夏目漱石の小説「行人」
前回の記事で、綱(長野母)らが合流するまでの、二郎の旅行日数を勘定した。
ちなみに23日間となった。
今回は、綱らの合流以降の宿泊数を数える。
1、大阪滞在(3日)
まず、綱らは宿に一晩泊まったと思われるが、やや曖昧である。
読み取ると、綱らが大阪に来た初日の出来事は以下のとおり
・二郎と岡田夫妻がお出迎え→ 岡田が予約しておいた宿まで案内→ 岡田夫妻一旦帰宅→ 一郎の水滸伝じみた大阪の思い出話→ 岡田夫妻再度来る→ 佐野との会見に向けた打合せ。
この後に、引用の「まず市内で二三日~」との話と、佐野との会見が既に済んだ旨が語られている。
この間にどれだけの日数が経過したか不明であるが、さすがに前日の夜に打ち合わせてすぐ翌日に佐野と会食とはならないと思われる。
そこで、ここでは「二三日」を多めに数えて、既に「3泊」したとしておこう。
2、和歌山滞在(3日)
そして「行人」で最もスリリングな場所:和歌の浦に舞台は移る。
舞台が移るとともに、就寝時の様子が急に具体的に描写される。初日だけでも以下のとおりだ。
続いて二日目。一郎が紀州東照宮で二郎に疑いをかける。
この日の晩も具体的に描写される。
そして三日目。紀三井寺で一郎が二郎をプログラムにはめようとする。
この日の晩は一切描写がなく翌朝になる。
この時点で、3泊している。
3、嵐の夜+翌日+寝台列車(3日)
そして、二郎と直が二人で泊まる暴風雨の夜となる。
内容は何度も書いたので大幅に省略。
同日中に直と二郎が戻り、もう一晩和歌の浦で泊まる。
ここも就寝時の具体的な描写はない。
そして章題は「帰ってから」となる。
そして、大阪から東京行の寝台列車に乗り、4人は列車内で最後の晩を過ごした。
暴風雨の夜 + 和歌の浦でもう一泊 + 寝台列車
3泊 である。
4、まとめ(32日間)
以上により、綱たちが合流した以降の宿泊日数は
大阪3日 + 和歌の浦3日 + その他3日
= 9日間 となった。
そして、前の記事で勘定した二郎のそれまでの旅行日数(描写のない京都滞在も含めた)は、23日間 である。
よって、二郎は合計で
も旅行していたことになる。
「行人」とは、「長野二郎の三十二日間戦争」だったのかもしれない。
二郎はその戦争に勝利した。ただ少し勝ち過ぎた。