夏目漱石「行人」考察(33)再 Hと一郎はモテない同士
(なぜかnoteに不具合が出たので再掲します)
夏目漱石の大正元年(1912年)連載開始の小説「行人」
この中に「H」と記述される謎の男が出て来る。
1、太ってる
「行人」において、「H」の名が出て来るのは物語前半であるが、実際に登場するのはかなり後半だ。
これがHの初登場。全465頁中の362頁だ。
それにしても、語り手である二郎はかなり強烈にHの太り具合を描写している。
これに対して長野一郎は痩せている。
終盤の一郎とHとの二人旅は、痩せ過ぎな一郎と、「でくでく太った」Hとの中年男性コンビということだ。きっと人目をひいたであろう。
2、一郎とは古い付き合い
名前のみが登場した時点ではHは、一郎の「同僚」とだけ説明されていた。
またHの物語登場以降もそれを前提として話は進んでいた。
ところが物語の終盤近くになって、唐突に単なる同僚ではないことが明かされる。
終盤の一郎とHとの旅行、まず沼津に泊まった初日の夜
全465頁中の405頁目で、はじめて一郎とHが学友であったと明かされるのである。
同じく沼津での二日目の朝、砂浜の上を二人で歩いている際
ここでもう一度学友であることが念押しされる。
また終盤までほとんど知らされなかった、「一郎の学生時代」についても語られている。
やはり二郎は「信頼できない語り手」である。「行人」は、このHの手紙もすべて読み終わった数か月~数年後頃に、二郎が第三者に見せる前提で記したもの、という設定である。そのため二郎は当然「Hと一郎が古い付き合い」であると把握していたはずだ(たとえ一郎がそれを話していなかったとしても)。なのに二郎は「兄の同僚」としか示さなかった。むろん二郎は嘘は付いていない。
3、Hは独身?
Hが独身か否か、あるいは離婚経験者か、子はいるかいないかにつき、明記はない。
しかしおそらく独身ではないかと思われる会話はされている。
終盤、お貞の話題で一郎からこう言われている。
既婚者が独身者に言って聞かせるような内容ではある。
また上の「塵労・十四」を含め二郎がH宅を訪れる場面は二度あるが(「塵労・二十二」)、どちらも妻子がいるような様子はなさそうだ。
さらに物語中の「3月23日」には、一郎と共通の友人らしい「K」の結婚披露宴にも、Hは妻とではなく一人で出席したような描写がされている(「塵労」十五)。
4、Hは恋話が大好き
Hの特徴だが、恋愛話が大好きなのである。
その点では、霊だ魂だスピリットだ、メレジスだパオロだフランチェスカだ永遠の勝利者だと語り出す一郎と、よく似ている。
それで友達になったのか。
Hの名が最初に出て来る会話
ここで二郎がわざわざ「(Hは)どうしてこんな際どい話を聞き込んで、兄に伝えたものだろうか」と疑念を呈している。単に三沢と関係が深いから聞いた、というわけではなさそうだ。
Hが三沢にしつこく聞き込んだのだろうか。それとも妄想か、あるいは誇張しているのか。
ここだけならまだなんとも言えないが、同様な怪しい箇所が他に三つある。
まず二郎の二度目の来訪時
Hは他人の異性関係を茶化して楽しんでいる。
一郎との旅行中も似たような感じだ。紅が谷(鎌倉市)の夜
夜間にすれ違う男女の顔を毎度毎度「物色」してチェックしてると。
それも女の顔だけでなく男女双方ともの顔をじろじろ見ていると。このHは他人の色恋事を観察するのが大好きなのだ。
同じく紅が谷
どうだろう。一昔前の男子中高生が友達を「お前あの女の事が好きなんじゃねえの~? 照れてないで告白しろよ~」とかやってるのを想起しなかっただろうか。
それに対して一郎が、「女を知らない奴がおかしな事言うな」と、上から言い返したようにみえる。
ちなみに一郎はこれより以前、「女景清」の話の際、男女論について客2人、父、二郎の前で自説を披露したところ、その場で唯一の女性である直からすぐさま不同意を示されたことがある(「帰ってから」十九)。
その時とは逆に、Hに対しては一郎が男女論を諭す側の立場になれた。
ちなみにその一郎もあまり女性にモテるようには思えない。実際に直にもててなくて苦しみ、パオロとフランチェスカだ霊だスピリットだ結婚したら女はみな邪だと、ポエムに走っている。むろん私が人の事を言えた義理ではない。
5、一郎とHは「モテない友達」
ここまで書いてきて思った。
一郎とHとは、「モテない友達」であると。女にモテてない同士だから仲良くなったと。
5(1)モテなさそうな一郎とH
・痩せ過ぎの一郎、太り過ぎのH
・一郎は恋愛に関して実際ではなく観念的な話に走ってばかり。さらには弟(おそらく半血)と自身の妻との不貞を妄想しないといけないほどに、妻の態度に苦しんでそれをどうにもできない。
・Hはおそらく独身、結婚経験もない。かつ既にいい年齢であろうに他人の恋愛話を誇張したり茶化したりして楽しむという、私とほぼ同じレベルの男
モテない、だけど女性大好き、色恋事の「話」も大好き。これらを共通点として、学生時代の一郎とHは仲良くなったのではないか。
5(2)共通の友人「K」もモテない
上でもふれたが物語中の3月23日、一郎の知人である「K」の結婚披露宴が行われた。そこにHも出席していた。
しかしその「K」、随分と遅い結婚だったようである。
この「K」の遅い結婚のエピソードが挿入されたことに意味を見出すのであれば、一郎とHの共通の知人はあまり女性にモテない男である、これを提示したことではないだろうか。
5(3)一郎は自分よりもさらにモテないからHと仲良くなった?
こうして勝手な考えをめぐらし、かつお貞がらみでの「君は結婚前の女と、結婚後の女と同じ女だと思っているのか」との、現代で言うマウンティングとも思える一郎の台詞も合わせて考えると、次の邪推も浮かんだ。
一郎は、「こいつは俺よりもさらにモテないな」と確信しているから、Hと仲良くできるのでは、と。
自分よりも直と仲良さげに見える二郎とは、一郎は不仲になってしまった。
しかしHが相手なら、モテない事に劣等感や嫉妬を感じる心配はないと。むしろ普段モテなくて苦しんでいる俺でも、この男相手であればマウンティングできるぞと。
そう思うと、下記のHの、二郎に向けた妙に自慢げな言葉は、ちょっと違う意味に聞こえる。
外見差別的な内容であることを承知で念押しする。想像してみよう。
上記の「私の方が兄さんに親しい~和して納まるべき特性」と得意げに自分語りしている中年男は
「でくでく肥って」いるのだ。しかもたぶん独身。
さらにこれは手紙であるが、実際にHが前にいたら話振りは
「慣れない日本語を操る時のように鈍(にぶ)」く、「口を開くたびに肉の多い頬が動」いているのである。
鈍い口調で、肉の多い頬をぷるぷる動かせながら
「貴方も 同じ兄さんに就いて 同じ経験を なさりはしませんか。もし同じ経験を なさらないならばー」と語っているのである。
想像して下さい。
なんかモテなさそうではなかったですか?
私がいえた義理ではないけれど。