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ペットロスを癒やす~あとがき(前編)~


発刊当時のあとがき

以下は、発刊当時(2004年)の「あとがき」主要部分である。

現在、A氏とは良好な遠い友人関係を保っている。私に起こったことを彼はまったく知らないし、私も話すつもりはない。セッションを重ねるうちに、かけがえのない大切な友人の一人として彼と接していきたいと思うようになったのだ。

思いもよらない出来事に次々と見舞われる時期が、人生にはあるのだと思う。それはいきなりやってくるので、どうして自分にこんなことがと、衝撃を受け、狼狽する。その渦中にいる間は、心が粉々に壊れてしまいそうなくらい苦しい。

私は自分が体験したことはもちろんのこと、自分という人間の何もかもが、いっとき、まるで信じられなくなった。それまで培ってきた一般常識や理解の範疇をはるかに逸脱・超越した出来事だったからである。

催眠状態で最初にセスと出会ったときは、あまりの衝撃に半月近く茫然自失の状態が続き、日常生活すらできなくなった。魂を抜かれた状態といえるだろう。いま振り返ってみても、非常に危険だったと思う。

ティアナの情報に触れたころは、彼女に自分を乗っ取られるのではないかという不安に繰り返し襲われた。ティアナと引き比べて、現在の自分や自分の身体が無価値な使い捨て容器に思われ、投げやりな気分に陥っては、それまで感じたことのないほど強い劣等感と空虚感にさいなまれた。

チャネリングとは、自分の精神と理解を圧倒的に超越した出来事に突然呑み込まれることである。無邪気にチャネリングに憧れる人もいるが、きわめて危険な現象だと認識してほしい。一歩間違えると、気が狂いかねない。

そうした只中にいた私を支え続けてくれたのは、親しい友人たちの言葉と態度だった。私に起きてきたことをともに理解しようとしてくれたのである。友人たちのおかげで、私は次第に本来の自分へと変化していった気がする。それは、未知の自分でもあり、目をそらし拒絶し続けてきた部分でもあった。そうした新しい自分のすべてを受容できたとき、はじめて、この体験を書き伝えたいと思ったのである。

友人たちの中にいて、こう実感した。人は、自分をまるごと受け入れてくれる人がひとりでもいれば、生きてゆけるのだと。

今後も私はひとりのセラピストとして誰かの役に立ちたいと思っている。私が周りに助けられたように、人が本来の自分というものを取り戻して生きてゆけるような手助けをしていきたい。次に私がセッションを受けるとしたら、ムーのことを心の底から知りたくなったときだろう。

いま、あなたの近くに、とても辛い体験や悲しみを背負っている人がいたら、そっと心を寄り添わせてほしい。かける言葉が見つからなくても、それだけで、その人は孤独ではなくなるから。そして、そうした身近な人から話をきくのと同じ感覚で、セスとティアナの伝言に耳を傾けてほしい。セスたちは、特別視されることを望んでいない。

この本を通して、あなたの奥底に眠っていた何かを少しでも揺さぶることができたなら、こんなに嬉しいことはない。

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。
                           森庭ひかる


セスとの再会 


以後、私はヒプノセラピーを一度も受けていない。だから、催眠状態でのセスとのチャネリングはこれきりである。
だが、2007年に一度だけ、私の目の前にセスが現れてくれたことがあった。犬を亡くしたときである。
動物と暮らしたことのある方なら、その子が亡くなったときの悲しみは、程度の差こそあれども、想像できるのではないかと思う。

犬二頭と暮らしていたことは、この拙著で書いた。日本犬ミックスの兄弟である。この子たちは、婚姻中から飼っていたので、離婚前のあの壮絶な修羅場も全部見聞きしている。それだけでも、怖い、かわいそうな思いをさせた。

離婚後、ひとりになった私は、暮らしていた長野の山荘を出て、この子たちを連れて東京に行き、犬二頭までOKのマンションを借りてセラピーをすることにした。長野の山荘は、ドのつく田舎にあり、ヒプノセラピーだけで暮らしていけないことは火を見るより明らかだったし、いっときでも、都会で自分の力を試してみたい気持ちもあった。

私は長野に移り住む前の約10年間を、東京・杉並で暮らしている。だが犬たちは自然豊かなこの森しか知らない。その子たちを都会のマンションに連れて行くことに申し訳なさを感じつつも、それも生活と自分の未来のためだと自分に言い聞かせた。

