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「奇跡の社会科学」(中野剛志著、PHP新書)ウェーバー③

甘党ぽんニャン、ケーキ大好きです🐱🍰

「奇跡の社会科学」に紹介されている方々のうち、ウェーバー編最終回のまとめです。

もう一度断っておきますが、この記事は中野剛志さんの著書「奇跡の社会科学」を要約(になってないかも)したものです。

それでは、どんぞー😊

ウェーバーの官僚制の議論を踏襲した最近の研究で秀逸なのは、ジェリー・Z・ミュラーの「測りすぎーなぜパフォーマンス評価は失敗するのか?(原題:測定基準の専制)」
数値による業績評価の弊害。マートンが唱えた「逆機能」についての研究。

業績評価の数値化による弊害

①数値で評価できない仕事はやらなくなる。
②長期的目標を示さなくなる。
これは人間を近視眼的にすること。そして企業も、四半期決算などで短期的な利益を求めるが、費用はかかるが長期的な成果を生む可能性がある、技術開発などには取り組まなくなる。
③測定基準の策定、測定・集計の作業に費用や人手を割かなければならなくなり、非効率になる。
(介護保険制度など、まさにこれ)

数値による業績評価でイノベーションは起きない。それは組織を官僚化することになるから。
「イノベーション」を唱えながらも「数値による客観的評価」「成果主義」「透明化」という組織改革をするということは、根本的に矛盾している。
数値による業績評価が、官僚制化の本質。

業績評価を数値で徹底されると、人間はリスクを冒して挑戦する気がなくなる。
リスクを冒して挑戦する気がない人が集まる組織に、イノベーションは期待できない。

数値による評価を行ってはいけない組織が「大学」。
しかし、「大学改革」で「数値による業績評価」を行ってきた。
その中心にあったのは「世界大学ランキング」。
大量の留学生受け入れは、大学のグローバル化。
しかし、グローバル化は、計算可能性を追求する官僚制化と同じ。
大学改革は、大学をマクドナルド化し、官僚制化するということ。

民間のデータベースも、自然科学の業績評価はできるが、それ以外は適していない。
また、論文数を基準とすると、じっくり時間をかけず、数を稼ごうとして、本当に重要な研究をしなくなる。

研究者を正当に評価するには、研究者達に論文や書籍を読ませ、その意見を参考にすることだとミュラーは言う。

数字などの客観的な手法で評価できないものはあるし、持ち込んではいけない領域がある。

計算可能性を追求するのは官僚制の特質。
業績を数値化したがる組織は官僚制的である。
官僚制を嫌悪してイノベーションを求めても、さらなる官僚制的要素に陥り、硬直化を悪化させると言う光景が、百年以上前のウェーバーには見えていた。

ここまで見てきて、介護保険はいかにも官僚制的だとわかる。
まあ、官僚が作ったものだから仕方がないと言えば仕方がない。
難病指定を例外に65歳以上に適用、40歳以上保険料徴収というのは「没主観性」。
介護認定というのも「計算可能性」。
事後報告、申し送り、介護ソフト、各種委員会なども「マニュアル化」だったりする。
さらには、大手がどんどん進出するグローバル化。
介護ロボットなども、マクドナルド化のようなもの。
外国人材受け入れのための教育などはグローバル化のためのマニュアル化と言えないでしょうか?

もちろん、こうしたものと逆に行く事業所もあります。
藤沢の有名な某事業所などです。
しかし、そこをモデル化したり、積極的にチェーン店化すれば、官僚制的ということになるかもしれません。

実はこうしたことは、ドイツの哲学者シュペングラーが著した「西洋の没落」に繋がるなーと考えています。

しかし、ひとまずここで終了です。
次回はイギリスの政治家エドマンド・バーク編です😊

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