夏目漱石「坊っちゃん」⑧ 「坊っちゃん」は坊っちゃんの遺書である(1)
「坊っちゃん」という小説は、主人公・坊っちゃんの遺書である。
そう思った。
そう思った理由を、以下に述べます。
ただ以下に列挙したのとは別に、夏目漱石の有名作品「こころ」に、「先生の遺書」との章題があり、それに引きずられたかもしれない。
1、実は陰惨な話
これまで「坊っちゃん」について下記の説明をしてきた。
・坊っちゃんは勧善懲悪を少ししか実現できずに、四国から1か月で東京に戻っている
・坊っちゃんには恋人も友人も、恋人候補になりそうな異性の知り合いもいない。中学の同僚や生徒達とも仲は悪い。唯一の肉親である兄とも不仲
・そんな坊っちゃんにとって唯一、仲の良かった相手である清も亡くなってしまった。
・かつ、その孤独な状況がなにか改善した話も、改善しそうな見込みのある話も出てこない。坊っちゃんが完全に天涯孤独になってしまったことを示して、この小説は終わる。
2、坊っちゃんの未来に関する話がない
この小説のラストは、清の死と、清のお墓の話だけで終結している。
「だから清の墓は小日向の養源寺にある。」
(十一)
(※著作権切れにより引用自由です。
改正前著作権法・死後50年経過(現著作権法では死後70年)。
夏目漱石は大正5年(1916年)死去。享年49歳)
坊っちゃんが、清の死後にどうなったのかの未来を示す話や、未来のヒントになるような話は、一つも出てきていない。
教師を一か月で辞めた坊っちゃんは「街鉄の技手」になったと語っているが、その仕事をずっと続けたのか転職したのか、その後に結婚をしたのかどうかなどは、全く不明なままである。
清が亡くなって天涯孤独になった坊っちゃんが、どんな人生を送ったのかの話が、全くないのである。単に描写がないだけではなく、ヒントや推察の根拠になるような話も一つもないのである。
これは、坊っちゃんの今後について、書けるような話が存在しないこと、すなわち坊っちゃんの人生がその後時間を置かずして幕を閉じた、そのことを意味しているのではないだろうか。
3、「坊っちゃん」という題名
今さらだが、この物語の題名は
「坊っちゃん」
である。
主人公・坊っちゃんは本人曰く20代前半ですが、さすがにこれが40歳以上になったら、「坊っちゃん」とは呼べないだろう。
坊っちゃんが、若い男のままでそこから成長も、老成もすることなく、いつまでも、ずっと「坊っちゃん」と呼ばれるような年代のままで、その状態のままで、人生を終えてしまったのでは。
だからこそ、物語のタイトルも「坊っちゃん」なのではないか。
4、清が亡くなってからこの物語は書かれている
坊っちゃんに唯一、唯一愛情を注いでくれた人物・清が亡くなったことを明確に示すのは、物語の最終盤、最後の一段落である。
しかし物語の序盤で、語り手である坊っちゃんは、清が既に亡くなっていることを暗に示している。
「坊っちゃん」は合計で十一章から成っているが、序盤の「一」で清の側から坊っちゃんに三円のお金を貸してくれるくだりがある。このお金について
この三円は何に使ったか忘れてしまった。今に返すよと云ったぎり、返さない。今となっては十倍にして返してやりたくても返せない。
この「今となっては~返せない」との表現が序盤にあることから、既に清が死去しており、それ以降に坊っちゃんが自身の体験を回想して「坊っちゃん」という物語を語っていることがわかる。
換言すれば、坊っちゃんは清の死を見届け、その後に自身の人生の回想録を語っていることになる。
この世で唯一、ただ一人、自分を愛してくれた人がいた。
その人の死を受けて、あえて人生を回想し始めた。
これは、自分の人生に大きなけりをつけようと思ったから。その決意があったから、人生の回想を始めたのではないだろうか。
「こころ」でも「先生の遺書」において、先生は小説の語り手である「私」に対し、両親の死後に叔父に騙された話など、長々と自身の人生を振り返った遺書をしたためている。
5、序盤で清が坊っちゃんを妙に哀れんでいる
序盤である「一」に、私がちょっと不思議に感じた話が出てくる。
母が死んでから五六年はこの状態で暮らしていた。おやじには叱られる。兄とは喧嘩をする。清には菓子を貰う、時々賞められる。別に望みもない、これで沢山だと思っていた。ほかの小供も一概にこんなものだろうと思っていた。只(ただ)清が何かにつけて、あなたは御可哀想だ、不仕合せだと無暗に云うものだから、それじゃ可哀想で不仕合せなんだろうと思った。
私はこれを最初に読んだ時、清がどのような理由で、坊っちゃんを「可哀想・不仕合せだ」と言っていたのかについての説明が、この後にどこかでされるのだろうと思っていた。
しかし、これについての説明はなにもないまま、清は死去し、物語は幕を閉じている。
坊っちゃんを唯一愛してくれた人物である清が、坊っちゃんは「可哀想・不仕合せ」であると、無暗に言っていた。
また当の坊っちゃんもそれを特に否定しなかった。
これが序盤に出てくる
そして終盤、「可哀想で不仕合せ」な坊っちゃんは、唯一の理解者であった清までも、失ってしまったのである。
かつ、これまで見てきたように、坊っちゃんになにか幸せな出来事が生じてもいない。幸せな出来事が生じそうな様子もなんら見受けられない。
つまり、坊っちゃんはそれまでよりもさらに、「可哀想」「不仕合せ」になってしまったのである。
坊っちゃん自身も明るい語り口ながら、自分でも「可哀想で不仕合せ」と思っていたところへ、清の死といういわば、とどめを刺すような出来事が起きたのである。
そのとどめを刺した出来事を示して、この小説は幕を閉じている。
このやや不自然な「可哀想・不仕合せ」だとの話も、後に人生にはやめに区切りをつけたこと、つまりこの話が遺書であることの暗示ではないだろうか。
(他の記事に続きます。)