「じさを荘」ときたま日誌① だれも住むことなく逝った父の家を「家族が集えるセレモニーハウス」として使ってもらっています。 遠目からいったい何の場所? 引戸の玄関には写真のように暖簾をかけ、和風旅館っぽい装いにしてもらっています。ご利用いただいている「あゆみセレモニー」のアイデア(スタッフの発案&デザイン)です。 父も変わったひとでしたが、一日一家族限定で「旅館みたいに寛げる場にしてもらおう」という川原さんもちょっと変わったひとです。 わたし(中のひと)の本業はライターな
実家を家族葬ホールとして利用してもらっています。先日、庭の大掃除をしてもらいました。 作業前、作業後の写真を写メで何枚も送ってもらいました。 が、あまりちがいがよくわからない(笑)。 できたら作業している人たちの後ろ姿でいいのでほしいです、とリクエスト。 「ああ、気づきませんでした」 と掃除をしていただいた社長の川原さん。いつも率先して前に立つひとで、下は、清掃後にライトアップされた、じさを荘。 ご利用いただいているあゆみセレモニーのHPもリニューアル(進行中)され、イメ
実家を、家族が時間をゆったりとすごせる家族葬ホールとしてご利用していただいています。 昔ながらの日本家屋で、二階は以前インタビューさせていただいたお坊さんに、本堂をもつことができるまでの間(いつのことか見当ついてないそうですが)代用で間借りしてもらっています。 東北の震災があった年に父がなくなったので、それも同じ3月だったこともあり12年めということで法要をしていただきました。 父の葬儀のときに、わたしが考えた戒名(ある宗教学者さんの本を読んで、へえー自分で選べるんかあと
「じさを荘」と父の名前を付けて、父がのこした家を宿泊も可能な「家族葬ホール」として利用してもらっています。 先日、練馬区の図書館の方たちが企画された「お葬式について考えてみませんか?」という催事に出ました。 司会役のCさんから「じさを荘」のことを、すごい豪邸なんですよ、ごーてぃなんです、て言っていただき(あ、デカイのはナンセ田舎だったからってことなんですけどね)、、なんと受けこたえしていいやらでアセリました(-_-;)💦 コロナ禍での葬儀の簡素化など、ここ数年の弔いの変化
「じさを荘」ときたま日誌 実家を「家族葬ホール」として利用してもらっています。 父が建てたままの家屋で、外観は昔風の民家。「ここ、なんですか?」ときかれることが多いですが、ゆえあってお泊まり可能な家族葬儀ホールにしています。 管理していただいている川原さんはくりくり頭で、クルマが大好き(霊柩車にレクサスを選んだり)で、さらに妙なところにこだわりがあり、それが、じさを荘にも反映されています。 葬儀会館といえば、四角いビルか、ここ前はコンビニだったなあという造りではない、時間を
「じさを荘」 ときまた日誌 実家を家族葬ハウスにして知り合いの葬儀屋さんに借りてもらっています。 葬儀屋さんには、お正月もゆく年くる年もない。クリスマスもどうだか。 と聞いて、ああ、そうなんや。 頭がさがる。 よく飲食店に入るとお正月やもんなあということがあるが、とくべつにお正月に働いたからといって、料金がアッブするわけでもない。そういう仕事。 実家を葬儀ホールとして利用してもらっている川原さんのところは、社員数人の零細企業。社長になってからは、大晦日の除夜の鐘は「お迎
「じさを荘」ときたま日誌 うちの場合、父がなくなって12年になるのだけど、まだ実家に骨壺のまま置いています。こういう場合、関西は骨壺が小さいのが助かります。 でも、そうか。今年はもう13回忌か。とくだんの信仰心があったわけでもないのに行事ごとだけはこまめに欠かさなかったひとだったから13回忌してほしいだろうなあ、父は。どうしょう? ずるずると「お墓をどうするか」決めあぐねているうちに、実家の二階の空いたままの部屋を「仮の本堂として貸してもらえませんか?」と知り合いのお坊
父がのこした家を家族葬ハウスにしています。 「じさを荘」ときまた日誌 鎌田くんの三回忌なので、花とお酒を書棚の祭壇に。 代島治彦監督の『きみが死んだあとで』の中に、同志で友人で連れ合いだったひとを弔うのに仏壇代わりに箪笥の上に祭壇スペースをこしらえ、酒瓶に紙を張りつけ家族や知人らの命日を書き込んでいた女性がいた。 同じようなことをしているひとがいるとわかって、あのときはなんかすごくうれしかった。その後に映画の本をつくろうとおもったのも、あの手製の仏壇を見たからだった。
熟しかけた柿が届きました。 今年は「じさを荘」の柿が実ったそうです。以前はいったい何が入っているのだろう?という大きな箱に数個でしたが、今回は6個。ピッタリ収まっていて、形も均等でした。 「今年のはけっこう多くなったので、選別したんです。ええ。美味しいと思いますよ。20個くらいなったんで、ぼくも食べさせてもらいました。とくに何もしてないのに2年に一回くらい実がなるってすごいですねえ」 と川原さん。 実家を「家族葬ハウス」として利用してもらっている「あゆみセレモニー」の社
山本おさむ『父を焼く』(原作=宮部喜光)を読む 「じさを荘ときたま日誌」⑤ 父がのこした実家「じさを荘」を、空き家利用で家族葬専用ハウスとして使ってもらっています。そんなこともあり、「弔い」がテーマの作品を自然とよく手にします。 『父を焼く』(山本おさむ・原作=宮部喜光・小学館)は、天袋にしまっていた両親の遺骨を樹木葬の墓地に納骨するために出かける。その日から遡り、主人公の目で描かれる家族の話です。 語られる父は「巨人の星」の星一徹のようなというか、まあ困った父(日雇い仕
「じさを荘」ときたま日誌④ 柿の季節です。 父がのこした家を家族が集える葬儀ホールにしています。 その「じさを荘」の庭にも、柿の木が1本あります。気まぐれに隔年くらいに実をつけることがあり、「家族葬ハウス」として使ってもらっている川原さんが「収穫しました」と送ってこられたことがありました。 なんとも川原さんらしいのは、宅配便を使い、大きなダンボールの箱が届いたので、これ何?とびっくりしながら開けてみたら、山盛りのクッション材。中を掘り起こすと不揃いの柿が7、8個。宝さがしの
「じさを荘」ときまた日誌③ 「すごいプランがあるんですよ」 フフッと笑いをおさえながら話しだす川原さん。まだコロナ禍が世界をおおう前のことだ。自前の葬儀ホールも4館に増やし躍進しようという頃だった。 隠し球があるんです、と言う。まだヒミツなんですけどね、とも。如何にも聞いてほしそうな顔つきだった。 それはなに? 川原さんがスマホを操作して見せてくれたのは、白い超高級車。レクサスのナンタラという車種で、関西では数台しか出回っていない。話す声がおどっている。 「新車やなく
「じさを荘」ときたま日誌 ② かれこれ30年ちかく東京住まい、父が建てた関西の実家を「葬儀会館」として使ってもらっていることは前回書きました。 きょうは、その家を借りてもらっている「あゆみセレモニー」の社長・川原さんのことを書きます。楽天イーグルスの嶋選手(現ヤクルトスワローズ・先日惜しまれつつ現役引退)にちなみ「嶋さん」と呼んだりしていると以前書きましたが、最近は通天閣のビリケンさんにも似てきています。 「あのう、、」(ちょっと重たい切り出し口調のときには、これはよくない