伝統俳句とか現代俳句とか
私の師である辻桃子先生は、伝統俳句協会の理事をされています。
ということは、私の俳句は伝統俳句系ということになるのでしょうか?ちなみに、私は伝統俳句協会には入っていませんが、主宰が伝統俳句協会の理事をされているというと、「あー、花鳥諷詠ね」と言う人が結構います。
「伝統俳句系なんだー」と、境界線を引かれてしまったような疎外感を感じてしまうことも・・・
正直言って、現代俳句と伝統俳句の違いがよくわかりません。
伝統俳句の特徴(?)である花鳥諷詠を自然の事象だけを詠み込むと考えている方も多いようですが、花鳥の他に人事も入れることは、虚子自身が言っていたようですし、星野立子さんの句なんて、思い切り人間くさい句がたくさんありますよね。
正直、私自身も「俳句の基本は写生」だと思っています。でも、ただ単に自然の事象を眺めて句を詠むこととは違うと思います。
童子主宰の辻桃子先生は「写生で写生を超える」とよくおっしゃっています。一つのものをじっくりと観察することにによりその真実の姿が見えてくる。観察するのは自分ですから当然自分なりの視点になるはずです。
さらに、自分自身も写生の対象となる。わずか十七音の俳句だからこそ、自分の感情に踊らされることなく、言葉を選んで詠むことが大切。
今のところ、自分としては「客観写生」というものをそんなふうに理解しています。
この考え方は伝統俳句とか現代俳句とかに関わらず、全ての俳句の根底に共通するものであると思うのですが・・・
花札の坊主の山も明の春
あを短冊のあをあを並ぶ淑気かな
辻桃子/「童子」2018年4月号掲載
刃物もて眉ととのへて初鏡
辻桃子/「童子」2020年4月号掲載