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夏目漱石「行人」考察(51)二郎の大阪旅行日数(23日)



夏目漱石の大正元年(1912年)連載開始の小説「行人」。

いまさらながら二郎の旅行について、客観的事実を確認したいと思ったので勘定する。

1、大阪以前(5日間)

 大阪へ下りるとすぐ彼を訪うたのには理由があった。自分は此処へ来る一週間前ある友達と約束をして、今から十日以内に阪地で落ち合おう、そうして一所に高野登りを遣ろう、もし時日が許すなら、伊勢から名古屋へ廻ろう、と取り極めた時、何方も指定すべき場所を有たないので、自分はつい岡田の氏名と住所を自分の友達に告げたのである。
(略)
友達は甲州線で諏訪まで行って、それから引返して木曾を通った後、大阪へ出る計画であった。自分は東海道を一息に京都まで来て、其処で四五日用足旁逗留してから、同じ大阪の地を踏む考えであった。
 予定の時日を京都で費やした自分は、友達の消息を一刻も早く耳にする為め停車場を出ると共に、岡田の家を尋ねなければならなかったのである。

(「友達」一)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)

ここから考える。前提として二郎は東京在住である(この時の三沢は違うのか? 諏訪から「引返して」木曽?)。

・三沢との「約束」は一週間前。出立日が不明であるが一週間以内であることは確かか。
・東海道を「一息に京都まで」とあるから、大阪からの帰りのような寝台列車ではないと思われる。
・よって東京から即日京都に行き、そこで「四五日」逗留し、いま大阪に来たと

計算しやすくするために、1日の幅は無視することにする。
ここでは京都に「5日間」逗留し、6日目に大阪に来たとしよう。

(しかし、予定では東京から10日間ほど京都大阪に滞在し、さらに高野山、続いて伊勢、名古屋も回るつもりだったと。金持ちどすなあ。「それから」平岡か「明暗」小林に絡まれてほしい)


2、大阪(岡田宅・7日間)


梅田駅を下り立った二郎は、しばらく岡田宅に宿泊する。

 その晩はとうとう岡田の家へ泊った
(略)
その佐野という人に明日会おうという約束を岡田として、また六畳の二階に上った。頭を枕に着けながら、自分の結婚する場合にも事がこう簡単に運ぶのだろうかと考えると、少し恐ろしい気がした。
   八
 翌日岡田は会社を午で切上げて帰って来た。
(略)
 自分は三沢の消息を待って、なお二三日岡田の厄介になった。(略)自分はこの二三日の間に、とうとう東京の母へ向けて佐野と会見を結了した旨の報告を書いた。
(略)
 自分はこの手紙を出しっきりにして大阪を立退きたかった。(略)翌朝自分は岡田といっしょに家を出た。彼は電車の上で突然自分の忘れかけていたお貞さんの結婚問題を持ち出した。
(略)
 三沢の便りははたして次の日の午後になっても来なかった。(略)三沢は三日前大阪に着いて二日ばかり寝たあげくとうとう病院に入ったのである。(略)自分はとにかく鞄を提げて岡田の家を出る事にした。

(「友達」五~十二)

これを見ると
「1 + 1 + 2~3 + 1 + 1」泊まり、翌日午後に岡田宅を出ている。

2~3を「3」として勘定すると、7日間宿泊、8日目の午後に病院に向かったことになる。

3、大阪2(三沢の宿・11日間)


3(1)「あの女」登場以前


岡田宅を出た後、二郎は三沢が元々泊まっていた宿に移る

 自分は別に行く所もなかったので、三沢の泊った宿の名を聞いて、そこへ俥で乗りつけた。(略)隣の客が女に送られて茶屋からでも帰って来たのだろうと推察してまた眠りに落ちた
(略)
自分はともかくももう二三日いて病人の経過を見た上、どうとかしようと分別した。
(略)
自分はその時岡田から電話口へ呼ばれた。岡田が病院へ電話をかけたのはこれで三度目である。(略)その日も岡田の話はいつもの通りであった。けれども一番しまいに、「今から一週間内……と断定する訳には行かないが、とにかくもう少しすると、あなたをちょいと驚かせる事が出て来るかも知れませんよ」と妙な事を仄めかした。

