夏目漱石「坊っちゃん」⑪ 設定とその時代
夏目漱石の有名小説「坊っちゃん」
この「坊っちゃん」の設定、世界観をもう一度考えたい。
1、場所
1(1)松山市ではない
まず前提についてだが、何度かふれたと思うが「坊っちゃん」の舞台は「愛媛県松山市」ではない。
作中では「四国」としか書かれていない。
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
作者:夏目漱石は作家となる前に愛媛県松山市の中学で、英語教師をしていた。だから松山市の体験がモデルになっていることは間違いない。
しかし舞台が「松山」との明示はない。「四国」の具体的にどこかとは書かれていないのである。
1(2)明示のある地名
「坊っちゃん」において市町村レベルの地名があがっているのは、以下の四か所のみである。
・父親死去以降の坊っちゃんの下宿が「神田の小川町」(「一」)
(=東京都千代田区)
・坊っちゃんが東京以外で出掛けたことがあるのは「鎌倉」への遠足ぐらい(「一」)
・父の葬儀をし、かつ清の墓があるのは「小日向の養源寺」(「六」、「十一」)
(=東京都文京区)
・うらなりの転任先は「延岡」(=宮崎県延岡市)(「八」)
ちなみに坊っちゃんの生家すら「東京」ではあるが具体的地名はない。
ただ生家に清がいた時分に坊っちゃんの独立予定先を「麹町ですか麻布ですか」と話していたこと(「一」)からすると、この二つではなさそうだ。
このように地名が隠される中、上記の四か所についてはわざわざ特定されている。私はこれは意味のあることだと思っているので、またじっくり考えたい。
1(3)漱石の滞在
あちこちの地名でだいぶ寄り道をしてしまった。
夏目漱石が松山中学で教員をしていたのは
・明治28年(1895年)~明治29年(1896年)
のことである。
なおこれ以前にも、松山市出身の友人:正岡子規の生家等に滞在したこともある(明治25年(1892年))。
そしてこの「坊っちゃん」が書かれたのは、四国での教師経験から10年後の
・明治39年(1906年)
である。
2、「坊っちゃん」の前提
重要な前提として何度か書いているが、「坊っちゃん」の主人公であり語り手である坊っちゃんの叙述は、物語進行リアルタイムでの感想ではない。
物語記載の出来事を全て見届けた後の、回想記である。
それが示されている記載は下の記事で引用しました。
3、坊っちゃんとその時代
ようやく「坊っちゃん」の内容に入る。
物語中の出来事・記載から、作中の時代を探りたい。
3(1)祝勝会
物語中、戦争の「祝勝会」が行われる。しかしこれがなんの戦いについてかの明記はない。
これについては普通に考えれば、日清戦争(1894(明治27年)~1895)か、日露戦争(1904(明治37年)~1905)のどちらかであろう。
もしかしたら西南戦争の可能性はないかと思ったが、あれは「こころ」で先生が言うように「明治10年(1877年)」の出来事である。既に「中学校」「師範学校」が整備された(中学校令が明治19年)「坊っちゃん」の時代よりはだいぶ前となる。
3(2)日清戦争
うらなり(古賀)の送別会。何度も「日清談判」が出てくる。
この描写だけだとまだ日清戦争は始まってはおらず、開戦前の両国の対立(談判)までとも一応解釈はし得る。
しかし先の「祝勝会」があったことからすれば、物語進行は遅くとも日清戦争(1894年(明治37年))が開戦した以降であると、確定できる。
3(3)日露戦争
一方、日露戦争に関する描写も、作中に二か所ある。
まず、坊っちゃんの大食いを生徒らがからかう場面
次に、他校の生徒らとの乱闘に坊っちゃんが止めに入った場面
クロパトキンとは、日露戦争時の司令官であった軍人である。
このように作中には日露戦争関係の発言が二か所存する。
そうであれば作中の時間経過も、日露戦争中とも思える。
その可能性は高いとは思うが、一応注意すべきなのは上記の「天麩羅事件を日露戦争のようにー」・「退却は巧妙だ。クロパトキンよりー」の描写は双方とも、坊っちゃんの内心における語りということである。
既に示したように「坊っちゃん」は物語記載の出来事が全て経過した後の、坊っちゃんによる回想文である。そのため坊っちゃんの内心の吐露の描写のみでは、物語が日露戦争中であるとの、断言まではできない。
これに対し「日清談判」は他の登場人物(野だいこ)の台詞として出てくるので確定的である。
よって、物語の時間について可能性の高低ではなく、断定的に言えるのは以下の2点である。
① 物語進行中は、遅くとも日清戦争開戦(1894年(明治27年))以降である
② 坊っちゃんが回想してこの「坊っちゃん」を執筆しているのは、遅くとも日露戦争開戦(1904年(明治37年))以降である。
4、新橋駅
他記事でもふれたが物語中、「新橋(駅)」が二か所出て来るので、それについて語りたい。
まず序盤で坊っちゃんが兄と別れる場面
もう一つは対照的に終盤、山嵐と別れた描写
なお、序盤で東京から四国に旅立つ坊っちゃんを清が見送る名場面では、何故か具体的な駅名は示されていない。
前にも書いたがこれらの「新橋駅」は、現在(令和6年)の新橋駅とは全く別の場所にあった。
現在は「旧新橋停車場跡」となっている。
1872年(明治5年)の鉄道開設(新橋-横浜間)以来、新橋駅は現在でいう東京駅のような、地方-東京間を行き来する乗客たちの終着・始発のターミナル駅であった。
大正3年(1914年)の東京駅開業により、その役割を東京駅に譲った。
漱石の他作品「行人」(大正元年連載)では、船ではなく汽車で旅行に出立したことを示す用語として「新橋」が使われている。
いつか新橋駅に寄ることがあったら、それが漱石作品に描かれたものとは違うとは承知の上で、坊っちゃんになりきって、兄や山嵐への別れの言葉を、勝手に創って述べてみたい。