宇宙のコンビニ
『高速シューズ』
速く走れることは素敵だ。ぐんぐん風を追い越し、向こうに見えていた景色が後ろにさがっていく。気分爽快、汗も心地よい。
この『高速シューズ』を履けば、どんなに走るのが苦手な人も、目にも止まらぬ速さで駆け抜けることができる。
速すぎて、目標を見失わないよう、ご注意。
マラソン選手が、宇宙のコンビニにやってきた。肩で息をし、
「もっともっと速く走れるようになりたいのです。」
と、言った。
「いらっしゃいませ、お客様。すでに十分速いではありませんか?」
私は、宇宙のコンビニの店長。マラソン選手を迎えて言った。
男の足は、中年の頃を過ぎようとしていたが、かなりの速さで動いていた。止まることを好まぬようで、絶えずパタパタと動き続ける。
「ああ、速いとも! 世界一速いさ! だが、昨日より、ちょっぴり遅くなった。わかるんだ、この前の誕生日以来、毎日足が重くなり、走るのが、そう、ほんのわずかだが、苦しくなってきた。このままいけば、じき、私は誰か、若い選手に追い抜かれる。わかるか? 世界一じゃ、なくなるんだ。」
彼は、足の速度を落とし、肩も落とした。
「歳を取る速度を追い越して走れたら、いいのだけれど。」
とたんに彼の顔のシワが深くなったように見えた。
「世界一は、みんなに平等にチャンスを与えられています。独り占めは、贅沢過ぎます。」
マラソン選手は、激しく首を振った。
「いやだ。」
「では、どうぞこちらへ。あなたの望みの物が見つかるでしょう。」
私は、彼を店の奥の洞窟へ案内した。
「ここは走りにくいなぁ。暗くて、頭をぶつけそうだ。」
マラソン選手は、小刻みに足を動かし、洞窟の奥へ入って行った。
静かに時間が流れた。待ちくたびれた時、小刻みに足音が響いてきた。
「こんなおあつらえ向きはないでしょう。」
彼は、一足のシューズを手にぶら下げていた。
「それは『高速シューズ』。履けば、超高速で走ることができます。」
「いくらだ?」
マラソン選手は、食らいつくように尋ねた。
「金なら、遣わず貯めてきた。私には、走る以外、生きる望みがないんだ。金があったって何になる? 新しいシューズの代金以外に?」
私は、首を振った。
「あなたが、お金に価値を見いだせないように、私も他の、もっと価値のある代金を求めます。お金と名が付くものは、信用がありません。絶えず他人の手から手へ渡り歩き、腰を据えない。できれば、ずっと胸に残り、輝き続ける物を求めます。」
私はそう言うと、マラソン選手の髪の中に、光る小石を見つけた。
「これを頂きましょう。努力の結晶です。なかなか手に入りません。」
「努力が報われた、そういうことだな。」
マラソン選手は、にやり、と笑んだ。そして、『高速シューズ』を片手に、サッサか宇宙のコンビニを去って行った。
マラソンの世界一を決める大会が開かれていた。
「位置について、よーい、ドン!!」
パァーン、合図と共に、選手が走り出る。
「わぁーー!!」
選手は、猛速度で走り、新しい世界一が決定する。
「一人、足りない。」
前回の世界一の選手の姿が見当たらない。確かにスタートを切り、走り出したのに。誰もが見ていて、間違いはなかった。
彼は、いた。走り、とっくの昔にゴールを過ぎていた。ただ、そのあまりの速さに、景色は薄れ、ゴールを見失い、また、彼自身も人の目に映らなかった。
彼は風を追い越し、嵐と競争し、どことも知れぬゴールへと向かい、走り続けて行く。
(おわり)