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仕事の修羅場で呟いた
サラリーマンやってると、いろんな事が歪んで見えてくる。
仕事で必要な事が割と明確にされてわかりやすいんだけど、なんだかそれが総てのような気持ちになる。
この感覚に気がつくのに20年は掛かった。
制約の多い職場だとルールが細かいし、時になんでこんなことするの?と疑問に思う事は多い。
さらにそこで一緒に働いている人々からの同調圧力もあるし、そこの「正解」に導かなければ否定されるか、訂正の圧力が凄い。
あまり自分の意識を持たずにそんな職場に入ってしまうとつい「正解」を探してしまい、最後はとにかく終わらせばいいんだとそもそも取り組んだ意味も意義もどうでも良くなってただ否定されるのが嫌なだけの行動をとってしまう
こう言う時の職場の「正解」って割と精密に出来ていてまぁまぁ合理的で論理的に建てられて作られてるから、信頼はできるんだけど、自分が確信を持ってないしんどくなる。何故かと言うと自分が心から理解してないからだ
私はたくさんの失敗や誤りを繰り返してきた。小さなミスから騒がれるほどの事までやらかした。別に悪意を持っていたわけではない。
うっかりやったり、想定を超えたり理解不能だったり要因は様々だ。
ある時、自分の職場で大きなミスが発生した。対応は夜を徹して行われてなんとかリカバリした。仲間のちょっとした手抜きが仇になったのが引き金だった。
そこに至った背景はいろいろあるにせよ事後処理は大変だった。
あちこちの関係部署に謝罪をし、罵声を浴びまくり平謝りの日々だ。被害を被った部署からは容赦ない人格否定が行われた。
本人たちはそのつもりはないだろうけど、そのようにしか受け止められなかった。
また職場の身内の中からも非難や疑問が投げかけられた
そんな時、なんとなく私はつぶやいた
大丈夫、死にはしない
逃げ場がない気がした。
修羅場と指摘されると、考えることをやめてしまうかも知れないと思ったんだ
要するに視野が狭くなってしまっていたんだ。
だけど、本当にそうか?そこまで怒られてもやること変わらないぞ。
本当はいち早く正常に戻すことと二度と起こさないような仕組みを講じる事をしないといけないんじゃないのか?
と言う思いが湧き立ち、
この人たちは何か取り憑かれるように無駄な資料作って誰かが納得できるような「正解」を演出してるに過ぎないんじゃないか
と感じたのだった
まぁ、そこは儀式みたいなもんだから付き合ってはあげるけど
本質はそこじゃないと、強く強く強く思った
いろいろペナルティはあるけど、いちいち怒る相手に合わせていたらしんどいだけだ。
そんな時に
死にはしない、 ちゃんとやれば行ける
ってつぶやいていたのだ
思い込まされると視野と狭くなって辛さが増すけど、咄嗟に出たこの言葉は今でもたまにつぶやくことがあるかな
もし自分が追い込まれていた時は
少し離れて物事を見る事が大切だと思う。
なんだかんだと言っても命までは取られないしね。
この章はここまで