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言語化することで、気持ちに名前をつけていく
私は3年前からほぼ毎朝、瞑想やヨガをしています。そして昨年から、自分のアウトプットのためにInstagramのストーリーでヨガ日記をアップするようになりました。私がヨガしている動画と、レッスンを受けて感じたことや自分の日常のことを載せています。
ヨガ日記開始当初はとても葛藤があり「誰が私のヨガしてるところを見たいねん!?」と思ったのですが、えいや!と始めてみたら、今では抵抗はほとんどなくなりました。
そして今もこのnoteを書くときに「誰が読みたいねん!?」と思っているし、noteを書いたことをInstagramのストーリーに上げるのも怖いのですが、いずれ慣れるだろうと思っています。
ほぼ毎日ヨガ日記やnoteを書くことで気づいたことがあります。
私は日々モヤモヤしたり、怒ったりしているのですが、自分の気持ちを探りながら書くことで、気持ちに名前をつけていっているのではないか、と思ったんです。
名前、もしくはラベリング。
「怒りは二次感情である」とは言われますが、深く考えないと、私はただ毎日怒り狂っている人なってしまいます。
例えば来週、年長次男の保育園では2泊3日の雪合宿があり、とんでもない量の衣類や雪のアイテムの準備が必要です。その準備のときに夫はメインではなく、すぐにサブポジションになろうとするんです。
「サブじゃなくてメインをやってくれ!なんで私がいつもメイン担当なんだ」と私はイライラ。
でもよーく考えてみると、私は
「私だって何もわかってないし、準備は苦手なのに、全部任されたら負担だし、悲しい。指示待ちではなく、ちゃんとメインで動いてほしい」と思っているのです。
そういうことが、毎日書いて言語化することによってだんだんわかってきました。
突発的に起こる感情は「怒り」でも、時間をおいて書いたり、考えることにより、本当の自分の気持ちがわかってくる感じです。
なので、書くことで一つ一つの気持ちに名前をつけていくことができて、前よりはモヤモヤや怒りが減ってきたように思います。
例の場合では、私は「怒り狂う人」ではなく、「不安だから、夫に一緒にやってもらいたい人」だったということです。
思い返してみれば、私の実家では、理由はわからないけど、母がめちゃくちゃ怒っているということが多かったように思います。
私と姉と弟はその嵐が過ぎ去るのを黙って待っていました。当時、母は祖父母の介護で大変でした。
父もたまには怒るのですが、そのときもなぜ怒っているのかよくわからず、「あれが嫌だったのかな?」と思っていました。
だから、というのも責任転嫁ですが、私は母親というものは急に怒ってもいいんだと思っていたのかもしれません。
でも実家を離れて20年経った今、自分の今の家族には瞬間湯沸かし器のような怒り方はなるべくやめて(ゼロではないです、怒ってます)、「ママは〇〇で悲しい」とか「ママはこう思っているよ」って伝えるようにしています。
モヤモヤや怒りを言語化するときに「ちょっとこの表現は違うんよなー」って思うこともあります。「これじゃ、うまく伝わらなかっただろうな」と思うこともあります。
でもうやむやにせず、仮にでも名前をつけていくことで、だんだん最適な言葉が見つかるのかもしれません。
そう思って、毎日書く練習をしています。