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夏目漱石「坊っちゃん」⑮ もし現代の相続トラブルだったら

(作品解説というより法律入門です)



夏目漱石の明治39年(1906年)発表の小説「坊っちゃん」

今回は「坊っちゃん」を題材に
「もしもこれが現代(令和6年)の相続トラブルだったら」
との観点で語ってみたいと思います。


1、「坊っちゃん」一家の前提


まず「坊っちゃん」の家族に関する設定にふれます。

・当初の家族構成
父・母・兄・坊っちゃん(主人公)

・東京在住、持ち家の自宅あり、旧家っぽい

このままに済ましてはおれの顔にかかわる。江戸っ子は意気地がないと云われるのは残念だ。宿直をして鼻垂れ小僧にからかわれて、手のつけようがなくって、仕方がないから泣き寝入りにしたと思われちゃ一生の名折れだ。これでも元は旗本だ。旗本の元は清和源氏で、多田満仲の後裔だ。こんな土百姓とは生まれからして違うんだ。

(「四」)

(※ 著作権切れにより引用自由です。)


・坊っちゃんが何歳の時であったかは何故か明記されていませんが、坊っちゃんの少年時代に、母親が病気で亡くなります。

・「母が死んで六年目の正月」に、父も「卒中」で亡くなります。
(これも何故か坊っちゃんの年齢は記載なし)。

・自宅等の父の遺産については、兄が相続した上で売却しました。
兄は売却金の中から「六百円」を坊っちゃんに渡し、元々仲が悪かった兄弟はこれで、事実上の縁切りとなります。

 母が死んでから六年目の正月におやじも卒中で亡くなった。その年の四月におれはある私立の中学校を卒業する。六月に兄は商業学校を卒業した。兄は何とか会社の九州の支店に口があって行かなければならん。おれは東京でまだ学問をしなければならない。兄は家を売って財産を片付けて任地へ出立すると云い出した。おれはどうでもするがよかろうと返事をした。どうせ兄の厄介になる気はない。世話をしてくれるにしたところで、喧嘩をするから、向うでも何とか云い出すに極っている。なまじい保護を受ければこそ、こんな兄に頭を下げなければならない。牛乳配達をしても食ってられると覚悟をした。兄はそれから道具屋を呼んで来て、先祖代々の瓦落多を二束三文に売った。家屋敷はある人の周旋である金満家に譲った。この方は大分金になったようだが、詳しい事は一向知らぬ
(略)
 九州へ立つ二日前兄が下宿へ来て金を六百円出してこれを資本にして商買をするなり、学資にして勉強をするなり、どうでも随意に使うがいい、その代りあとは構わないと云った。兄にしては感心なやり方だ、何の六百円ぐらい貰わんでも困りはせんと思ったが、例に似ぬ淡泊な処置が気に入ったから、礼を云って貰っておいた。兄はそれから五十円出してこれをついでに清に渡してくれと云ったから、異議なく引き受けた。二日立って新橋の停車場で分れたぎり兄にはその後一遍も逢わない

(「一」)


2、もし現代の相続問題だった場合の手順


それでは、このエピソードを現代の相続問題として考えてみましょう。
わかりやすくするために、以下の設例とします。

・約六年前に亡くなった母の相続は完了している
・「坊っちゃん」も兄も民法上成人している
・亡くなった父親は遺言書は残していない

2(1)相続人の確定

相続で、まず最初にする必要があるのは「相続人の確定」です。

これは「坊っちゃんの」ケースでいえば

・坊っちゃんと兄以外にも、父親に子がいないかを確認する

ということです。
「子どもが何人かなんてわかりきってるじゃないか」と思われるかもしれませんが、あえて古い言葉を使いますと「隠し子」が妻以外の女性との間にいるかもしれません。また生まれてすぐに養子に出されて、その存在を兄も坊っちゃんも知らない子がいるかもしれません。
さらには可能性は低いですがその逆に、父が坊っちゃん達に黙って、密かに養子縁組した子がいるかもしれません。

(※ 養子になった子も元の実親の相続権は失いません。また養子に入った子は実の子と全く同じ割合で法律上の相続人となります。つまり養子は実親+養親の、両方の相続人になるのです)。

