夏目漱石「行人」考察(54) 女景清と腰弁時代
夏目漱石の大正元年(1912年)連載開始の小説「行人」
この中盤に、主人公長野一郎の父親が語る「女景清の話」がある。
(「帰ってから」十二~十八)
これについて色々推察を書いてきたので、補足も含めて一度まとめてみる。
1、状況
まず、この話がされた状況である。
・季節は秋
(直後の「帰ってから・二十」において「二三週間はそれなり過ぎた。そのうち秋がだんだん深くなった。」)
・場所は長野家の「奥」の部屋
・その場にいたのは、客が「貴族院の議員が一人と、ある会社の監査役が一人」(「帰ってから」十一)、長野父、一郎、直、二郎の、計6人。
綱(長野母)やお重はその場にいない。6人中に女性は直のみである。
・「謡(うたい)」を客らと長野父が披露した直後。
「謡」とは、能で舞はせずに台詞の歌い上げだけをすること。この場合はお重が仮病を使ったので太鼓等の楽器もなかった。
・謡の演目は「景清」。
かつて平家方の猛将だった「景清」が源平合戦の敗北後、盲目となり日向(宮崎県)に流され、物乞い兼琵琶法師のような状態になっている。そこへ娘が鎌倉から日向まではるばる訪ねて来たのだが、現在の身を恥じた景清は他人のふりをする。里人が娘にその盲目の人が景清と教え、再度娘と会う。景清は娘の求めに応じて屋島合戦での活躍を語る。語り終えた景清は娘に、老い先短いので死んだら弔いを頼む、自分はここに留まると告げ、娘を鎌倉に返す
・盲目の女を長野父が訪れて話をしたのは、長野父によれば「ついこの間の事で、また実際あった事」
2、不自然な点
次に、長野父の語る「女景清の話」の不自然な点を改めて列挙する。
(1)異常に詳細
長野父によれば「ずっと後輩に当る男」の「二十五、六年前」から始まる話である。その後輩から聞いた話を記憶して語っているのだが、別れた後に女が一度寄ったのが「丁度午飯の時」であるとか、有楽座で再会した際の描写が「薄ら寒い宵・五分経つか立たないのに・エンゲージドと紙札を張った所へー」などと異様に詳細である。
これらの詳細を全て後輩の男が覚えており、かつその詳細をわざわざすべて長野父に伝えたということになる。しかし詳細まで伝える意味はないであろう。
さらに不自然なのは、長野父が自身に直接利害関係もないのに、その後輩からのやたら細かい話をしっかり記憶していることだ。これもあえて詳細を記憶する必要は全くない。
(2)視点が「後輩の男」ではない
途中まではすべて「後輩の男」からの伝聞のはずである。
しかしその後輩が「きまりの悪そうな顔をして、御免よとか何とか云って謝罪ったんだってね」と、視点が男ではなく、相手の女もしくは第三者になっている描写がある。本人が自分で「きまりの悪そうな顔」だったのか否かについて、推測であればまだしも断定的に語ることはできない。
また有楽座で女と再会した際も「女はまたわが隣にいる昔の人を、見もせず、知りもせず、全く意識に上す暇もなく」と、完全に女の内面・内心に入り込んで、これも断定的に描写している。男からの伝聞だとすれば言い切りすぎであろう。また仮に推察であれば推察として語ればよいだけであり、あえて断定的に語る意味はなにもない。
(3)二郎が心当たりがない
長野父はその後輩の男から頼まれて、「盲目の女」の自宅まで訪ねて話をしに行っている。
事実であれば相当に深い関係がその後輩と長野父の間にあるはずだが、二郎は「この逸話をもった男だけはいくら考えてもどんな想像も浮かばなかった。自分は心のうちで父は今表向多分この人と交際しているのではなかろうと疑ぐった」としている。
しかも長野父によれば自身が間に入ったのは、「ついこの間の事で、また実際あった事」としている。そうであれば最近まで相当に深いつながりが継続しているはずであり、二郎が想像すらできないというのも不自然だ。
むろん「盲目の女を訪問する話」に限れば秘密裏に連絡していたかもしれないが、それは「ついこの間」の話であり、最近までは隠す理由もなく普通に交際していたはずである。
(4)長野父が間に入る意味?
