(※ この記事を修正しました。以下 )
夏目漱石の大正元年(1912年)連載開始の小説「行人」
前半、「あの女」と呼ばれる芸者が三沢と同じ病院に入院する。 しかしここで注意すべきは、二郎は入院後の「あの女」を、一度も見てはいないのである。 しかも、二郎が病院の階段から見掛けて「あの女」だと思っている女は、「あの女」ではない可能性が高いのである。
1、入院後は一度も見ていない
1(1)二郎の目撃 二郎が「あの女」を見掛けたのは以下の状況である。
自分は依然として病院の門を潜ったり出たりした。朝九時頃玄関にかかると、廊下も控所も外来の患者でいっぱいに埋っている事があった。そんな時には世間にもこれほど病人があり得るものかとわざと驚いたような顔をして、彼らの様子を一順見渡して から、梯子段に足をかけた。自分が偶然あの女を見出だしたのは全くこの一瞬間にあった 。あの女というのは三沢があの女あの女と呼ぶから自分もそう呼ぶのである。 あの女はその時廊下の薄暗い腰掛の隅に丸くなって横顔だけを見せていた 。その傍には洗髪を櫛巻にした背の高い中年の女が立っていた。自分の一瞥はまずその女の後姿の上に落ちた 。そうして何だかそこにぐずぐずしていた 。するとその年増が向うへ動き出した。あの女はその年増の影から現われたのである。その時あの女は忍耐の像のように丸くなってじっとしていた。けれども血色にも表情にも苦悶の迹はほとんど見えなかった 。自分は最初その横顔を見た時、これが病人の顔だろうかと疑った。ただ胸が腹に着くほど背中を曲げているところに、恐ろしい何物かが潜んでいるように思われて、それがはなはだ不快であった。自分は階段を上りつつ、「あの女」の忍耐と、美しい容貌 の下に包んでいる病苦とを想像した。
(「友達」十八) この描写、例によってあえてわかりにくくしてあると思うが、順番に記すと以下のようになる。
① 二郎、わざと驚いたような顔 をして外来患者たちを見回す。 (これは、他人をじろじろ見回したいのだが、ただ単に見回していると見られたらいやらしいだろうと勝手に気にして、驚いたので見まわしている風を装えば多少言い訳になると思ってわざとやっているということである。 二郎のいやらしさとそれを小手先でごまかしたがる性格を、短い言葉で見事に表している)
② 二郎、今度は梯子段を上ってる途中で外来患者たちを見回す。 (これも、高い所に登ればこちらからは見回しやすいが相手側からは見つけられにくいので、そこからジロジロ見回したいという欲求を表している)
③ 二郎、高い所から「櫛巻きにした背の高い中年女 」をジロジロ眺め続ける。これを本人は「何だかそこにぐずぐず」と表現 (これは、女の様子から「玄人」であることを感じ取ったので、中年とはいえそこに性的な興味を刺激されて見続けていたと。それを二郎がごまかしている感じを「何だかぐずぐず」として漱石は表現している)
ちなみに「櫛巻き」の画像
(歴世女装考) ④ 玄人の中年女が動いた後、二郎が「あの女」の横顔と「胸が腹につくほど背中を曲げている 」さまを見て「美しい容貌 」と。
改めて読むと、二郎の助平心と、それをせこくごまかそうとする小ささとが、短い描写に見事に込められている。
1(2)誰が病室に? その後、三沢の言によれば「あの女」が入院するのだが、二郎は最後までその入院患者を見ていないのである。入院したのが二郎が横顔を見た女と同一人物かは不明なのだ。
「やっぱりあの女だ 」 三沢はこう云いながら、ちょっと意味のある眼遣いをして自分を見た。自分は「そうか」と答えた。その調子が余り高いという訳なんだろう、三沢は団扇でぱっと自分の顔を煽いだ。そうして急に持ち交かえた柄の方を前へ出して、自分達のいる室の筋向うを指した。 「あの室へ這入ったんだ。君の帰った後で 」
(「友達」二十) 以降の描写によれば、その病室に入院しているのが女性であることと、その女が芸者であることは確定と思われる。