なお作者:夏目漱石こと本名夏目金之助も、まだ物心つかないうちに二度も養子に出されています。二度目の養子先の「塩原」夫婦が離婚トラブルになる等があって、生家(といっても記憶なし)に移ります。
しかし今度は夏目家と塩原家とが養子縁組解消をめぐってトラブルになり、夏目家にいながら「塩原金之助」として20歳頃まで過ごし、その後ようやく養子縁組解消・夏目家に復籍しました。

2(1)A 戸籍の収集

では上記の「相続人の確定」→「坊っちゃん」では「父に他に子はいないかの確定」を、どう行うのかといいますと、

父の、死亡から出生までのすべての戸籍を、さかのぼって取得する

これをやらないといけません。
(以前はこの戸籍収集が大変ややこしかったのですが、令和6年の改正でかなり簡易になりました。)

戸籍を遡っていき、そこに他の子が出て来なければ相続人が確定します。

逆にもし、父の古い戸籍を見たら、知らない女性との子を認知していたとか、生後すぐに養子に出されたきょうだいがいると分かった等の場合は、その子も法定相続人となります。
そのため少し話は飛びますが、その子も含めて遺産分割協議をし、その子が同意して署名・実印を押し、印鑑証明書を渡してくれないと、預貯金も不動産も相続手続きはできません。
(なお本籍地がわかれば、「戸籍の附票」(ふひょう)という公的書類の申請をして住居登録地を確認できます)

知らないきょうだいがいた、なんて隠したいかもしれませんが、銀行も保険会社も、法務局(不動産の登記(名義)手続をする)も、相続関係の公的な証明を求めます。ごまかすことはできません。

2(2)私の推測


ここで「坊っちゃん」に関する私の勝手な推測の話をします。

私は坊っちゃんは、「両親の実子ではなく、拾われた子か貰われた子。設定のモデルは『嵐が丘』のヒースクリフ」であると、勝手に思っています。
(この考察は近いうちにちゃんとまとめるつもりです)

そのためもし私の推測通りだった場合、坊っちゃんが両親と養子縁組をしていなければ、父親の戸籍に、坊っちゃんはまったく登場しないのです。

つまり坊っちゃんは「同居しているだけの赤の他人」となります。
その場合は当然、相続権は一切ありません。

父の戸籍をたどっていく際に「知らないきょうだいがいた!」ではなく、「おれは実の子でなかった!・養子ですらない他人だった!」と、坊っちゃんが驚くことになります(あるいは坊っちゃんは薄々なにかわかっていたのかも。「親譲りの」無鉄砲)。


3、坊っちゃんの相続分(もし現代なら)


坊っちゃんが両親の実子か、あるいは実子でなくとも養子縁組をしていた場合は、(現代であれば)兄と共に相続人となります。
他に父に子がいなければ、法定相続分は兄と坊っちゃんで、2分の1ずつです。
(あくまで権利が2分の1ずつなので、互いが真意であれば「おれは別にいらん」との協議を成立させることは可能です。もっとも坊っちゃんは意外とお金には細かいので、現代のように法定相続権があるならばしっかり主張するかも)


4、兄の六百円


なお明治39年発表の本来の「坊っちゃん」では、坊っちゃんは上に引用したように、法律とは別の事実上の形見分けか、あるいは兄が戸主(こしゅ・戦前は家督相続制)としての扶養義務なのか、「六百円」を兄からもらいます。

当時の六百円の価値を推測してみます。
坊っちゃんは形見分けの三年後、四国の中学校に赴任します。その際の坊っちゃんの月給が「四十円」です。
つまり六百円 = 初任給の15か月分 = 初任給の1年3か月分
となります。
仮に初任給を23万円とすると、15倍で、345万円となります。

父の遺産の全貌が不明ですが、現代であればこれよりかは多く相続できそうです。



ところで、先に書いた私の勝手な推測だと、坊っちゃんと兄とは、赤の他人です。
また兄はそのことを知っているはずです。

それを踏まえると、「六百円」を坊っちゃんにくれた兄は、実は坊っちゃんに、優しかったのかもしれません。
(これもまたちゃんと考察したいと思います)


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