長野父によれば後輩の男がその女の自宅まで突き止めた上、「そいつが私にその盲目の女のいる所を訪問してくれと頼むんだね」、「どうして盲目になったか、それが大変当人の神経を悩ましていたと見えてね」、「僕は少し学問するつもりだから三十五六にならなければ妻帯しない。でやむをえずこの間の約束は取消にして貰うんだってね。ところが奴学校を出るとすぐ結婚しているんだから良心の方から云っちゃあまり心持はよくないのだろう。それでとうとう私が行く事になった」との理由で女の家を訪問したとしている。
しかし、わざわざ他者に間に入ってもらってまで、女と直接話をする意味はあったのだろうか。
男はどういった手段か女の家まで突き止めたのであるから、さらに調査すれば盲目となった理由や、別れた以降の女の半生も調査可能であろう。
それに結果的には女も対応してくれて用件は済んだようだが、トラブルになる危険は感じなかったのだろうか。女側が騒ぎ立てれば新聞で「〇〇家の現当主、結婚を餌に女中と関係を持ちながら数日で捨て女は泣く泣く辞職」「手切れ金も払わず、別れる理由も欺罔」「盲目となった女が四半世紀前の悲劇をいま語る。大正の舞姫事件」とか書かれそうだ。
「どうして盲目になったか、それが大変当人の神経を悩ましていた」これもまた不自然だ。気にはなるだろうが別にフラれたからといって盲目にはつながらない。「大変神経を悩ます」とはまるで自身に責任の一旦でもあると思っているようだ。
(※ これも私の推察につながるのだが、実際は目ではなく精神を病んでしまったということであれば、捨てた相手が自分の責任かと気にするのは理由がつく。)
(5)女はそんな事で満足したんですか?
長野一郎の台詞である。
女の疑問は、自分が捨てられた理由である。
しかもこの疑問に対して明確な答えを長野父は語らない。「いろいろに光沢(つや)をつけたり、出鱈目を拵えたりして、とうとう女を納得」させたとしているが、一体どんな出鱈目で、女が二十年以上気にし続けていたものを納得させたのか。私も最初に読んだ時それが知りたかった。
しかし、なにも示されないまま女景清の話も、「行人」も終わるのである。
これは実際にはなにか、明確な事実・明確な回答があったのではないか。
(6)やたらと講談調の女
長野父によれば女は「貧しい召使い」のはずである。しかし女の台詞がやたら芝居がかっているというか、講談調である。ちょうど長野父が今しがた演じていた「謡」のように、能か狂言の台詞まわしのようである。
まさに「景清」が日向の里で娘に聞かせているような言葉遣いやリズムである。
この不自然な芝居くささも、この話が謡好きの長野父が創作もしくは大幅に脚色されたものであることを示している。
(7)すぐにわかる矛盾描写
連続する章に、矛盾する描写が出て来る。
女は一度、「〇〇」からの金を拒絶するところで、「涙を落とし」ている。
しかしその後、有楽座で〇〇が隣に座っていたという話を聞いて再度泣くのだが、それが「父はその時始めて盲目の涙腺から流れ出る涙を見た」とされている。
実は私はこれに長いこと気が付かなかった。そんな私がいうのも恐縮だが、明白な矛盾である。書き間違いと考えるにはあまりに近接している。手持ちの文庫本ではすぐ次のページで矛盾しているのだ(260頁と261頁)。
このわかりやすい矛盾は、長野父の語る「女景清」の話が、創作もしくは大幅に脚色されたものであることを、示している。
3、追加の矛盾描写(腰弁時代)
3(1)まるで自分の思い出のように
今回新たに気付いた、不自然な描写があった。
長野父が女景清の話を始める冒頭である。
長野父と後輩の男とがいつ知り合ったのは書かれていないが、「廿歳(はたち)ぐらいの自分は定めて可愛らしい坊っちゃんだったろう」と、最後が推測になっている。
これによれば、事の発端が生じたその後輩の二十歳当時、すなわち「二十五六年前」には、まだ知り合っていなかったことになる。むしろ二十歳頃の面影がなくなったであろう少なくとも20代後半以降から、知り合ったことになる
すなわち、その男が召使の女と関係を持ったりすぐ別れたその当時には、なんの関係もなかったことになる。
しかしそうなると、この「何しろ今から二十五六年前、ちょうど私の腰弁時代とでも云いましょうかねー」との語り出しはおかしくはならないだろうか。
私には、まるで自分のその「腰弁時代」の思い出を語っているように感じた。
他人が主役の、25年前の思い出話である。自分がその当時ともに体験していたり、リアルタイムで聞いていた話であれば自分の思い出として語るのも理解できる。
しかし、まだその他人と知り合ってもいない当時の他人の昔話を、自身の思い出のように語るだろうか。
百歩譲って自分と面識はなかったが同じ学校の同級生とかであればまだわかる。しかしこの「○○」は、長野父の「ずっと後輩に当る男」である。
いま自分自身で想定してみたが、妻(5歳下)と知り合うよりも以前の妻の昔話を、それが例えば15年前と特定できていたとしても、自身の15年前を思い出して「自分の△△時代」として妻の過去を語る感覚は、私には全くなかった。
しかし長野父は、自分が知り合ってもいない時点の、後輩の昔話を、自分の思い出のように語っている。
これは、実際には以下の事実があったということだ。
・「腰弁時代」に、実は長野父はもうこの話の、関係者になっていた。
ここで表面上語られている「男と召使いの女が関係を持って、すぐ別れた」話に、リアルタイムか少なくとも別れた直後に、長野父は既に関わり合いをもつ立場になっていたのだ。
だからこそ、話の当初から、自分の思い出話として語ることができるのである。
(この考察続けます。)