「あの女」は室の前を通っても廊下からは顔の見えない位置に寝ていた。看護婦は入口の柱の傍へ寄って覗き込むようにすれば見えると云って自分に教えてくれたけれども自分にはそれをあえてするほどの勇気がなかった 。 (略) 「あの女」の見舞客は絶えずあった。けれども外の室のように賑やかな話し声はまるで聞こえなかった。自分は三沢の室に寝ころんで、「あの女」の室を出たり入ったりする島田や銀杏返しの影をいくつとなく見た 。中には眼の覚めるように派出な模様の着物を着ているものもあったが、大抵は素人に近い地味な服装で、こっそり来てこっそり出て行くのが多かった。入口であら姐はん という感投詞を用いたものもあったが、それはただの一遍に過ぎなかった。 (略) 「じゃ向うでもまだ知らないんだね。君のここにいる事は」 「知らないはずだ、看護婦でも云わない以上は。あの女の入院するとき僕はあの女の顔を見てはっと思ったが、向うでは僕の方を見なかった から、多分知るまい」
(「友達」二十二) そして、三沢が入るのみで二郎が病室にいる女?を一度も訪ねることなく、二郎と三沢は病院を去る。
彼は自分の顔も見ず、また看護婦の顔も見ず、黙って立ったなり、すっと「あの女」の室の中へ姿を隠した。自分は元の座に坐って、ぼんやりその後影を見送った。彼の姿が見えなくなってもやはり空に同じ所を見つめていた。冷淡なのは看護婦であった。ちょっと侮蔑の微笑を唇の上に漂わせて自分を見たが 、それなり元の通り柱に背を倚せて、黙って読みかけた書物をまた膝の上にひろげ始めた。 (略) やがて三沢はのっそりと出て来た。室の敷居を跨ぐ時、微笑しながら「御邪魔さま。大勉強だね」と看護婦に挨拶する言葉だけが自分の耳に入った。 彼は上草履の音をわざとらしく高く鳴らして、自分の室に入るや否や、「やっと済んだ」と云った。自分は「どうだった」と聞いた。 「やっと済んだ。これでもう出ても好い」
(「友達」三十) どうも、三沢が入った病室にいたのが、二郎が見掛けた女でも、三沢が一緒に飲んだ女でもなく、無関係の芸者のおばさんであった可能性があるのでは、と思えて来た。 三沢が嘘をついているか、あるいは「あの女」が付添いで二郎が見た「背の高い中年女」のほうが入院していたと。
2、二郎と三沢母との会話
二郎が大阪の病院で入院している人物を、一度も見ていない事に気付いた後、私は「あそこの会話になにかヒントはないか」と思ってもう一度見てみた。二郎と三沢母との会話を。 見事に怪しい点が見つかったのである。
二郎は三沢母に言われるまで、画の女が「精神病の娘さん」とは気付かなかった 。 三沢の言によれば「あの女」と「娘さん」はよく似ているはずなのに。 終盤、二郎が三沢宅を訪ねた場面。あえて章の最初から引用する。
翌日自分は事務所の帰りがけに三沢を尋ねた。ちょうど髪を刈りに今しがた出かけたところだというので、自分は遠慮なく上り込んで彼を待つ事にした。 「この両三日はめっきりお暖かになりました。もうそろそろ花も咲くでございましょう」 主人の帰る間座敷へ出た彼の母は、いつもの通り丁寧な言葉で自分に話し掛けた。 彼の室は例のごとく絵だのスケッチだので鼻を突きそうであった。中には額縁も何なにもない裸のままを、ピンで壁の上へじかに貼り付けたのもあった。 「何だか存じませんが、好きだものでございますから、むやみと貼散らかしまして」と彼の母は弁解がましく云った。自分は横手の本棚の上に、丸い壺と並べて置いてあった一枚の油絵 に眼を着けた。 それには女の首が描いてあった。その女は黒い大きな眼をもっていた 。そうしてその黒い眼の柔らかに湿ったぼんやりしさ加減が、夢のような匂いを画幅全体に漂わしていた。自分はじっとそれを眺めていた。彼の母は苦笑して自分を顧みた。 「あれもこの間いたずらに描きましたので」 三沢は画の上手な男であった。職業柄自分も画の具を使う道ぐらいは心得ていたが、芸術的の素質を饒かにもっている点において、自分はとうてい彼の敵ではなかった。自分はこの画を見ると共に可憐なオフィリヤを連想した。 「面白いです」と云った。 「写真を台にして描いたんだから気分がよく出ない、いっそ生きてるうちに描かして貰えば好かったなんて申しておりました。不幸な方で、二三年前に亡くなりました。せっかく御世話をして上げた御嫁入先も不縁でね、あなた」 油絵のモデルは三沢のいわゆる出戻りの御嬢さんであった 。
(「塵労」十三) 手持ちの文庫で、章の冒頭から20行目以降にようやく、「油絵の女」が「精神病の娘さん」であるとわかったと二郎は書いているのだ。
つまり「大阪の病院で梯子段から二郎が見た美人」(以下「二郎が見た女 」)と、「精神病の娘さん」とは、顔が似てはいない。 すなわち、三沢の言う「あの女」と、「二郎が見た女」とは、別人なのだ。
(この考察続ける予定です。)