背景と対象

言葉というものは、面白いと同時に難しいと感じる。

同じ言葉でもシーンや会話の流れで相手への伝わり方、受け取り方が大きく変化する。同じ単語でも、発言する順番が違うだけで異なる理解を生んでしまう。

これは日本語だけでなく、英語なども同じことだと思う。

その人の性格が異なるだけで受け取り方は変わる。だからこそ、その人を見抜くために他の人と同じ方法というものは存在しない。

だが、この世には人のことを読み取る心理学やメンタリストというものが存在する。ある程度の共通部分はある。だからこそ医学も発展したのだろう。

これからも継続した医学の発展に期待したいところだが、精神疾患に対する医学に関しては、正直学問としての発展は期待していない。最終的には学問として共通化する必要はあるが、うつなどの精神疾患に関しては、実際にかかった人自身が考える必要があると思う。

実際にうつと診断されるかされないかだけでも大きな変化は存在する。「壊れた」なんて一言では納められない。むしろ診断を受けてからが大変だ。

「優しさと思い遣り」という記事でも書いたが、優しさは自分への思いやりから始まるのかもしれないと書いたことをきっかけに自分に対しても実践するが、これほど自分への思い遣りが難しいと思ったことはない。

辛いのだ。

うつになった自分が許せない。

治ったと自負できていない自分が情けない。

助けを素直に求められない自分が怖い。

また発症するのではないかと自分に対して不信感を抱く。

自分が自分でないと認めたくない。

時々、診断される前に戻りたいとも思う。診断を受けるんじゃなかったと。

いずれ、発症するまでと診断されてからの過程はどこかで書きたいと思っているが、今、特に思う。後悔しかない。

だからこそ、周りにいるうつで悩んでる人には優しく、うつの傾向が見られる人に関しては、診断を受ける前にお節介ばりの気遣いを送ってあげてほしい。

診断を受ける直前は、仕事に対して「自分しかできないんだ」、「俺以外にはいない」とムキになっていた。家族にも、上司と相談して仕事から一旦離れて休みなよ。と言われた。だが、断った。

あそこで受け入れていれば、一旦手放せば、手放さなくとも上司と相談して体制を整えることからでも間に合ったのかもしれない。だが、周りも自分以上に忙しいと思うから、自分でなんとかしなきゃと背をのばしていた。結果、反動が取り返せない大きさとなって返ってきた。

個人的な話だが、今の環境から一線をひこうか悩んでいる。それも含めて、今の自分の価値を試すためにこのnoteを開設したのもあるのだが、世の中の闇は一度生まれたら消えないのが厄介なところだ。

会社としては、うつ病になったとしても冷静に対処する。会社にとって損か損じゃないかを主軸に。

そして、済んだあとは何事もなかったかのように進み出す。本当に驚いた。

自分が間違っているのではないかと思うくらいだ。

だからこそ、周りが手を差し伸べてほしい。差し伸べる側もそんな簡単なことではない。難しいのは承知の上だ。

いずれ、その点も考えたことを書けたらと思う。


11-14-2019

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