夏目漱石「行人」考察(36)「女景清」は長野父の脚色
夏目漱石「行人」中盤で長野父が語り出した「女景清」の話。
前回にふれた他にも、不自然な点があるのでそれを考えてみたい。
1、女の台詞が講談調
1(1)台詞
元々このエピソードは、「謡(うたい)」のために長野宅を貴族院議員と、ある会社の監査役が訪れて始まっている。
「謡」とは、能で声の芝居のみをし、舞や太鼓・笛はやらないことを意味するらしい。
そして盲目の女の台詞が、まさに能の台本のように、言葉は芝居ががり、リズムが妙に整っているのである。
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
どうだろう。声に出して読もうとすると、妙に芝居ががっているというか、むしろなにかの嫌味か皮肉でこんな台詞・リズムにしてるのかと感じるぐらいだ。
文語体で書かれた幸田露伴の「五重塔」を私は序盤だけ読んだことがあるが、それを思い出した。
1(2)女の育ち
引用したようにやたらと芝居ががった言い回しと口調を用いる女であるが、特別その道に教養が深いとも思われない。
長野父曰く「下女奉公でもして暮そうという貧しい召使い」(「帰ってから」十四)なのである。
そのため、この女の口ぶりが長野父が実際に聞いたとおりであるかは疑わしい。
それこそ「行人」の下女といえばお貞だが、お貞が「ただ両方の眼が満足に開いている癖に、他の料簡方が解らないのが一番苦しゅう御座います」と語り出すのは想像できない。
2、何故長野父に遣いを頼んだ?
もう一つ、長野父の話を前提とすれば不自然なのは、何故その後輩の男はわざわざ長野父に、女への連絡を頼んだのかということだ。
物語では一応こう説明されている。
どうだろう。素直に首肯できるだろうか。
無論いま現在どうしているかとか何故盲目になったのかが気になるのはわかる。だがそのためにわざわざ知人に、いきなりその女の自宅まで訪問させて、こちらが昔関係を持って一方的に振った男側だと明かして、直接会話をさせる意味はあるのだろうか。
女の家族にそんな接触が知られたらトラブルになりかねない。結果的にこの女は未亡人であったが、もし夫がいたらさらにトラブルの危険はさらに高い。
そしてもしトラブルになった場合、「召使」だった側と、妻子もいる「本当の坊ちゃん」(十三)側、しかも関係を持った直後に女を振った男側では、立場や金もある方が不利だと思われる。
その男は長野父曰く「大分込み入った手数を掛け」て、女の居所を突き止めたということである(十五)。そこまで自力で確認できたのであれば、その女の現在~過去の上京や盲目になった理由も、調査すれば遅かれ早かれ把握できるのではないか。
3、女はそんな事で満足した?
3(1)回答の具体説明なし
このエピソードで一番気になる所が、一郎の言葉で提示されている。
女の聞きたかったのはこれである。
この父の回答を受けて、先の一郎の言葉につながるのである。
確かに女がこの回答で満足したとはとても思えない。
第一この、「そりゃ大丈夫」「本人に軽薄な所は些ともない」という回答自体がよくわからないのは私だけだろうか。
女の疑問は、フラれた理由について
①「周囲の圧迫」か、
②「気に入らないことが出来た」か
このどちらだ?というものである。
長野父の回答は、このどちらにもなっていないのでは(②ではなく①と言っているのか?)。かつ、③別の回答をしたものでもなさそうだ。
また「そりゃ大丈夫」というのは、長野父は女が上記①と②でどちらが望ましい回答と思っているのかも把握してるから言ってるのか。そしてそれが①ということだろうか。
3(2)実は明確な回答をした?
究極的には、男女の好き嫌いやその変動に明確な理由は(たぶん)ないだろう。しかしある程度は言語化できる部分もあるだろう。無論それを当人に告げることが憚られることもある。
そしてむしろ、本人に告げるのが憚られる事情であれば、この時に一体長野父はどんなごまかしで女を納得させたのか、非常に気になる所である。
しかし、それが具体的には示されない。「光沢を付けたり、出鱈目を拵えたりして、とうとう女を納得させちまったんですが」と曖昧に示されるのみである。具体的にどんな言葉を言ったのか、それは示されない。
ここはなにか隠されていないだろうか。
実は、長野父は相手を納得させるような回答を、明確に述べたのではないか。
しかしそれは一郎の手前、あるいは二郎や直の手前、言えないようなものであったと。
4、私の推察
以下、前にも書いたところをやや変えた、上記の不自然を受けた私の勝手な推察。
・「女景清」の話は、主人-召使が逆。そして主家の女が綱(長野母)である。
・長野母が昔、関係をもった男がいた。その男が一郎の父。
・しかし、長野母が何故か男をふった。理由は身分差か。
・長野母が自身で一郎を育てていたところへ、長野父が婿養子に入る。長野父は事情を聞き理解した上で一郎を長男として育てた。その後に二郎やお重誕生
・何年もしくは二十年かした後、劇場かどこかで長野母と男が再会。しかし男は盲目か、もしくは精神を病んでいた。長野母としてはその血が一郎につながっていないか心配している。
・事情を把握している長野父が、綱の意向を受けて当事者同士の直接の再会を避け、男を訪ね互いの近況報告をした。
・その時に色々腹を割って話したので、長野父は男女双方の表情や双方の内心の話を「女景清」で語ることが出来ている。
・内容は謡好きな長野父が事実を元に脚色・創作した。なので女の台詞が講談調になっている。女が二回目に涙したのを「始めて見た」と矛盾記載があるのも、長野父の創作である事を示したもの。
・その際に男が二十年気にしていたフラれた理由を聞かれた。長野父は「身分の差」と正直に答えた。男は納得はした(しかしさらに精神を病んだかも)
・その男は実は、三沢家にいた「精神病の娘さん」と兄妹もしくは親族。
娘の菩提寺も「築地」、一郎の旅行出発当日に長野父が出掛けた先も「築地」。その「悪い病気の系統を引いて」しまって一郎も精神を病んでいる。なので綱は二郎の結婚候補者の「悪い病気の系統」を気にしている(「塵労」二十七)。
長野父は一郎のいない間に、一郎の実父になにか話をしに「築地」に向かった。
長野父は病気かなにかで「いつ死ぬかわからない」(「塵労」九)状態に実はある。そのため、親娘が再会した能「景清」にかこつけて、一郎に対し、虚実混じらせて実の父親関係の話をあえてしてみせた。
- そして、私の勝手な推測では、長野一郎は長野両親の命を奪い、お貞と無理心中している。
一郎は、築地にいる実父と再会したのかもしれない。そして自身が長野父の子でなかったこと、実父が(いや実父も)精神病であることを知ったのかもしれない。
その結果が、悲劇を招いたと。
5、追記「精神病の娘さん」は実家に帰れない
「精神病の娘さん」の実家について、不自然な事がある。
・そもそも娘は何故実家に帰れなかったのか
・仮に急に実家に帰れないとしても、三沢の話ぶりだと病院に入るまでずっと娘が三沢家に滞在し続けたようである。何故か
なにか随分な事情が、娘さん実家に存したはずである。
しかしそれはなにも書かれていない。
その事情
・娘の婚姻後、一郎の実父がその実家で静養しており、とても重症者二人までは預かれなかった。
これで説明がついた。