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多いか少ないか

多数派か否か

現在放送中の「虎に翼」で韓国人青年が放火の疑いで逮捕される話が出てきました。
この話、韓国人、日本人という話ではなく、その地で暮らすコミュニティにおいて多数派か否かによって警察(権力)からの扱われ方が異なるという現在においても根絶できていない話です。
世界は多様性を認め合う世界を目指していますが、人類にとっては難しいことだから目標として掲げなければならないという残念な現実があります。
それぞれの人の違いというのは、男女またはそれ以外、老若、国、組織、美醜、健常者と障害者、学歴、地域、都会と田舎、歴史的背景等様々です。
長く生きているとその人のカテゴリというよりも最終的にはパーソナリティに強く依存するんだなとつくづく思います。


普通の感覚

僕はいつも「普通~」と話してくる人を目の当たりにすると違和感を覚えます。
少し間をおいて考えます。
それはあなたにとっての「普通」だよねと。
よく知る人物であればその人の「普通」の背景を知っているからある程度理解が出来ますが、知らない人の「普通」はその人自体のことを知らないので、その人にとっての「普通」も分かりません。
だから「普通」を持ち出した人が感覚から発言しているのか、正論で説き伏せようとしているのか図りかねます。
「普通」を共有することは難しいと思います。
とくに今の時代は価値観も多様化しているので、「普通」という感覚が共有できるものなのかと思いますし、多様化を求める世間の流れと逆行しているようにも感じます。
同調圧力と捉えられることもあると思います。
だから話し合うこと、認識を確認しあうことって大切です。
普段仕事をしていても思います。
新人とベテランの仕事の進め方は練度の差もありますが、世代間のギャップを感じることが多いです。
これは注意しなければなりませんが、ここでいう新人は社会人一般の新人ではなく、僕が一緒に仕事をしている新人という個人についてということになります。
でも、ここまで書いていて思うのは多様性が求められる時代に配慮しながら発言することって難しいし面倒だなと思いました。
敢えて配慮していない体で発言する方が文章としてはスッキリと簡潔になるんじゃないかと思いました。
読み手の認識に任せる作戦です。
それなりの文字数があれば書き手が何を言っているかをnoteの読み手であればくみ取ってくれるはずです。

老若

若い人と年配の人の感覚、価値観の違いはいつの時代も愚痴や文句の対象になります。
一般的には世代間ギャップと呼ばれます。
親と子供の年齢差およそ20~30年のギャップでしょうか。
僕自身の短くない人生を振り返っても20~30年の時間の隔たりは感覚のみならず社会の変化が凄まじいです。
これは結局良い悪いの話ではなく見てきた世界(インプットされる情報)が異なるので違うのが当たり前である前提で考える必要があります。
よく言われることですが既成の価値観を打ち破るのは「馬鹿者、若者、よそ者」と言われます。
これからはおそらくこれらに該当する人達が既存のビジネスの常識を打ち破った新しいビジネスを日本国内で展開するはずです。

よそ者

その中でも「よそ者(外国人)」の起業家が日本で多く生まれてくるはずです。
外国人は日本での起業に意欲的です。
申請等のわずらわしさや言語の問題はありますが、日本には外国人でも起業できる自由があり、資産の所有も自由です。
しかも人口減少しているとはいえ日本は単一民族で1億2千万人という規模があります。
世界的にみると1億2千万人というのは人口が多い部類です。
また日本は先進国のすべてが抱える高齢化問題最先端の国という特色があり、この国で成功したビジネスは他の先進国に持って行っても成功する可能性が高いのです。

健常者と障害者

質問、「障害者=善人」でしょうか?
最近は、身体障害者を社会の中でよく見るようになりました。
但し、これは見た目で障害者と分かる人を見る機会が増えたと言った方が正確です。
インフラの整備が進んだということもあるでしょうし、制度上の整備がすすんだということもあります。
そんな情勢もあり先日こんな風景を見かけました。
駅のバスのロータリーでサックスを演奏している人の音のせいで聴覚障害の人が駅のアナウンスやバスのアナウンスが聞こえずらいと、どこかへ携帯電話で苦情を言っていました。
市バスに乗りながらです。
この情景を見ながら「う~ん」と思いました。
電話をしていた聴覚障害者をこのことをもってただちに「悪」というわけではありませんし細かい事情は分かりませんが、少なくとも公共交通機関の中での携帯電話の通話は障害者だから守るのが難しいということではないので守ってほしいと思った次第です。
そこには健常者、障害者という区別ではなく守る人、守らない人がそれぞれ存在するということなんですよね。
結局、個人によるということです。

まとめ

まとめと小見出しを書いたはいいけど、今回の記事はまったくまとまりに欠けるものになりました。
属性で個人を見てはいけないけど、そういう自分もカテゴライズされているんだということは自覚しておく必要が日々の生活の中ではあります。
僕は割と年齢なりの世間の印象に抗うつもりは全くないので、良くも悪くも普通のおじさんです。
世間一般のおじさんの印象さえ心得ておけば、そこからはみ出すことも楽しさの一つになります。
ということで今回はこの辺で。

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