萩の歌 二首


秋の七草のひとつ、萩を詠んだ和歌を二首ほど紹介してみたいと思います。

①秋の野に 咲ける秋萩秋風に
    靡ける上に 秋の露置けり
     (大伴家持  万葉集 巻八 1597)
意味 
『秋の野に咲く秋萩の花、秋風に靡く中、その花に秋の露をのせている』

「秋」の音を4回使いリズム感のある歌ですね。
私的にもとても好きな歌で、この韻律を真似た短歌をよく作ります。
この歌の素晴らしいところは『秋の野』から『秋萩』そこへ吹く『秋風』ヘ。
更に花の上にのる『秋の露』ヘとまるでズームカメラのように焦点を狭めているところです。
こういう技法は現代の映画やTVドラマ等でも使われていますね。
例えば物語の舞台となる街を紹介する為、まず宇宙から見た地球を映し、どんどん下降して最終的にはその街の真上に視聴者がいるみたいな。
また、注目すべき点は「秋風に靡く萩の上の露」だと思います。
萩という植物は枝が細く殆どが枝垂れて花を咲かせます。
その上に秋露がのり、更に秋風が吹いているというのですからかなり不安定な状況。
露を落とすまいとしている萩に感動したのか、萩にしがみつくように留まる秋露に感動したのか解りかねますが、当時の大伴家持自身の心境も歌に盛り込まれているのではないでしょうか。
時代は政治権力の陰謀渦巻く天平時代。
代々朝廷の舎人だった大伴氏は権力闘争において不利な状況に追い込まれ、父、旅人の死後、一族の長となった家持は現在『万葉集』の編集者と云われているにもかかわらず、地方を転々とする役人になっていました。
そんな不安定さを風に靡く萩やかろうじて萩に留まる秋露に我が身を例えたのかも知れません。
そして、彼の没年は政治の中枢で活躍する事なく延暦3年延暦3年(784年)陸奥国、多賀城とされていますが、長岡京で起きた反乱に加担したと疑われ、埋葬もされなかったそうです。

②萩が枝の露ためず吹く秋風に
        牡鹿鳴くなり宮城野の原
     (西行法師 山家集 秋 430)
意味 
『萩につく露を散らす秋風を愁いているのだろうか、牡鹿の鳴く声が聞こえる宮城野の原』

多分、この歌は上記の大伴家持の歌、そして生涯を意識して詠まれた歌だと思います。
『露ためず吹く秋風に』は『秋風に靡ける上に秋の露置けり』と反対の事象を表現しているのではないでしょうか、。
周知の通り、西行法師は平安時代末期の歌人で
元々御所を警護する武士でしたが、若くして出家し、陸奥国平泉ヘと旅に出ています。
この歌は現在の宮城県辺りに達した時にその地で亡くなった大伴家持を偲び詠んだものかと。
宮城野は当時、都では萩の花が多い土地とされていました。
また、「宮城野」は多くの歌人に歌枕として使われて来た言葉です。
殆どの歌人は実際に訪れもせず「宮城野」を詠んでいますが、西行法師は実際に陸奥国を旅して詠んでいますから心なし実感が伝わります。
ちなみに三大歌枕と云うものが有るらしく、
一番は山城国、二番は大和国、三番が陸奥国なのだそうです。
話を歌に戻すと、「萩についた露を散らす風」の表現に東北地方の秋らしい荒涼感が出ていると思い、大伴家持の歌を重ねると更に深みが出るような気がします。
「牡鹿鳴くなり」秋は鹿達にとって恋の季節ですが、この歌では望郷の念にかられたまま亡くなった大伴家持の事を思わすにはいられません。

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