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夏目漱石「行人」考察(32)一郎は前夫の子?
大正元年(1912年)連載開始の夏目漱石の小説「行人」
私がはじめて「行人」を読んだのは大昔のことであるが、今回で31回に渡るような考察をしたいと思ったきっかけは、「行人」が「スパイファミリー」(作:遠藤達哉・集英社連載)みたいだなと感じたことである。
そして今回、こう思った。
・長野一郎は、綱(長野母)の、前夫の子である
これについて考えてみたい。
1、一郎の出生
冒頭引用の記事でもふれたが、一郎の出生になにか秘密がありそうなことは、「行人」の多数の謎の中では、比較的わかりやすく提示されている。
1(1)喧嘩中でも「お父さん」
長野父の「女景清」の話に異常に不満をためたらしい一郎が、自室で二郎と喧嘩する場面
「この馬鹿野郎」と兄は突然大きな声を出した。その声は恐らく下まで聞えたろうが、すぐ傍に坐っている自分には、殆ど予想外の驚きを心臓に打ち込んだ。
「お前はお父さんの子だけあって、世渡りは己より旨いかも知れないが、士人の交わりは出来ない男だ。なんで今になって直の事をお前の口などから聞こうとするものか。軽薄児め」
自分の腰は思わず坐っている椅子からふらりと離れた。自分はそのまま扉の方へ歩いて行った。
「お父さんのような虚偽な自白を聞いた後、何で貴様の報告なんか宛にするものか」
自分はこういう烈しい言葉を背中に受けつつ扉を閉めて、暗い階段の上に出た。
(※ 著作権切れにより引用自由です。)
弟との兄弟げんかで、相手を父親含めて批判しているにもかかわらず、「お父さん」と丁寧に呼んでいるのである。二度に渡り。
ちなみにこの少し前に、一郎が父を「親爺」と称している描写がある。
父には人に見られない一種剽軽なところがあった。ある者は直な方だとも云い、ある者は気のおけない男だとも評した。
「親爺は全くあれで自分の地位を拵え上げたんだね。実際のところそれが世の中なんだろう。本式に学問をしたり真面目に考えを纏めたりしたって、社会ではちっとも重宝がらない。ただ軽蔑されるだけだ」
兄はこんな愚痴とも厭味とも、また諷刺とも事実とも、片のつかない感慨を、蔭ながらかつて自分に洩らした事があった。自分は性質から云うと兄よりもむしろ父に似ていた。その上年が若いので、彼のいう意味が今ほど明瞭に解らなかった。
この場面、批判的とはいえ一郎が冷静に語っているときは「親爺」であるのに、兄弟喧嘩で「この馬鹿野郎」などと大声を出している際には、「お父さん」なのである。
なお、上記兄弟喧嘩の直前の会話でもすべて「お父さん」なので、必ずしも「激高したから『お父さん』呼び」との関係まではない。
ただ、激高した際に「親爺・くそ親爺」等ではなく、「お父さん」呼びを、一郎が二度に渡り重ねたことは、何か意味があると解釈したい。
そう考えると、少なくとも一郎の意識の中で、「長野父は実父ではない。しかし、育ててくれた恩のある相手」との認識があったと読み取ることが可能だ。だからこそ丁寧に「お父さん」呼びをしたと。
さらに、語り手・二郎は「自分は兄よりも父に似ていた」と、やや不自然な描写をしている。
1(2)二郎「は」父に似ている
同様に、これも比較的わかりやすく、二郎「は」父に似ていると一郎が何度も語っている。
和歌山の「権現様」(「紀州東照宮」といわれているらしい)での会話
「直は御前に惚れてるんじゃないか」
兄の言葉は突然であった。且普通兄のもっている品格にあたいしなかった。
(略)
「それは表面の形式から云えば誰もそう答えなければならない。御前も普通の人間だからそう答えるのが至当だろう。己もその一言を聞けばただ恥じ入るよりほかに仕方がない。けれども二郎御前は幸いに正直な御父さんの遺伝を受けている。それに近頃の、何事も隠さないという主義を最高のものとして信じているから聞くのだ。形式上の答えは己にも聞かない先から解っているが、ただ聞きたいのは、もっと奥の奥の底にある御前の感じだ。その本当のところをどうぞ聞かしてくれ」
