宇佐の口伝(その2)
宇佐国造池守公嫡孫五十七世の宇佐公康氏による『古伝が語る古代史-宇佐家伝承』(水耳社)、『続 古伝が語る古代史-宇佐家伝承』(水耳社)を図書館でお借りしてきました。
返済期限があるため、備忘録として書き残すものです。
古代日本人の宗教思想
宇佐公康氏は、古代日本人の宗教思想として、「言霊信仰」「精霊信仰」「常世信仰」をあげているが、「常世信仰」は、宇佐族固有の信仰と思われます。
言霊信仰
ノリトはミコが神に奏上する呪言であり、ミコトはミコが神懸りしていう神言
尊い神事の司祭者であるムラギミやオオギミには、ミコが随伴していて、ミコトを伝え、司祭者は、そのミコトの示すところによって、政治をしていたから、これをミコトモチといった。ミコトモチとは、尊いミコト(御言)をもちいただく人という意味
日本に古代国家が成立したときに、その最高のミコトモチは天皇であり、ミコの神言を奉戴して、マツリゴト(政事)を行う天皇は、神とまったく同格であるという信仰があった。
ゆえに、天皇をアキツカミ(明津神)またはアラヒトガミ(現人神)と尊敬した。言霊によって宣言したり、強調したりすることについて、大和の葛城山麓に祀られたヒトコトヌシノミコト(一言主之神)がある。
一言主神社がそれで、葛城氏の祖神である。
葛城氏は大神氏とともに出雲氏族で、古代に、河内や和泉地方に栄えた名族である。
精霊信仰
国には国の精霊が、季節には季節の精霊が、ひそんでいる(枕詞)
精霊については、宇佐族ともっとも関係が深い物部氏の記述として詳しく書かれています。
物部氏は、モノすなわち精霊を司祭する氏族
古代の日本人は、言葉や行いだけでなく、すべての現象には、精霊がひそんでいて、背後から支配しているとして、これをモノと呼んでいた。
現代人は、モノというと眼に見えるもの、耳に聞こえるもの、手に触れるものなど、五官によって感覚される物質をモノと呼んでいるが、古代人の観念では、モノとは物そのものの本質であり、精霊のことであった。
現代、用いられている日本語で、「もの詣で」「もの忌み」「ものの気」「ものの気配がする」「もの分かりがよい」「ものともしない」「ものにする」「もの知り」「もの覚えがいい」「ものを言う」「もの申す」「もの静か」「ものの哀れ」「ものものしい」「もの案じ」「もの思い」「ものうい」「ものおじ」「ものぐさ」「ものいい」「ものまね」など、いろいろな表現があるが、これらはすべて精神的なことをいうのであって、物質的なことを意味するのではない。
古代人の観念では、モノとは精霊のことであったから、物部氏とは、精霊すなわちモノを鎮魂呪術によって司祭する氏族というわけである。
常世信仰
南方系民族の渡来を天孫降臨と称して、絶対的尊厳をもった神聖なものとして、伝えられてきたが、これは古代日本人の常世信仰からいい習わされた
古代日本人が、常世と呼んだところは、常夜なす死後の霊界をさすとともに、常世、すなわち、恒久不変の世界であり、また、水平線のはるか彼方に、遠くへだたった海外の国でもあった。
人の霊魂も、物の精霊も、みなこの常世の海外から来臨するという信仰(=常世信仰)
海外から来訪する異国人を歓迎し、丁重にもてなして大切にする特性
この特性は、古代日本人の常世信仰からそなわったもので、海外の進んだ文化をたずさえて来訪した客人は、マレビトと称せられ、信仰上からも天孫の降臨として尊敬された。