(「友達」十四~十七)

とりあえず「あの女」登場以前で区切る。
この時点で少なくとも 1 + 2~3 + X は経過している。詳細は不明である。

そこで岡田の電話を参考にする。既に岡田が「三度目」の電話を病院にしている。ちなみに岡田宅に電話はないことが明記されている(「友達・三」)。会社から掛けているのか、それとも「明暗」で「自働電話」として出て来る昔の公衆電話だろうか。
流石に毎日毎日は電話しないだろうから、二郎が病院に駆け付けたその日、その二日後、さらにその二日後と勘定する。

するとこの時点で、「5日」経過していることになる。

3(2)「あの女」登場以降

 岡田からの電話はかかって来た時大いに自分の好奇心を動揺させたので、わざわざ彼に会って真相を聞き糺そうかと思ったけれども、一晩経つとそれも面倒になって、ついそのままにしておいた。(略)自分が偶然あの女を見出だしたのは全くこの一瞬間にあった。あの女というのは三沢があの女あの女と呼ぶから自分もそう呼ぶのである。
(略)
 実際この美しい看護婦が器量の優れている割合に義務を重んじなかった事は自分達の眼にもよく映った。(略)「あの女」の病勢もこっちの看護婦の口からよく洩れた。――牛乳でも肉汁でも、どんな軽い液体でも狂った胃がけっして受けつけない。(略)自分は三沢の室に寝ころんで、「あの女」の室を出たり入ったりする島田や銀杏返しの影をいくつとなく見た。
(略)
 自分は二日前に天下茶屋のお兼さんから不意の訪問を受けた。その結果としてこの間岡田が電話口で自分に話しかけた言葉の意味をようやく知った。だから自分はこの時すでに一週間内に自分を驚かして見せるといった彼の予言のために縛られていた。(略)自分はその日快よく三沢に別れて宿へ帰った
(略)
自分はその明日病院へ行って三沢の顔を見るや否や、「もう退院は勧めない」と断った。自分は手を突いて彼の前に自分の罪を詫びる心持でこう云ったのである。すると三沢は「いや僕もそうぐずぐずしてはいられない。君の忠告に従っていよいよ出る事にした」と答えた。
(略)
 自分と岡田とは今でこそ少し改まった言葉使もするが、昔を云えば、何の遠慮もない間柄であった。その頃は金も少しは彼のために融通してやった覚えがある。自分は勇気を鼓舞するために、わざとその当時の記憶を呼起してかかった。何にも知らない彼は、立ちながら元気な声を出して、「どうです二郎さん、僕の予言は」と云った。「どうかこうか一週間うちにあなたを驚かす事ができそうじゃありませんか」

(「友達」十八~二十九)

このあたりはもう何日目がどうとかは不明である。ただ「あの女」について、病状・美しい看護婦・見舞客・下女・母親らについて多数語られていた。これらから見ると随分長期間入院しているようにも思える。

しかし岡田の言によれば「どうかこうか一週間うちにあなたを驚かす事ができそうじゃありませんか」とある。驚かす内容とは、綱(長野母)・一郎・直の来阪である。
ちなみにこの岡田と二郎との対面の翌日、綱らは大阪の梅田駅に到着している。

 自分は三沢を送った翌日また母と兄夫婦とを迎えるため同じ停車場に出かけなければならなかった。

(「兄」一)

岡田の発言から一週間後に綱らが来阪したとすれば、三沢の退院はその前日となる。つまり岡田の発言から6日目に三沢は帰京している。

私が勝手に感じた読後感では、二郎と三沢はひたすら「あの女」(と美しい看護婦)に執着し続けていた印象だったが、「あの女」の入院から長くとも6日間であった。意外と短い。

