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僕が思う「教師は役者たれ」の本当の意味

「ハリウッドスターが3歳の僕を救った話」

3歳の謙ちゃんと妹のマットレス事件


 僕には兄(3つ上)と、妹(2つ下)がいる。真ん中っ子というだけで大変なのに、末っ子が初めての女の子だからそのチヤホヤされ具合と言ったら、物心つく前の3歳とかの話なのに鮮明に覚えている程である。
 さて、僕は妹にかかり切りの母を見兼ねて、ある行動に出る。かつて同じ状況になったはずなのにも関わらず、黙って耐えた兄と僕は違っていた。なんと妹のマットレスに緑色の極太油性マジックで大量の落書きをしたのである。マットレスの一面を真緑にして、もはや使えない状態にしてしまった。言わずもがな僕の母は物凄い剣幕で僕を叱った。忘れることはない。妹が1歳間近、僕が3歳の頃の事件だった。
 
   さあ、ここからが問題です。こういう子は沢山いる。ときどき大人にも居る。でもきっと、ハリウッドスターならこの子たちを救える。それはおそらく彼らが人間についてものすごく勉強しているからだ。演技メソッドを多少なりとも学んだ31歳の僕が、3歳の謙ちゃんの行動にアプローチしたい。

ハリウッドのアクティングメソッドとの出会い

 商業舞台のキャストをしていたときに、演出家から「もっと悲壮感出せない?」とか「もっと疲れてるんだよ」とか「もっと死にそうな感じなんだよね」と言われてとても困惑したのを覚えている。
 あとで、ハリウッドメソッド演技をアクティングコーチに教わったときに、そういう指導が全く無く、逆に「こういう状況だったとしたら、どう行動する?」とか、「もし自分がそうなら、どんな状態になると思う?」という指導をされて、とてもしっくり来た。


 これはとても興味深い話であり、そして当たり前の話であり、そして人間を理解する上でものすごく重要な話である。

状態(形容詞)と行動(動詞)の話

 基本的に人間は悲しくなろうとして悲しくなることはできない。「悲しい」というのは「状態(形容詞)」であり、人はこれを意図的に選択することはできない。最初の舞台の演出家の言う通りにしようとして上手くできなかったのは、そもそも人間が絶対にやらないことをしようとしていたからである。
 恋人と一緒になりたいという目的があって、恋人に自分よりもっと好きな人がいるという障害があって、自分は幸せになれないかも知れないという葛藤があって、初めてその状況で「悲しい」という【状態】に「なってしまう」のである。
 大切なのは、人間はそのあとの行動を自分で選択できるということである。「悲しい」という【状態】から脱するために、恋人をブロックするのか、1人で泣ける映画を観るのか、友達を誘って延々と話を聞いてもらうのか、それとも親友とカラオケに行って気分を発散するのか、選択肢はいくらでもあり、それは全て【状態(形容詞)】ではなく、【行動(動詞)】なのである。これがアクション(【行動(動詞)】)であり、演技もとい人生とは【行動】の選択の連続であるといっても過言ではない。
人間は【状態】を選ぶことはできないが、【行動】は選択することができる。

演技メソッドで分析する3歳の謙ちゃん事件

 ママに怒られた3歳の謙ちゃんの行動を見てみよう。マイズナーやストラスバーグのメソッドでは、主に行動を【目的】【障害】(【葛藤】【状態】)【行動】に分けて考える。行動の【目的】がまずあり、それを阻害する【障害】があり、【葛藤】や【状態】などの【状況】が生まれ、初めてどのように【行動】するかが選択可能となる。3歳の僕の行動を演技メソッド的に分析すると以下のようになる。

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【目的】(母親に)こっちを見て欲しい
【障害】妹の存在/上手く言語化できず気持ちを伝えられないこと
【葛藤】母を独り占めされて孤独を感じ続ける
【状態】どうしていいかわからず、ムシャクシャしている
▷▷▶︎【行動】妹のマットレスに落書きをする
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 この場合、【状態】までのカテゴリーは全て選択できないものである。従って、3歳の謙ちゃんに「ムシャクシャするな」とか「兄なら兄らしく我慢しろ」というのは無理な話である。【状態】までの文脈をどれだけ大人が敏感に察知して受け止めるかが重要である。それによって、正しい行動の選択を促すことができることもある。「妹のマットレスに落書きをする」という行動は【目的】の達成を期待した行動ではない。【目的】が叶えられないことを知ってどうしようもなくなった結果せざるを得なくなった行動である。こうなる前に大人が介入できれば、殆どの(幼い)子どもの問題行動は防げると考えている。


 【状態】をとことん受け止めてあげる。そして【行動】を自分で選択させる。これを繰り返すことで、殆どの問題行動は解決すると僕は思っている。

クラスのリーダー女子を敵に回して危うく学級崩壊になるところだった話

 新採で小学校3年生の担任をしていたときに、自分が上手く介入できず、事態を悪化させてしまったケースがあった。
 Yちゃんは比較的優等生タイプでしっかりしていて、クラスの中心的な存在だった。勉強も頑張っていたし、リーダーを任されることも多かった。
 あるとき国語の学習で、盲導犬について調べてパンフレットにまとめるという学習があった。その子は誰よりも早く仕上げて持ってきた。僕の失敗はその子のパンフレットを指摘したことである。たしか「こことここ直した方がいいね。」くらいの言い方だったと思う。今の自分なら絶対しないだろうなと思うけれど、それがそのときはわからなかった。案の定、Yちゃんは悪態をついて、聞こえる声で「めんどくさ。」を連呼した。僕はそれに対して激怒。最悪だった。
 さて、Yちゃんの行動をハリウッドメソッドに従って分析してみよう。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━【目的】認められたい
【障害】指摘されたこと
【葛藤】自分の気持ちを理解して貰えない
【状態】ひどく虚しい気持ちになる

▷▷▶︎【行動】悪態をつく
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 幸いにも、僕は自分がしたことを顧みて、まずその子がいち早く持ってきたことに対して褒めるべきだったと気づき、彼女に謝罪した。謝罪を受けて彼女の目から大粒の涙が流れ落ちたのを今でも鮮明に覚えている。自分がYちゃんの行動を狭め、追い込んだという認識がそのとき芽生えなかったらと思うとゾッとする。まだ2学期の頭とかだったと思うからね。

僕が思う「教師は役者たれ」

 「教師は役者たれ」とよく言うけれど、どちらの仕事もそれなりに真剣にやってみて、それは子ども騙しの演技や、大袈裟な振りではないと僕は思う。子どもの心の状態を極限まで理解すること。行動の背景に何があるのかを察知すること。そしてそれを言語化してあげること。教師と役者もやることは同じで、それは人間理解に他ならない。

 僕は子どもの【状態】については、深く問わないようにしている。【行動】の「理由」についても、【状態】と同じことなので、「なんでそうしたの?」「なんでやっちゃったの?」とかは聞かないようにしている。それが言語化できないからよくない【行動】に走る場合が殆どだからだ。【状態】は変えられないものだから、傾聴して受けとめるのが1番。逆に、「次はどうしたい?」とか、betterな【行動】についてできるだけ言語化させるようにしている。【行動】は、選択できるし、いくらでも選択肢はあるのだから。
 
 30年弱経って、妹ともすっかり仲直りした。3人兄弟そろって仲良しだと思う。あのときは叱られたけど、どうかウチの親を責めないでください!少なくとも僕以外の2人はびっくりするくらい優秀で立派な大人になった。素晴らしい子育てに感謝です。
 願わくば、人の【行動】の選択肢を狭めないような気持ちに余白のある付き合いをしていきたいものである。


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