マンションの一室ではじめたセラピーは、クライアント様に恵まれて軌道に乗った。が、森に建つ山荘を思うたびに、家族を置いてきたような寂しさがこみあげた。犬たちの散歩で公園へ行っても、草木の匂いは気が抜けたように薄く感じられ、緑もくすんで見えた。私でさえそうなのだから、ましてや森育ちの犬たちにとっては、都会での生活は強いストレスだったろう。彼らはまもなく相次いで病気になった。

一頭が先に病気になってからできるかぎり山荘に戻る時間を作ったが、その子が回復することはなく、死ぬ間際まで苦しんで、朝、山荘で、私の腕の中で息絶えた。
この瞬間、私は奇妙な体験をする。その子の亡骸を両腕で抱いているにもかかわらず、私の背中を、その子が、「ねえねえ」と呼びかけるふうに足でひっかくのがわかった。元気だった頃の若々しい姿で、尻尾を振り目をくりくりさせながら、私の背中を何度も何度もひっかく姿が見え、実際にひっかかれている生々しい感覚があった。まるで背中に目があるように、それが見えたのである。

2時間後にはセラピーが迫っていた(東京と長野の二拠点でセラピーをする生活だった)。私は感情を凍結して泣くことを自分に禁止し、セラピーを終わらせた。
笑顔でクライアント様を庭先まで見送った午後遅くに、死んだ子のいる部屋に戻ると、残された一頭が、その子の目を舐め続けていた。何時間もそうやって舐めていたのだろう。両目とも、白目と黒目がへこんでいた。二頭は生まれてこのかた一度たりとも離れたことがなく、一心同体といえるほど仲が良かった。

死んだ子に寄り添い、「起きてよ」というように懸命に目を舐め続ける子を見たとき、私の中で張り詰めていたものがプツンと切れた。体から力が抜け、膝から泣き崩れた。残された子が不憫でならなかった。同時に、死んだ子を苦しめたという強い自責の念と悲しみに心が引き裂かれた。
東京になんか連れて行かなければ。もっと積極的に治療をさせていれば。全部私のせいだ。懺悔の気持ちに溺れそうになりながら、吐くように声を上げて泣き続けた。辛くて苦しくて、その場から動けないまま何時間も過ぎ、部屋が真っ暗になっても、立ち上がって電気をつけることができなかった。泣いても泣いても涙は止まらなかった。

そのときである。上から声がした。
「ぼくが連れて行く。安心して」
 見上げると、死んだ子を片腕に抱えて、セスが立っていた。死んだ子は目を閉じ、四肢をだらんと垂れていた。
「ぼくが連れて行くから」
 セスは私をしっかりと見て、もう一度言うと、暗闇の中に消えた。
どういうわけか背中が火をつけられたようにカァッと熱くなった。それから言いようのないほど深い安堵感が全身に広がっていった。
覚醒状態でセスを見たのは、これがはじめてであった。

こうしたことは、軽々に話すようなことではない気がして、胸にしまってきた。
私のせいで犬たちを苦しませたという自責の念は今もある。それはおそらく消えないだろう。残された子は、後を追うように翌年亡くなった。

ペットロスの方へ

長い間生活をともにし、喜怒哀楽を共有した動物を失う辛さが、骨の髄からわかる。だからこそ、愛する動物を亡くして、ペットロスという苦しさの中にいる方へ伝えたいことがある。

動物たちにとって、「死」は深刻なことではないようなのだ。一頭目を亡くしたあのとき、私が背中で見ていたように、彼らは死んだとたん、元気な頃の体に戻るらしい。私はそれから何度か自己催眠で二頭に会いに行ったが、そのたびに、彼らはじゃれあって、元気に遊び回る姿を見せてくれた。謝りたくて会いたくて会いに行った私をチラチラ見ながらも、遊ぶことに夢中なのだった。彼らは、死んだあとは、いい意味で飼い主に薄情なのだと実感でき、ひとりで泣き笑いをしたものである。

愛する動物を亡くした悲しみの沼から、這い上がれないままのクライアント様もいる。そうした方には、例えば前世療法など、本来の目的のセラピーの最後に、ペットロス・グリーフセラピーをさせていただいている。それは、私自身のこうした体験に根ざしている。

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2004年発行の拙著『前世療法でわかったアトランティスとムーの真実』(たま出版・森庭ひかる著)の改訂版です。古い本のため、原本は完売&絶版…

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