『小説 小野小町 百夜』語り 二 衣の川
高樹のぶ子氏著 『小説 小野小町 百夜』語り その二 です。
秋の夜も名のみなりけり逢ふといへば
ことぞともなく明けぬるものを
古今和歌集 卷十三 635 小野小町
小説ではこの歌が詠まれたのは小町が母である大町と別れ、雄勝城から都に移り住んで四年後、天長十年(824年)仁明帝が即位した頃という設定になっています。
父、小野篁(おののたかむら)の尽力でまだ幼い年齢でしたが小町は仁明帝の女御、滋野縄子(しげののつなこ)の下に使え、後宮の麗景殿(れいけいでん)に上がる事になります。
とある日、麗景殿へ久しぶりに仁明帝をお招きしてナデシコの花を愛でる宴が開かれました。
撫子の花を詠みその花についての思いを語り合う中、帝が「一本のなでしこ植ゑしその心・・このゐにしへの歌の下の句はいかがであったか?」と問われます。
すると小町が控えめに「・・誰に見せむと思ひそめけむ」と答えるのでした。
『一本のなでしこ植ゑしその心
誰に見せむと思ひそめけむ』
万葉集 卷十八 4070 大伴家持
(一株のなでしこを植えたその心は、誰に見せたいという思いだったのでしょうか。それはあなたに見せたいという思いなのです。 著者訳)
小町の受け答えにより更に帝をはじめ、女御の滋野縄子、古参の女官達も赴きを深め奥深い撫子の宴となったのでした。
その夜、帝の舎人である良岑宗貞(よしみねのむねさだ 桓武天皇の孫であり後に六歌仙及び三十六歌仙の一人、遍照となる人物)が小町のもとを訪れ、仁明帝が小町に対して思いがあることを伝えます。
まだ幼さを残す小町は動揺してしまい
『凡(おぼ)ならばかもかもせむを』
と急ぎ書き流し小袿(こうちぎ 女房装束の略称、一番上に着るもの)と共に宗貞へ渡します。
宗貞は小町の動揺する心を悟り、文と小袿を受け取るとそのまま下がるのでした。
『凡(おぼ)ならばかもかもせむせむと恐(かしこ)みと 振りたき袖を忍びてあるかも』
万葉集 卷六 965 作者不詳
(並大抵のお方ならばなんとでもいたしましょうが、あなたのようなお方はあまりにも恐れ多く、振りたき袖も振ることができませぬ 著者訳)
これは白鳳時代、大伴旅人(おおとものたびと)が太宰府から平城京へ帰る折、縁を持つ名も無き女性が詠み送った惜別の歌です。
小町の知性とその奥ゆかしさに宗貞もまたいけないと思いつつ心寄せるのでした。
帝の親王をもうけた縄子の下に使える身で在りながら帝に思い寄せられた事で乙女の心は揺れて深く悩み、病んだ小町はしばらく父の篁邸に戻る事となりました。
篁邸へ小町が療養の為戻ってから幾日か過ぎた夜、ふと宗貞があの晩小町から渡された小袿を返しに訪ねて来ます。
宗貞は帝には受け取った文のみを渡した経緯等を簾越しに説明し、最後に
「真はこの小袿お返ししたくは無く..ただ..衣の川と見てや流れむ」
と秘めた思いを言い残して立ち去ります。
これは、返しにきた小袿と衣川(岩手県奥州市、平泉市)を掛けた言葉で
『身に近き名をぞたのしみ陸奥の
衣の川と見てや渡らむ』
古今和歌六帖
(身に添う衣という名ゆえ、近づきになれそうだと頼りにしました陸奥の衣川ですが、いざいざ目近に参りますと川が流れるように涙も流れ、叶わぬ恋しさに泣いてしまうことでございます。著者訳)を引用したものでした。
宗貞の自身に対する思いをくみ取った小町も彼に対して恋心を抱いてしまい、
秋の夜も名のみなりけり逢ふといへば
ことぞともなく明けぬるものを
(秋の夜は長い、と言われておりますか、それは言の葉だけのこと。逢いたきお方に逢うとなればたちまち明けてしまうものでございますね 著者訳)
と詠むのでした。
帝に懸想された小町と帝の舎人である良岑宗貞(後の僧正遍照)との許されない恋の歌となっているのです。
小町 まだ十四、五の頃。