出雲口伝と秘密結社(3)
今回は、『出雲口伝と秘密結社(1)』の薩摩と日置のつづきです。
薩摩と日置の関係は、その後の調査で、薩摩藩主の祖である島津忠久が、武蔵国の比企尼の長女丹後局の子であったことから、比企氏(=日置氏)の母系が、薩摩の地に受け継がれていたようです。比企(ひき)と日置(へき)は同じです。日置が、ひおき→ひき→へき、と変化したようです。
上図(左下)が、比企氏の家紋です。そして、右が高麗王若光の墓ですが、その紋を見てください。比企氏の家紋そのものです。
『上宮太子と法隆寺』(斎木雲州著)では、「日置氏は朝鮮系の氏族であった。」と述べているのですが、「日置氏は、高麗王家であった。」と明確に語って欲しかったところです。
上図(左上)は、島津氏の家紋ですが、比企氏の家紋の簡略バージョンという気がします。
日置と白鳥
見出しの図の右図は、『上宮太子と法隆寺』(斎木雲州著、大元出版)に記載された日置王(上塩冶築山古墳)の復元した冠です。
遠くから見ると十字架に見えた冠が、見出し図の左図のように「白鳥」の飛んでる姿に見えます。
日置部を研究された井上辰雄氏によれば、全国各地の日置部の共通の特徴として、「白鳥を神霊の化身ないしは神を運ぶものとする信仰を有する」としています。
記紀では、言葉を発することができなかった誉津別命が、白鳥が渡る様子を見て、言葉を発することができるようになった話や、ヤマトタケルが亡くなって、白鳥になって飛んでいった話が、語られているかと思います。
歩揺のついた金メッキの白鳥の王冠で思い出すのは、『ローマ文化王国-新羅』(由水常雄著)に出てくるトンボ玉に描かれた白鳥と白人の王の話です。
由水常雄氏は、描かれた人物が白人であること、連眉であること、白鳥の住む北方圏であること、ケルト巴文様の入った黄金の剣が出土していることなどから、トラキア地方のケルト人の王を描いたものと推察しています。
そのローマ文化と数多くの黄金の宝物の出てきた新羅が、草原の道でつながっていた、としています。
ただ、由水常雄氏が白鳥とみなした鳥は、本当に白鳥なのでしょうか?
ギリシャ文化(ローマ文化)は、バクトリアやクシャン朝には、残っていたわけで、本当にトラキア地方のケルト人の王なのでしょうか?という疑念が、ずっとありました。
そんな中で見つけたのが、古代サマルカンドの壁画です。
この壁画を見た瞬間、このサマルカンドのソグディアナの地が、新羅のトンボ玉に描かれた、白い肌の王や白い鳥の住む地なんだなぁ、と感じた次第です。
『古代サマルカンドの壁画』(L・I・アリバウム著)によれば、この青色の目と白鳥のように長く折り曲げた首をもつ4羽の鳥は、ガチョウだそうです。
上図は、戦士の壁画ですが、おそらく西突厥の戦士のものと思われます。見ての通り、連眉で描かれ、目がグリっとしています。由水常雄氏のトンボ玉の王の特徴の1つ、「眼がバッチリと大きく、連眉」に、あてはまっているかと思います。
新唐書では、サマルカンドについて、以下のように記しています。
サマルカンドは、薩末鞬ともいう。この薩末が、薩摩になったという説もあります。
また、ソグド商人の話が書かれていますが、ユダヤ商人もビックリの話です。サマルカンドは、西突厥のチュルク人(=トルコ人)の支配を受けていたので、ソグド人はチュルク化していきます。
西突厥がハザール(カザール)王国をつくり、アシュケナージ系ユダヤ人となっていくとしたら、ユダヤ商人の原型は、このサマルカンドのソグド商人にあったことになります。
とにかく、黄金とお宝(たから)とお金(かね)が大好きなわけです。そう、出雲口伝の秘密結社、財(たから)筋なわけです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?