また、上記「この馬鹿野郎」(「帰ってから」二十二)の兄弟喧嘩を含めたその直前は、より露骨に示されている。
- 然し大抵は世間離れのしたこう云う談話だけで書斎を出るのが例であったが、その折は何かの拍子で兄の得意とする遺伝とか進化とかについての学説が、銅版の後で出て来た。自分は多分云う事がないため、黙って聞いていたものと見える。その時兄が「二郎お前はお父さんの子だね」と突然云った。自分はそれがどうしたと云わぬばかりの顔をして、「そうです」と答えた。
「おれはお前だから話すが、実はうちのお父さんには、一種妙におっちょこちょいの所があるじゃないか」
(略)
自分はその時ぐっと行き詰った。実はあの事件以後、嫂について兄の前へ一人出て、真面目に彼女を論ずるのが如何にも苦痛だったのである。自分は話頭を無理に横へ向けようとした。
「兄さんは既にお父さんを信用なさらず。僕もそのお父さんの子だという訳で、信用なさらない様だが、和歌の浦で仰しゃった事とはまるで矛盾していますね」
「何が」と兄は少し怒気を帯びて反問した。
「何がって、あの時、あなたは仰しゃったじゃありませんか。お前は正直なお父さんの血を受けているから、信用が出来る、だからこんな事を打ち明けて頼むんだって」
自分がこう云うと、今度は兄の方がぐっと行き詰まったような形迹を見せた。自分はここだと思って、わざと普通以上の力を、言葉の裡へ籠めながらこう云った。
実の兄弟間の会話としては、不自然と思われる。「お前はお父さんの子だね」、「僕もそのお父さんの子だという訳で」、「お前はお父さんの血を受けている」と。
しかもこれらが「遺伝」の話題の後で出たとも、示されている。
1(3)二郎の述懐
さらに、二郎自身の述懐にも引っかかる内容が見られる。
二郎の下宿を急に直が訪れてから、「五日目の土曜」に長野父から電話があり(「塵労」六)、その翌日の日曜に父が下宿に来ることとなった。
その当日の記述である。後に日付は、3月「二十三日」とわかる(「塵労」八)。
(※ 話が飛ぶが、すると直が二郎宅を訪れたのは6日前、3月17日・月曜日か。直の来訪当日の述懐で「事務所から帰りがけに」とあるので(「塵労」二)平日であることは間違いない。しかしこの日付・曜日特定の意味は、、、?)
父は容易に来なかった。自分は父の早起をよく承知していた。彼の性急にも子供のうちから善く馴らされていた。
(略)
父はとうとう十時頃になって遣って来た。羽織袴で少し極り過ぎた服装はしていたが、顔付は存外穏かであった。小さい時から彼の手元で育った自分は、事のあるかないかを彼の顔色からすぐ判断する功を積んでいた。
これもまた通常であれば、息子が父親について語る際に「小さい時から彼の手元で育った自分はー」などと言わないであろう。あたかも他のきょうだいに「小さい時にこの父の手元で育って」いない人物がいることを、前提としているようだ。
2、母(綱)にはこの描写なし
これまで列挙したように、一郎と長野父については、あたかも血のつながりがなさそうな・二郎だけが血のつながりありそうな描写がされているが、綱(長野母)に関しては、そのような描写は全くない。
むしろ、長野父と長野母とを並べて、母の心配をわざわざ強調している描写がある。
上記の日曜日(3月23日)、長野父が二郎を実家まで連れて来た際の、長野両親の様子。
自分はその席で父と母から兄に関する近況の一般を聞いた。彼らの挙げた事実は、お重を通して得た自分の知識に裏書をする以外、別に新しい何物をも付け加えなかったけれども、その様子といい言葉といい、如何にも兄の存在を苦にしているらしく見えて、甚だ痛々しかった。彼等(ことに母)は兄一人のために宅中の空気が湿っぽくなるのを辛いと云った。尋常の父母以上にわが子を愛して来たという自信が、彼らの不平を一層濃く染めつけた。彼らはわが子からこれ程不愉快にされる因縁がないと暗に主張しているらしく思われた。
