夏目漱石「坊っちゃん」⑱ 坊っちゃんが天皇の子孫を自称する意味


夏目漱石の有名作品「坊っちゃん」、明治39年(1906年)発表。

前の記事で書いたことだが、もう少し丁寧に掘り下げてみたい。



1、坊っちゃんの自称


Q 次の3つのうち、小説「坊っちゃん」において、主人公・坊っちゃんが実際に自称していた事柄を答えよ

① 俺は、江戸っ子だ
② 俺は、旗本の子孫だ
③ 俺は、天皇の子孫だ

A:すべて正解です。

このままに済ましてはおれの顔にかかわる。江戸っ子は意気地がないと云われるのは残念だ。宿直をして鼻垂れ小僧にからかわれて、手のつけようがなくって、仕方がないから泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で、多田満仲の後裔だ。こんな土百姓とは生まれからして違うんだ。

(四)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)


前の記事にも書いたように
「元は清和源氏で、多田満仲(=清和天皇のひ孫)の後裔だ。」
 = 「俺は第56代:清和天皇(平安時代の人)の直系の子孫だ。」ということである。


2、一般人の江戸っ子:坊っちゃん


しかし、坊っちゃんのどこをどう見ても「皇室・天皇家の人間」という雰囲気は、ない。
むしろ癇癪もちで、べらんめえ口調の江戸っ子として描かれている。

兄は実業家になるとか云ってしきりに英語を勉強していた。元来女のような性分で、ずるいから、仲がよくなかった。十日に一遍ぐらいの割で喧嘩をしていた。ある時将棋をさしたら卑怯な待駒をして、人が困ると嬉しそうに冷やかした。あんまり腹が立ったから、手に在った飛車を眉間へ擲きつけてやった。眉間が割れて少々血が出た。兄がおやじに言付いつけた。おやじがおれを勘当すると言い出した。

(一)

一体この赤シャツはわるい癖だ。誰を捕まえても片仮名の唐人の名を並べたがる。人にはそれぞれ専門があったものだ。おれのような数学の教師にゴルキだか車力だか見当がつくものか、少しは遠慮するがいい。

(五)

いま思ったのだが、これは夏目漱石がこう言いたかったのか。

「天皇は神聖な現人神などではなく、癇癪や思い込みで暴れたり、酔狂で2階から飛び降りるような、個性をもった普通の人間」と。


3、大日本帝国憲法に対する皮肉


3(1)万世一系


明治22年(1889年)2月11日、大日本帝国憲法が発布される。
そこで天皇はこう規定されている。

第1条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第2条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第3条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス

万世一系」・「天皇は神聖にして侵すべからず
このフレーズを聞いたことのある人は多いだろう。

ちなみに「万世一系」とは、ウィキペディアによれば「永久に一つの系統が続くこと」だそうだ。

1867年(慶応3年)に、岩倉具視が「皇家は連綿として万世一系礼楽征伐朝廷より出で候」と語ったと。うむ。ちょっとよくわからない。


3(2)滑稽に語る坊っちゃん


そして、改めて坊っちゃんが先祖自慢を語っている場面を振り返ると、滑稽に描かれていると読める。

上で引用した「四」の「これでも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で、多田満仲の後裔だ。」も、宿直時に生徒達にいたずらされて(と少なくとも坊っちゃんは認識している)、どうやり返してやろうかと考えている際の語りである。
悪質と思われるとはいえ未成年者のいたずら(と少なくとも坊っちゃんは思っている)に対し、わざわざ平安時代までさかのぼって先祖語りをしているのだ。

さらにもう一つの先祖自慢もこうである。

 婆さんが四国新聞を持ってきて枕元へ置いてくれた。実は新聞を見るのも退儀なんだが、男がこれしきの事に閉口たれて仕様があるものかと無理に腹這いになって、寝ながら、二頁を開けてみると驚いた。昨日の喧嘩がちゃんと出ている。喧嘩の出ているのは驚ろかないのだが、中学の教師堀田某と、近頃東京から赴任した生意気なる某とが、順良なる生徒を使嗾してこの騒動を喚起せるのみならず、両人は現場にあって生徒を指揮したる上、みだりに師範生に向むかって暴行をほしいままにしたりと書いて、
(略)
 世の中に何が一番法螺を吹くと云って、新聞ほどの法螺吹きはあるまい。おれの云ってしかるべき事をみんな向こうで並べていやがる。それに近頃東京から赴任した生意気な某とは何だ。天下に某と云う名前の人があるか。考えてみろ。これでもれっきとした姓もあり名もあるんだ系図が見たけりゃ、多田満仲以来の先祖を一人ひとり残らず拝ましてやらあ。――顔を洗ったら、頬ぺたが急に痛くなった。

(十一)

この場面も新聞に悪く書かれたので怒るのはわかる。だがこれも平安時代にさかのぼってまで「系図を拝ませる」意味はないであろう。
さらに「れっきとした姓もあり名もあるんだ」と、最後まで姓も名も全く語られず「坊っちゃん」としか表記されない主人公が言い出すのも、滑稽さを描いたものと思われる。

坊っちゃんの先祖自慢は、滑稽に書かれている。

3(3)孤独で収入も乏しい男・坊っちゃん


私は何度か書いたが、坊っちゃんには恋人も親友もいない、恋人候補になりそうな異性の知人もいない。そして教師を1か月で辞めて収入は「四十円」→「二十五円」に激減した。
そして、そんな坊っちゃんをこの世でただ一人愛してくれた人間・清は、肺炎で死んでしまったのである。

実写版や漫画版等のイメージと異なり、坊っちゃんは、実は孤独を極めたような主人公なのだ。

そんな孤独で貧しい労働者・坊っちゃんが、こう自称している。

「俺は平安時代の天皇:清和天皇の、直系の子孫だぞ。」


結論
坊っちゃんの先祖自慢・先祖語りは、皮肉である。
大日本帝国憲法第1条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」これに対する、夏目漱石の皮肉なのである。


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