夏目漱石「行人」考察61 漱石の父も「直」
夏目漱石の小説「行人」、大正元年(1912年)連載。
この作品のヒロインの名は「直」である。
主人公兼語り手である長野二郎からみて、「嫂」(兄嫁)にあたる。
ここから前回の記事と同様、夏目漱石の夏目家に対する思いを推察する。
1、長野直
「あれだから本当に困るよ」と母が云った。その時母の眼は先へ行く二人の後姿をじっと見つめていた。自分は少くとも彼女の困ると云った意味を表向き承認しない訳に行かなかった。
「また何か兄さんの気に障る事でもできたんですか」
「そりゃあの人の事だから何とも云えないがね。けれども夫婦となった以上は、お前、いくら旦那が素っ気なくしていたって、こっちは女だもの。直の方から少しは機嫌の直るように仕向けてくれなくっちゃ困るじゃないか。あれを御覧な、あれじゃまるであかの他人が同なじ方角へ歩いて行くのと違やしないやね。なんぼ一郎だって直に傍へ寄ってくれるなと頼みやしまいし」
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
私が見た限り、上記が「行人」において嫂の名が「直」(なお)と明かされた最初である。
ちなみに直の初登場はこの約十章前だ。
自分はお貞さんの絵端書へ「おめでとう」と書いた。すると母がその後へ「病気を大事になさい」と書いたので吃驚した。
「お貞さんは病気なんですか」
「実はあの事があるので、ちょうど好い折だから、今度伴れて来ようと思って仕度までさせたところが、あいにくお腹が悪くなってね。残念な事をしましたよ」
「でも大した事じゃないのよ。もうお粥がそろそろ食べられるんだから」と嫂が傍から説明した。その嫂は父に出す絵端書を持ったまま何か考えていた。「叔父さんは風流人だから歌が好いでしょう」と岡田に勧められて、「歌なんぞできるもんですか」と断った。
ちなみにこの「直」さんについて、私を含めた「行人」読者は勝手に「美人」のイメージを抱いているだろうが、私が読み直した限り、明確に「美人」「綺麗・可愛い」と評した描写はない。主人公兼語り手の二郎が惹かれており、少なくとも表面上は翻弄されているので、どうしても美人をイメージしてしまう。
彼女は自分の云う通りに蒲団の上に坐った。そうして白い指を火鉢の上に翳した。彼女はその姿から想像される通り手爪先の尋常な女であった。彼女の持って生れた道具のうちで、初めから自分の注意を惹いたものは、華奢ゃに出来上ったその手と足とであった。
(略)
自分は嫂(あによめ)に「冴え返って寒くなりましたね」と云った。「雨の降るのに好く御出かけですね」と云った。「どうして今頃御出かけです」と聞いた。対話がそこまで行っても自分の胸に少しの光明を投げなかった時、自分は硬くなった、そうしてジョコンダに似た怪しい微笑の前に立ち竦まざるを得なかった。
(略)
嫂は席に着いた初から寒いといって、猫背の人のように、心持胸から上を前の方に屈めて坐っていた。彼女のこの姿勢のうちには女らしいという以外に何の非難も加えようがなかった。けれどもその結果として自分は勢い後ろへ反り返る気味で座を構えなければならなくなった。それですら自分は彼女の富士額をこれほど近くかつ長く見つめた事はなかった。自分は彼女の蒼白い頬の色を炎のごとく眩しく思った。
語り手が明らかに相手に「女」を強く感じている描写を何度も重ねておきながら、決して「美人・綺麗」とは描写されない。
もしかして、直は不美人なのか。
2、直は三度殴られる
そしてこの「行人」のヒロイン・直は、夫である長野一郎から、三度殴られる。
彼女の言葉はすべて影のように暗かった。それでいて、稲妻のように簡潔な閃きを自分の胸に投げ込んだ。自分はこの影と稲妻とを綴り合せて、もしや兄がこの間中癇癖の嵩じたあげく、嫂に対して今までにない手荒な事でもしたのではなかろうかと考えた。打擲という字は折檻とか虐待とかいう字と並べて見ると、忌わしい残酷な響を持っている。嫂は今の女だから兄の行為を全くこの意味に解しているかも知れない。自分が彼女に兄の健康状態を聞いた時、彼女は人間だからいつどんな病気に罹るかも知れないと冷やかに云って退けた。自分が兄の精神作用に掛念があってこの問を出したのは彼女にも通じているはずである。したがって平生よりもなお冷淡な彼女の答は、美しい己の肉に加えられた鞭の音を、夫の未来に反響させる復讐の声とも取れた。――自分は怖かった。
兄さんの眼には御父さんも御母さんも偽りの器なのです。細君はことにそう見えるらしいのです。兄さんはその細君の頭にこの間手を加えたと云いました。