(略)
「本当に困っちまうよ妾だって。腹も立つが気の毒でもあるしね」
母は訴えるように自分を見た。
ここで、一郎のために家の空気が悪くなることの辛さを、父よりも綱のほうがより強く語っていることが、わざわざ括弧書きで強調されている。
これは一郎が綱の実子であるので、綱は一郎についての不満を他の家族の前でも普通に語れるが、長野父は実の親ではないため一郎への不満を洩らすことに遠慮がある、ということでは。
さらにここで、「尋常の父母以上にわが子を愛して来たという自信」という描写も、気になってしまう。
まるで「尋常の父母」と自分達とを対比して、尋常以上の愛情を注ぐことをこれまで心掛けて来たかのようだ。
3、長野父の一郎への気遣い
長野父が一郎に気遣いしていたことが示される描写が、前半にある。
一郎夫妻と綱が物語に登場した、大阪の宿
兄は自分を顧みて、「三沢が病気だったので、何処へも行かなかったそうだね」と聞いた。自分は「ええ。飛んだ所へ引っかかって何処へも行かずじまいでした」と答えた。自分と兄とは常にこの位懸隔のある言葉で応対するのが例になっていた。これは年が少し違うのと、父が昔堅気で、長男に最上の権力を塗り付けるようにして育て上げた結果である。母も偶には自分をさん付にして二郎さんと呼んで呉れる事もあるが、これは単に兄の一郎さんのお余りに過ぎないと自分は信じていた。
長野父が、一郎を長男として「最上の権力を塗り付けるようにして育て」たと。ここだけを見れば特に不自然はない。
しかし、これまで見たような「お父さん」や「尋常の父母以上に」等の描写と合わせて見てみるとここは違う解釈もできる。
・長野父は実子でない一郎に気遣いし、実子の二郎やお重よりも、あえて一郎を引き立てて他のきょうだいが尊重するように育てた
こうではないだろうか。
4、一郎は誰の子?
4(1)綱の過去
しかし、仮に一郎が長野父の実子ではないとして、では一体誰の子であるのか。
・長野母の前夫、もしくは長野母が昔関係を持った身分の低い男との間にできた子
そう推測する。
論拠としては極めて貧弱だが、「そう考えないと『女景清』の話が、完全に浮いてしまう」からである。
4(2)女景清
長野父が突然語り出した「女景清」の話は、「帰ってから」の十三~十九、手持ちの文庫本で19頁にも及ぶ。
しかし私は、このエピソードの「行人」に対する位置づけが、よくわからなかった。今でもよくわからない。
ただ明らかに不自然な点がいくつかある
・長野父は自分の後輩の男の話としているが、あまりに詳細かつ多岐に渡りその男と相手の女との昔のエピソード・有楽座で隣り合わせたエピソードを記憶している
・なんでこの話をわざわざ一郎、直、二郎に聞かせているのか
・このような秘密の使者を長野父がしてあげるほどの関係が深いような知人友人が誰であるかを二郎が「いくら考えてもどんな想像も浮かばなかった」としている(「帰ってから」十三)
これらの不自然を一応説明づけられる私の思い付きが、「実は性別入れ替えた長野母(綱)の昔の話。一郎の出生に関わるので、老い先長くないと考えた長野父が一郎に伝えた」というものである。
我が勝手な推察の中でも、これは論拠が薄い。また考えたい。
5、まとめ
これらの推測を、まとめてみる。
・綱(長野母)に、前夫もしくは関係をもった男がいた。一郎はその男との間に出来た子
・しかしなんらかの理由で、その男はいなくなった。離婚か死別か、綱の身分意識の強さからすると男が身分が低すぎたのか。
・その後、綱が婿養子を迎える。それが長野父。やがて同人との間に二郎・お重をもうける
・長野父は実子でない一郎に気遣いし、あえて長男としての権力付けや、尋常の父母以上に優しく育て上げた
以上は現時点での推察で我ながら詰めが甘いため、また変わるかもしれない。
綱の過去に興味が出て来た。また考察する予定です。