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note式書いて手離れるのすゝめ

noteを始めてもうすぐ丸2年。
2年前の自分と今の自分で変化したところが一つ。

こすり過ぎてだぶついた目の周り?
 yesだけどNono!

食いしばりによる顔面の肥大?
 それもyesだけどNono!

じゃあこれか!明らかに落ちた視力!どうだ!持ってけ泥棒!
 yes yes! いやNono!

茶番はここまで。
答えは「」、心に蓄積されていた感情の澱が減っている。

実態をとうに失った
辛かった
悲しかった
嫌だった
怖かった
そんな感情の澱。
心を覗けばいつもそこにいた澱が一つ、また一つ手離れて行った。

握り締めていた感情の澱を、noteの岸辺でそっと離す。寄せては返す波に揺られ、揺られて、インターネットの大洋に流れついた澱は、そのまま藻屑に。

過去の経験は消えないけれど、感情が消えている。それに気づいた。

これ、noteの効用。

今、noteで書いている多くの方が実感しているんじゃないかな?と思っていたのだが、こんなコメントを頂いた。

たぬきちさんのように書くことがないから手離れない私の遠い記憶

oさんのコメント

一つの投稿にするのは難しいこともあると気づく。

でも、こうやってコメントにポロリポロリと自分の話を書くことでも、握り締めた指の力は確実に緩んでいる。

その気はなくとも、力が緩めば、ぼとっぼとっと勝手に澱が溢れ落ちる。そうなればしめたもの。

そこで、ご提案。
コメント書いて感情が手離れるのすゝめ!

よかったら、「こんなことあって」ってポロッと感情離していってください。

こんなことあったなとあなたの経験にも引っかかりそうなエピソードいくつか置いておきます。
そんな経験無けりゃ無いでよし。
書ける方は、ご自身のnoteで記事にするのが尚よし。

ちょっと、そんなこと思いついたのでした。

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はたらくたぬきち
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