以上からすると、二郎が元々三沢のいた宿に泊まっていたのは

5 + 6 = 11日間

ということになる。


4、1日で完了したすべての手続


旅行滞在日数からはややずれるが、今回見直してみて、二郎が岡田から借金したり三沢が「あの女」を訪ねる一連の話が、1日で完了していたことに初めて気が付いた。自分の勝手な感覚と違ったので一応確認しておきます。

三沢は「いや僕もそうぐずぐずしてはいられない。君の忠告に従っていよいよ出る事にした」と答えた。彼は今朝院長から退院の許可を得た旨を話して、「あまり動くと悪いそうだから寝台で東京まで直行する事にした」と告げた。自分はその突然なのに驚いた。
(略)
「よく君の話す例の男ね。あの男は金を持っていないかね」(略)「節倹家だから少しは持ってるだろう」「少しで好いから借りて来てくれ
(略)
 彼は固よりその隠袋の中に入用の金を持っていなかった。「明日でも好いんでしょう」と聞いた。自分はまた思い切って、「できるなら今日中に欲しいんだ」と強いた。彼はちょっと当惑したように見えた。「じゃ仕方がない迷惑でしょうけれども、手紙を書きますから、宅へ持って行ってお兼に渡して下さいませんか」自分はこの事件についてお兼さんと直接の交渉はなるべく避けたかったけれども、この場合やむをえなかったので、岡田の手紙を懐へ入れて、天下茶屋へ行った。お兼さんは自分の声を聞くや否や上り口まで馳かけ出して来て、「この御暑いのによくまあ」と驚いてくれた。
(略)
しばらく三沢と話しているうちに、自分は待ち設けた通りお兼さんから病院の玄関まで呼び出された。お兼さんは帯の間にある銀行の帳面を抜いて、そこに挟んであった札を自分の手の上に乗せた
「ではどうぞちょっと御改めなすって」
(略)
三沢は黙って立ち上った。彼は自分の顔も見ず、また看護婦の顔も見ず、黙って立ったなり、すっと「あの女」の室の中へ姿を隠した。(略)やがて三沢はのっそりと出て来た。(略)「やっと済んだ。これでもう出ても好い」(略)ともかくも退院の手続を早くする方が便利だと思って、そこらに散らばっているものを片づけ始めた。
(略)
二人は俥を雇って病院を出た。(略)宿へ着いたとき、彼は川縁の欄干に両手を置いて、眼の下の広い流をじっと眺めていた。
(略)
あの女の顔がね、実はその娘さんに好く似ているんだよ
 三沢の口元には解ったろうと云う一種の微笑が見えた。二人はそれからじきに梅田の停車場へ俥を急がした

(「友達」二十七~三十三)

この「友達」第二十七章の末尾から同三十三章までの計7章、手持ちの文庫本で74頁から91頁までの18ページ分が、1日でばたばたと片付いていたのである。

この間に以下の出来事がすべて終わっている。

三沢の退院申し出、三沢の借金依頼、二郎と岡田との対面、二郎とお兼との対面、お兼が銀行で預金引き下ろして二郎に渡す、三沢と「あの女」との対面、退院手続、元の宿に戻る、三沢の「精神病の娘さん」の話、梅田の停車場

改めてみるとちょっと都合よすぎるというか、二郎はドラゴンクエストの移動呪文「ルーラ」でも使えたのかと突っ込みたくなる。
これはなにか設定に意味があるのだろうか。また考えたい。


ああ肝心の日数を忘れた。綱たちと合流する以前の二郎の旅行日数は、

5 + 7 + 11 = 23日

となる。

既に1か月近く旅行している。羨ましいが、「二郎さん、あなた一か月も旅行なさるんですってね。よほど宅が厭なの?」と聞いてやりたい。
(「帰ってから」二十五の直の台詞を改変)


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