日本を知らない中国人
「反日意識」の土壌
ご存じのように、最近、中国で、日本人の児童が襲撃される事件が立て続けに起こっている。
まず6月に蘇州で、中国人の男が日本人の母親と男の子らを刃物で切りつけた。男はさらに下校中の日本人児童らが乗るスクールバスに乗り込もうとし、それに気付いた乗務員の中国人女性胡友平さんが男性をつかみ後ろから抱きかかえて制止しようとしたところ、男に複数回刺され死亡した。
続いて9月には、深圳日本人学校に通う日本人男児が、母親に付き添われて登校中、中国人の男に刃物で襲撃され、死亡した。
小さな子供を持ち、中国で暮らす私にとっても、他人ごとではない、凄惨で痛ましい事件だ。
日本では、今回の一連の事件の背景として、中国で行われている「反日教育」や、「日本人学校はスパイ養成校だ」といったデタラメな情報を流す動画の存在などがあるのではないかと指摘されている。
犯人の動機については、いずれの事件についても、中国政府が全く公表していないので、犯人が本当に日本人をあえて狙ったのかどうかはわからない。だが、犯人の動機がどうだったかに関わらず、中国のネット上では、SNSや動画サイトで一定のいわゆる「反日的」な言動が見られるのは事実だ。
そこで今回は、かなり大きなテーマになるが、こうした「反日意識」があふれる中国の現状を少しでも変える方法があるのか、考えてみたい。
まず、こうした「反日意識」が中国で広がりやすい土壌として、「中国人がいかに日本や日本人について知らないか」という話を、私が中国に長く滞在してきて経験から書いてみたい。
「漢字が書けるの?!」
私が中国に滞在し始めたのは、もう、20数年も前になる。当時、私は中国のある内陸部の都市にある大学に留学した。
当時、中国人の大学生たちと交流する中で、多くの人に同じことを言われて驚いたことを今でも覚えている。
「日本人なのに漢字が書けるのか!」
「日本人なのに箸が使えるのか!」
私の留学していた大学は、中国でも10本の指に入るような、中国では比較的有名な大学だった。つまり、そのような大学に通っている学生でも、ほとんどの人が、日本人が漢字を使うことや、箸を使うことすら知らなかったのだ。
もちろん、日本人も、私のように中国と関わりの深い人間を除けば、どれだけ中国のことを知っているかと言えば、知らないことも多いだろう。しかし、さすがに中国で漢字を使っていることや、箸を使っていることを知らない日本人は、ほとんどいないと思われる。
それでは、例えば、中央アジアのどこかの国の人々が、どのような食器を使って食べているか、どのような文字を使っているか、と聞かれたら、わからない日本人も多いだろう。それは、恐らく、日本人の中で中央アジアの国と接点がある人が相対的には少なく、マスコミなどでも報じられることが比較的少ないからだと思われる。
つまり当時、中国人にとっては優秀な大学生も含め、日本という国は、日本人にとっての中央アジアの国々のように、遠い国だったのだ。
しかも、当時は、改革開放が始まって、すでに20年近い月日がすぎ、この大学があった内陸部の都市も含め、多くの日本企業が中国に進出していた。それでも、このような状況だったのだ。
こうした、日本や日本人についての認識がほとんどない中にあって、中国で頻繁に放送される抗日映画(かつて中国を侵略した日本軍の残虐性や、それに対する中国人の英雄的な抵抗を描いたような映画)や抗日ドラマばかりを見ていれば、日本や日本人に対する認識は、それだけで埋められていくことになる。
「日本人怖い」
それでは、それから20数年が過ぎた今、状況は変わったのか。一つ、最近あったエピソードを紹介しよう。
昨年、出張で中国の国内線に乗った時、おばさんと隣り合わせた。そのおばさんは、私に対して、どこの出身なのかなど、気さくに聞いてきた。私が日本だと答えると、おばさんは「ええ!日本人?怖い」と言い出した。どうして怖いのかと聞くと、日本人のイメージは、抗日映画に出ている日本人のイメージなのだという。
いろいろ話していると、彼女は日本人と話すのは、生涯で初めてなのだと言う。彼女の出身地を聞いたところ、昔、世界地理の授業で必ず出てきた、「ターチン油田」で有名な、中国東北部の都市、ターチン(大慶)の出身だった。ターチンに進出している日本企業というのは、聞いたことがないので、調べてみたが、アウトソーシングの会社が1社進出している以外は確認できなかった。このような環境なので、彼女は生涯で日本人と接する機会がなかったのだろう。
中国にいる日本人は、かなり数が減っている今でも、10万人程度いるが(https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100593343.pdf)、広大な中国にあっては、このおばさんのように、日本人と直接、接したことのない中国人の方が大多数だろう。
