宇宙のコンビニ
『鬼の足』
ひとの嫌がることをして、喜ぶものがいる。苦しんだり、悲しむ顔を見るのが、嬉しくって仕方ない。鬼の心を持つと、しだいに体をおかされ、自分ではどうしようもなくなってしまうから、恐ろしい。こんな心は、『鬼の足』で踏み潰し、きれいさっぱり消してしまうことができる。
鬼の消えた後は、空気すら清々しく感じられるだろう。
シスターが、宇宙のコンビニにやってきた。体がカーテンのように透け、瞳は星のきらめきを帯びていた。
「わたしは、『良心』です。」
シスターは、ひどく苦しい表情を浮かべ、囁いた。
「いらっしゃいませ、お客様。何をお求めでしょう?」
私は、宇宙のコンビニの店長。足も影も持たぬお客様が、消え入りそうなので、しっかりと目を見開く。
「わたしは、神に仕える身でありながら、ひとには言えない罪を、日々犯し続け、やめられないのです。」
シスターの良心は、しばらく口をつぐんだ。あたかも、自ら犯した罪を振り返っているが如く。
「ある朝のことです。わたしはゴミ当番で、臭くて重い生ゴミを捨てにいかねばなりませんでした。でも、ゴミ捨て場は遠く、わたしは疲れていました。
辺りには誰もいません。夕方だったのです。ふと、隣の家の裏庭が、目に映りました。手入れの行き届いていない、ごみごみとした庭です。わたしの心を誘惑がつかみました。生ゴミをそこに捨てて来てしまったのです。
その家の人は、大変な変コツ人で、村の人から好かれていませんでした。嘘つきで、ひとの嫌がることをするのが趣味のような性格だったのです。もちろん、お祈りの日にすら、姿を現しません。少し位は、天罰が当たって当然と思われました。
一度捨てれば、次はもっと平気になりました。何度も何度も捨てる内、その人の表情に陰りが見えるようになりました。苦悩の様子が眉間に筋になって現れ、曲がった背中から、にじみ出ていました。わたしの心に、ひそかに小気味良さがわいてきました。なぜなら、その人のせいで、痛い目に遭った経験を思い出したからです。わたしの他にも、その人の被害に遭った人は大勢います。みんな、心の底で『良い気味だ』と嘲笑っているのが、見て取れました。
だから、誰も、その人の裏庭に生ゴミを捨てている犯人を見つけようとはしなかったのです。」
シスターの良心は、一気に告白し、ふ、と大人しくなった。
「わたしは、生ゴミ以外にも、犬のフンや空き缶等、およそひとの嫌がる物をわざと、今度はその人の家の玄関前に置いていくようになりました。
次第に、その人の困りきった顔や悩んで青くなったしわくちゃの顔を見るのが、ゾクゾクするほど、楽しくなったんですもの!」
シスターの良心は、顔を覆ってしばらく伏せたままでいた。
「わたしは、鬼の心を生んでしまった。もはや、神様の前に出ることすらできません。」
私はシスターの良心の肩を叩き、
「こちらへどうぞ。あなたを救うのは、あなた自身の行動だけです。」
と言った。
店の奥に深い沼が佇んでいた。その沼には、蓮の葉が円く浮かび、白々とした花を咲かせている。時折、沼の底からあぶくが浮き、ぼちゃん、と何かの跳ねる音がした。
「ここにあなたを救うものがあるでしょう。」
私の言葉に、シスターの良心は、ズブリズブリ、沼に入って行った。
それからしばらく経ち、突如、大きな足が水面から突き出した。
「これです! これを探していたのです!」
シスターの良心は、足をつかんだまま、岸へ上がってきた。足には剛毛が生え、黄金の爪が乗っている。
「これは『鬼の足』。醜い心を踏み潰し、消してしまえるのです。」
私が説明した。
「踏み潰されるべきは、わたしでしょう。おお、神様!」
シスターの良心は、『鬼の足』を両手で自分の頭上にかざした。
「お待ちなさい!」
私は、シスターの良心の手から足を取り上げ、
「代金をお支払いください。」
と、言った。
「わたしにお金はありません。すべて神に捧げましたから。」
シスターの良心は、厳しい顔で答えた。
「では、これを頂きましょう。」
シスターの良心の額にあったホクロを、指でつまみ取った。
「それでよければ、いくらでも。わたしの体には、大小100のホクロがあるのですもの。」
シスターの良心の、目の下にも鼻の頭にも手首にも、ホクロがちりばめられている。
「これ一つで結構。十分、足ります。」
そのホクロは、年月かけ世話をしてやると、やがて小さな星になる。小さいながら、トカゲやシダ植物などが住み着き、見ていて楽しい。
私は、そのホクロをガラスの瓶に落とすと、シスターの良心に『鬼の足』を渡した。
シスターの良心が『鬼の足』を振りかざし、手を放した。『鬼の足』は、シスターを踏み潰し、村中の人々を踏み潰していった。村には、悲鳴ひとつたたず、物静かに午後の鐘が鳴った。
誰も彼もが、今、初めて目を覚ましたように清々しい気分で、自分たちの村を見渡した。そして、村のあちこちに散らばったゴミに気付き、一人、又一人とゴミを拾い出す。
今日は日曜日。のどかで安らかな風が、人々の間を心地よく吹き去って行った。 (おわり)