夏目漱石の大正元年(1912年)連載開始の小説「行人」。
いまさらながら二郎の旅行について、客観的事実を確認したいと思ったので勘定する。
1、大阪以前(5日間)
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
ここから考える。前提として二郎は東京在住である(この時の三沢は違うのか? 諏訪から「引返して」木曽?)。
・三沢との「約束」は一週間前。出立日が不明であるが一週間以内であることは確かか。
・東海道を「一息に京都まで」とあるから、大阪からの帰りのような寝台列車ではないと思われる。
・よって東京から即日京都に行き、そこで「四五日」逗留し、いま大阪に来たと
計算しやすくするために、1日の幅は無視することにする。
ここでは京都に「5日間」逗留し、6日目に大阪に来たとしよう。
(しかし、予定では東京から10日間ほど京都大阪に滞在し、さらに高野山、続いて伊勢、名古屋も回るつもりだったと。金持ちどすなあ。「それから」平岡か「明暗」小林に絡まれてほしい)
2、大阪(岡田宅・7日間)
梅田駅を下り立った二郎は、しばらく岡田宅に宿泊する。
これを見ると
「1 + 1 + 2~3 + 1 + 1」泊まり、翌日午後に岡田宅を出ている。
2~3を「3」として勘定すると、7日間宿泊、8日目の午後に病院に向かったことになる。
3、大阪2(三沢の宿・11日間)
3(1)「あの女」登場以前
岡田宅を出た後、二郎は三沢が元々泊まっていた宿に移る
とりあえず「あの女」登場以前で区切る。
この時点で少なくとも 1 + 2~3 + X は経過している。詳細は不明である。
そこで岡田の電話を参考にする。既に岡田が「三度目」の電話を病院にしている。ちなみに岡田宅に電話はないことが明記されている(「友達・三」)。会社から掛けているのか、それとも「明暗」で「自働電話」として出て来る昔の公衆電話だろうか。
流石に毎日毎日は電話しないだろうから、二郎が病院に駆け付けたその日、その二日後、さらにその二日後と勘定する。
するとこの時点で、「5日」経過していることになる。
3(2)「あの女」登場以降
このあたりはもう何日目がどうとかは不明である。ただ「あの女」について、病状・美しい看護婦・見舞客・下女・母親らについて多数語られていた。これらから見ると随分長期間入院しているようにも思える。
しかし岡田の言によれば「どうかこうか一週間うちにあなたを驚かす事ができそうじゃありませんか」とある。驚かす内容とは、綱(長野母)・一郎・直の来阪である。
ちなみにこの岡田と二郎との対面の翌日、綱らは大阪の梅田駅に到着している。
岡田の発言から一週間後に綱らが来阪したとすれば、三沢の退院はその前日となる。つまり岡田の発言から6日目に三沢は帰京している。
私が勝手に感じた読後感では、二郎と三沢はひたすら「あの女」(と美しい看護婦)に執着し続けていた印象だったが、「あの女」の入院から長くとも6日間であった。意外と短い。
以上からすると、二郎が元々三沢のいた宿に泊まっていたのは
5 + 6 = 11日間
ということになる。
4、1日で完了したすべての手続
旅行滞在日数からはややずれるが、今回見直してみて、二郎が岡田から借金したり三沢が「あの女」を訪ねる一連の話が、1日で完了していたことに初めて気が付いた。自分の勝手な感覚と違ったので一応確認しておきます。
この「友達」第二十七章の末尾から同三十三章までの計7章、手持ちの文庫本で74頁から91頁までの18ページ分が、1日でばたばたと片付いていたのである。
この間に以下の出来事がすべて終わっている。
三沢の退院申し出、三沢の借金依頼、二郎と岡田との対面、二郎とお兼との対面、お兼が銀行で預金引き下ろして二郎に渡す、三沢と「あの女」との対面、退院手続、元の宿に戻る、三沢の「精神病の娘さん」の話、梅田の停車場
改めてみるとちょっと都合よすぎるというか、二郎はドラゴンクエストの移動呪文「ルーラ」でも使えたのかと突っ込みたくなる。
これはなにか設定に意味があるのだろうか。また考えたい。
ああ肝心の日数を忘れた。綱たちと合流する以前の二郎の旅行日数は、
5 + 7 + 11 = 23日間
となる。
既に1か月近く旅行している。羨ましいが、「二郎さん、あなた一か月も旅行なさるんですってね。よほど宅が厭なの?」と聞いてやりたい。
(「帰ってから」二十五の直の台詞を改変)