリエイターがいる今の日本からも、世界を変える新しい体験が生まれることを願っています。その為に私も貢献できればと改めて考えています。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?