「一度打っても落ちついている。二度打っても落ちついている。三度目には抵抗するだろうと思ったが、やっぱり逆らわない。僕が打てば打つほど向こうはレデーらしくなる。そのために僕はますます無頼漢扱いにされなくてはすまなくなる。僕は自分の人格の堕落を証明するために、怒りを小羊の上に洩らすと同じ事だ。夫の怒りを利用して、自分の優越に誇ろうとする相手は残酷じゃないか。君、女は腕力に訴える男より遥かに残酷なものだよ。僕はなぜ女が僕に打たれた時、起って抵抗してくれなかったと思う。抵抗しないでも好いから、なぜ一言でも云い争ってくれなかったと思う」
こういう兄さんの顔は苦痛に充ちていました。不思議な事に兄さんはこれほど鮮明に自分が細君に対する不快な動作を話しておきながら、その動作をあえてするに至った原因については、具体的にほとんど何事も語らないのです。
( 今気付いたが、ここで一郎は、「妻」でも「直」でもなく、「女」との一般名詞で評している。少なくともHの手紙ではそう書かれている。)
このように直は三度、夫に殴られている。
しかしその暴力を受けた直を、長野二郎と長野一郎は、それぞれこう評している
・美しい己の肉に加えられた鞭の音を、夫の未来に反響させる復讐の声とも取れた。――自分は怖かった
・夫の怒りを利用して、自分の優越に誇ろうとする相手は残酷じゃないか。君、女は腕力に訴える男より遥かに残酷なものだよ。
殴った側よりも、殴られた「直」のほうが残酷である、と。
むろん「直」の内心がどうであったかは、永遠に謎である。
3、夏目直克、夏目直則、夏目直矩
(この考察も、基本的に小林十之助氏に乗っかったものです。)
3(1)夏目家の通り字・「直」
見出しの人物三人は、夏目漱石の父と、多数いる兄のうち2人の名である。
ちなみに漱石の祖父は、「夏目直基」である。
もうおわかりであろう、「直」は夏目家の通り字・通字である。
(ウィキペディアによれば、「一族や家系内で世代を超えて共通して用いられる漢字のこと」である)。
歴史上の人物であれば
・平清「盛」、平重「盛」、平維「盛」
・源義「朝」、源頼「朝」、源実「朝」
・伊達稙「宗」、伊達輝「宗」、伊達政「宗」 等々
しかし、夏目漱石の本名は夏目「金之助」である。
むろん他の兄たちにも「直」のついていない名はみられるので、決してこの事だけで漱石こと金之助が不遇だったとはいえない。
しかし、金之助の「直」に対する気持ちは、怨念と、恐怖のように思える。
3(2)惨殺された「直」
行人よりも前の作品「それから」(明治42年=1909年連載)では、「直」は殺されている。しかも惨殺だ。
ちなみに「それから」では主人公実家の通り字は「誠」であり、主人公は通り字をもらえなかった二男・長井代助である。
代助の父には一人の兄があった。直記と云って、父とはたった一つ違いの年上だが、父よりは小柄なうえに、顔付眼鼻立が非常に似ていたものだから、知らない人には往々双子と間違えられた。その折は父も得とは云わなかった。誠之進という幼名で通っていた。
(略)
三年の後兄は京都で浪士に殺された。四年目に天下が明治となった。又五六年してから、誠之進は両親を国元から東京へ呼び寄せた。そうして妻を迎えて、得という一字名になった。
(略)
伯父が京都で殺された時は、頭巾を着た人間にどやどやと、旅宿へ踏み込まれて、伯父は二階の廂から飛び下りる途端、庭石に爪付いて倒れる所を上から、容赦なく遣られた為に、顔が膾(なます)の様になったそうである。殺される十日程前、夜中、合羽を着て、傘に雪を除けながら、足駄がけで、四条から三条へ帰った事がある。その時旅宿の二丁程手前で、突然後から長井直記どのと呼び懸けられた。伯父は振り向きもせず、やはり傘を差したまま、旅宿の戸口まで来て、格子を開けて中へ這入った。そうして格子をぴしゃりと締めて、中から、長井直記は拙者だ。何御用か。と聞いたそうである。
(いま読んだら引用後半部分は「長井直記」との名が強調されていると読める。)
3(3)復讐をする「直」
上記のように「それから」では「直」は、「顔がなますの様に」なるほど惨殺された。
しかし、それから3年後の作品、「行人」では、もう一つ、返しがきいている。
「行人」では直は三度、頭を殴打される。
しかしそれでは終わらない。
既に引用したように、「行人」の「直」は自分を殴打した相手に対し、こう返した(と思わせている)。
・(殴打した相手の)未来に反響させる復讐の声
・腕力に訴える相手より遥かに残酷
書いたように、「それから」と「行人」の間には、3年の月日がある。
「それから」で「直」を惨殺した漱石こと金之助に、「直」はしたのであろうか。
残酷な復讐を