あくまで自分のものさしで
実は、また退学届を出してしまった。
「出してしまった」というほど後悔していないけど、「出しました!」と明るく言えるほどこの先がわくわくするものなのかはわからない。
だから、冒頭の言葉は「出しました」を韓国っぽく「出しマシッソヨ」と書こうとして「出してしまった」と言い間違えてしまったということにしよう。
そして、なぜか大学から連絡がこない。
毎月届くプリントがまだ届く。
だから今は宙ぶらりん。
退学届はだしたものの受理されていない。
学生なのか、そうじゃないのか。
アルバイトはさせてもらっているけど、頻度は少なめで、役に立っている気がまるでしない。
私は曖昧な にんげん。
ただの19歳。
また自己紹介から遠ざかりたくなる。
「今は学生さん?」
「…いやぁ」
「じゃあ何をして過ごしているの?」
「う〜ん…絵を描いたり?とかですかね。」
(でも言えるほどではない。見せて〜とかの展開にびびる。)
はぁ。つかれた。
わかっている。自分の曖昧さがこうさせている。
学校に行っているかどうかは問題ではない。
熱意を持って取り組んでいるものがあるかどうかが問題なんだ。わかっている。
私は諦めた にんげん。
ただの19歳。
ただの19歳として生かしてもらうには、なにかが欠けている。
あくまで自分のものさしで
わかりやすいは、愛しやすい。
赤ちゃんとか、犬とか、愛しやすい。
わかりにくいは、愛しにくい。
今何してるのかわからない19歳は愛しずらい。
何をしているか。
ふわふわと、おもむくままにさんぽをして、
息を吸って、
和太鼓をつくりたいなぁってわくわくして、
息を吐いて、
でも私はわかりにくいを、愛しやすい。
だからしばらくは、曖昧なままでいたい。
曖昧なままでいるための、わかりやすい例えをおもいついた。
「今後は何をするの?」
「ただ、いい匂いがする方に。」
ぜんっぜん、わかりにくい。
まぁいい。
「目標はあるの?」
「大きい木みたいなにんげんになるために、いい匂いがする方に。」
わかりにくいを、愛してくれる人に伝わればいい。
それでいい。
あくまで自分のものさしで。
いい匂いがする場所にずっといると、そこがいい匂いだってことすら、忘れちゃう時があるから。
そこからはなれずに、いい匂いだって思い出すにはどうしたらいいのか。
う〜ん。
こんなことを考えてる。
わかりにくい。
ちょっと無口になる。
でもこの時間を愛している。
あくまで自分のものさしで。
「わかりにくいとかわかりやすいとかじゃなくて、考えて、動いたらいいんじゃない?」
こうやって言う人がいたら、
一回、ふ〜んっておもって、
ひとりでカフェに入って、
考えて、
そう言ってくれる人の優しさに気づく。
こうやって日々無事生きている。
こうやって曖昧に、生きている。
生かされている。
ありがと。