ちなみに、このおばさんとは、その後いろいろ雑談をし、おばさんの日本人に対する「怖さ」もすっかり消えたようだった。
結局、映画やドラマ、SNSなどでいろいろ言われても、フェイストゥーフェイスのコミュニケーションが与える影響に勝るものはない。やはり、リアルの力は最強だ。
リアルな交流こそ唯一の処方箋
では、中国人の「反日」意識を弱めていくためには、どうしたらいいのか? 日本では、「中国政府に日本人学校に関するデタラメな動画を削除するよう、要求すべきだ」といった意見も見られるが、そのような要求に、仮に中国政府が応じたとしても(応じることは、まずないと思われるが)、さしたる効果があるとは思われない。なぜなら、多くの中国人が日本や日本人について基礎的な知識すらなく、直接接したこともないという土壌の中にあっては、一時的に動画を削除したところで、繰り返し同じような動画が出現し、それを多くの人が信じてしまうことは避けられないからだ。
結局、私が考える唯一の処方箋は、とにかく中国人と日本、日本人とのリアルな接触を地道に増やしていく、これに尽きる。
コロナ前は、多くの中国人が日本を訪れ、「爆買い」で有名になった。その後、コロナや原発処理水の問題があり、日本に行く中国人観光客は大きく減り、今でもコロナ前の人数を回復していない。
それでも、現在は、再び中国人観光客は増加傾向にあり、今年の国慶節(中国の建国記念日)の大型連休は、中国人の海外旅行先で日本はNo1となった(https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM11AGF0R10C24A9000000/)。これは推測だが、処理水を「核汚染水」と呼ぶなどのネガティブキャンペーンにも関わらず、実際に日本に訪問した人からの口コミなどが、それ以上の力を持っているからだと思われる。
それと、もう一つの追い風は、中国人がどんどん豊かになっていることだ。かつては、日本に行く中国人観光客が増えていると言っても、日本に行けるのは、中国の超富裕層に限られていた。数年前まで私のいる会社の中国人の中で、日本に旅行に行ったことがあるという人はほとんどいなかった。
しかし、中国では、私のいる会社でも、毎年5%以上のペースでベースアップしてきた。現在では、幹部クラスの給与は日本の一般社員の給与を超えてきている。そのような中で、最近は管理職で、日本に家族旅行に行く人も出てきた。中国では、ごく普通の企業の管理職でも海外旅行に行ける時代になったのである。
もちろん、誰でもが日本に行けるわけではない。それは、日本人でも誰でも中国に旅行に行けないのと同じだ。しかし、日本に行く人が増え、日本で楽しい体験をしたり、生身の日本人と接する機会を持つ中国人が増えれば増えるほど、日本のリアルなイメージが口コミで広がる。それが、「反日教育」やデタラメ動画、処理水などのネガティブキャンペーンで作られた一面的な日本と日本人のイメージを徐々に溶かしていくはずだ。
だから、2回に渡る日本人の殺傷事件後、SNSなどでは、「中国に進出している日本企業は、このような恐ろしい国から一刻も早く徹底しろ」とか「中国人観光客は来させるな」というような、過激な意見も散見されたが、むしろ全く逆だ。日本政府が中国人観光客にもっとたくさん来てもらう方策を考え、日本人と中国人のリアルな交流を増やしていくこと。これこそが、中国人の日本イメージを変える一番の対策になる。もちろん、日本政府は主に経済対策として海外の観光客を誘致するわけだが、これが、中国人に日本の本当の姿を知ってもらうという効果も発揮するのだ。
そして、もう一つ知っていただきたいのは、中国に進出している企業は、日中の懸け橋としての役割も果たしていることだ。私は中国に進出している日本企業というのは、ある意味で「奇跡の場所」だと思っている。なぜかと言えば、政治的には、日中関係が緊張したり悪化しても、中国にある日本企業の中では、中国人も日本人も常に一つの目標に向かって一つのチームになって努力しているからだ。これは、国家間の関係がどうなろうが、揺らいだことはない。企業と言うのは、そういう国境を越えたチームを作り出す、不思議な場でもあるのだ。
だから、「中国は危ないから、中国から撤退しろ」などというのは、愚の骨頂な意見だ(もちろん、そのような判断をする企業はありえないだろうが)。
2つの悲劇に刺激されて、中国や中国人に怒りを向けても、悲劇はなくならない。リアルな交流、本当な日本の姿を知ってもらう機会を増やすこと、この地道な努力を続けることが、遠回りのようでも、悲劇を起こさないことにつながる。
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