「奇跡の社会科学」(中野剛志著、PHP新書)デュルケーム②
遅ればせながら、あけましておめでとうございます🎍🌅🎍
ぽんニャンです🐱
しばらく筆が進みませんでしたが、ようやくデュルケーム編②です💦
それではどーじょー😃
デュルケームは、政変や戦争なども自殺を減らすと言う。
なぜなら、こうした危機が社会を結束させるからだとデュルケームは解釈している。
これを象徴した例が、新型コロナウイルスによるパンデミック。
当初の予想では、2020年の自殺者数は3万人超えと、前年比1万人以上と見られていたが、実際は千人も増えなかった。
しかも、緊急事態宣言が発令された4月と5月は、前年比2割減であった。
(しかし、2万人の人が死を選ぶという事は異常である)
デュルケームの説をとれば、コロナとの「闘争は、共通の危険に立ち向かうために人々を互いに結束させるから、個人は自分自身のことについてはあまり意を用いず、それ以上に共通の事柄に関心をいだく」ということ。
デュルケームは
「自殺は、宗教社会の統合の強さに反比例して増減する」
「自殺は、家族社会の統合の強さに反比例して増減する」
「自殺は、政治社会の統合の強さに反比例して増減する」
ことを立証した。
そして、個人主義的になって自殺するような類型を「自己本位的自殺」と呼んだ。
デュルケームは他にも「アノミー的自殺」という類型を示した。
それは「生活が楽でも自殺は減らない」という事実。
経済的に豊かであろうが、貧しかろうが、とにかく突然の社会変化が起きると、自殺が増える傾向にある。
人が抱く個人の欲望は社会などの規制で限定されており、その中でそこそこ幸せに暮らしている。
しかし、社会が危機に陥ると、欲望の規制がなくなり、正不正などの判断基準が失われる。
そして、いくら欲望を満たそうとしても満たされず、心の平安が得られずに自殺に走ってしまう。
こうした個人を規制する社会の規律や規制がない状況が「アノミー」。
既存の社会秩序が崩壊するとき、個人は社会秩序から解放され自由になる。しかし、その解放された自由こそが、人の生きる意欲を弱らせ、自殺を増やす。
日本では。2003年に小泉内閣の「抜本的構造改革」で規制緩和や自由化を推進したが、自殺者がピークに達した。
デュルケームの説を知っていれば、「抜本的構造改革」はヤバいてわかったはず。
では自殺を防ぐ処方箋とは?
デュルケームは「個人をよく統合した社会の存在」とした。
宗教や家族の機能は弱まっているが、それ以外にも社会集団はある。
「それは、同種類の全ての労働者、あるいは同じ職能の全ての仲間がむすびついて形成する職業団体ないしは同業組合である」
職業団体や同業組合に個人を帰属させる。そして仲間達と絆を深め、団体に規律され、生きる意味を見出す。そうすることで自殺を防ぐとデュルケームは考えた。
こうした団体というのは、ポランニーが重要視した労働組合、農業組合。トクヴィルが唱えた中間団体と同じである。
このように、西洋の社会科学では、職業団体や同業組合などの「中間団体」が重要視されていた。
中野剛志さんは、デュルケームが提唱した「職業集団」は、日本的経営ではないかと考えた。
なぜなら、それは共同体的経営と言われるように、社員と会社との間の人間的繋がりを重要視するものだから。
しかし、現代社会は様々な組合などを壊し、共同体的経営を破壊してきた。しかもそれを改革と呼んだ。
デュルケーム、ポランニー、トクヴィルなどによれば、30年間の日本の停滞は、社会科学に対する甚だしい無知によるものだとも言える。
今回はちょいと難解でしたが、人は1人では生きられない。どこかに属し、仲間を得る事で、学び、自分を見つめ、前を向いて生きることができる。
また、社会に対しても関心を持つことができる。
そうすることで、自分の存在意義さえも見出して自殺を防ぐことができるのではないかと考えました。
個人的には中野さんがおっしゃる共同体的経営に凄く興味があります。
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