主体性がもたらす結果
私は高校時代、野球に打ち込んでいた。
決して上手とは言えないけれど、辛い、苦しい、悔しい、楽しい、嬉しい、高校野球を通じて沢山の経験をすることが出来た青春の1ページ。
中でも一番悔しい想いをしたのが、1997年の7月16日。夏の大会初戦。
あれから、27年。
偶然にも27年後の7月16日、たまたま県営球場の近くに行く用事があったので地元の高校同士の試合を観戦した。
どちらも野球に熱心な強豪校。甲子園の出場もある両校。
私の目からは、両校の力の差は無く、互角に見えた。
しかし、敗戦高校の1つの仕草がとても気になっていた。
それは、ピンチの時に、ベンチの監督を直ぐに見ること。
自チームの監督の指示や様子を伺っている。
一方、勝者のチームは、ピンチの時に、相手チームの監督のサインを必死に見ている。
ベンチにいる監督の指示を待つのか、それとも相手チームの監督のサインを自ら読みに行くのか。
この「主体性」の違いを感じた。
もちろん、自チームの監督の指示を聞くのは大事。しかし、その前に自分の意思を持って、監督の指示を待つのとは大きな差がある。
野球というスポーツは、1球1球静止して、サインを出すことができるスポーツ。
また、監督もベンチに入り、細かく指示を出せるスポーツ。
こんなスポーツは珍しい。
ほとんどのスポーツは、流れるように試合展開が繰り広げられ、その時その時の判断は、自らが選択しなければならない。
ラグビーの監督なんか、スタンドにいるしね(笑)
だからこそ、野球は、指示を出しやすいし、指示をもらいやすい。
それが怖い。
いつの間にか、主体性を欠き、自ら考える事をしなくさせてしまう。
仕事でも同じことが言える。
自分で考えて行動するのか、上の指示を待ち、指示通りに動くのか。
良い悪いは置いておいて、
私は、主体性を重んじたい。自分で悩み、自分なりの最適解を出す事を求めたい。
それがうまくいけば、確実に自信が生まれ、うまくいかなければ失敗という経験を積める。もちろん、致命的な失敗は組織としては出来ないので、最終判断は責任者がするとして。
「主体性」が「自信」という目に見えない大きな力を育むのだろう。
私もまだまだ。
もっともっと信頼して任せて、主体的に考えて行動するチームを作りたい。