『首』から洞察するスピリチュアル
リーディングセラピストとして活動している私。日頃は出店イベントの情報や、遠征先で起こる不思議な導きや気付きの話をブログ投稿している。
https://ameblo.jp/reading-maho
しかし最近ちょっと違う切口でスピリチュアルを伝えたいなぁ…という想いがあり、こちらで始めてみることにした。
実は今映画が面白くなってきてよく観ている。
そこでキャッチした内容もまた、深く人間心理に基づいていて私たちの学びに変わる事に気付いた。
スピリチュアル的に言うのならば、私たちの人生にはちょっとした仕掛けや細工(ギミック)がされていて、それらを知る事で受け取る情報は格段に増していき、私たちは更に成長し今よりもっと楽に生きる事が出来る。
ページタイトルにした『Gimmick Charge ギミック チャージ』とはそういう事だ。
ただしギミックに気付くためには、やはりその人なりの受け取りやすい方法や媒体というものが存在する。
そうした意味では『映画』という世界は素晴らしい媒体である。
さて…前置きが長くなったが、今回は北野武監督作品の『首』という切口からギミックを洞察していこうと思う。
まぁなんだか堅苦しく書いているが、要するに映画鑑賞感想文である。
ただそれが少しスピリチュアルに寄っているというだけで。
※ネタバレ多く含みます
戦国時代とはそういう世界
北野武監督作品は正直に言って、かなりエグい。
例えば、川に放置された首の無い死体に蟹が巣食っているという、正直目を背けたくなるカットがある。
死んでしまえば私たち人間も食物連鎖の上位から下位に堕ちてしまうということか。
戦って失っていく『命』を嘲笑っているようにも感じるが、それは命そのものではなく失っていく経緯を嘲笑っているのだろう。
『首』という作品は一貫してそれを感じる。
命の重さの解釈が違っていた時代を、現代の私たちの目線で嘲笑うように憂いている。
しかし戦国時代がそういう世界だった事に間違いはない。
そうだとするならば、かなり忠実に再現されているという事になる。
決して命が軽かった訳では無いが、死というものの持つ意味が現代とは大きく違っていたのも確かな事だ。
私には過去に生きた人たちとの交流をはかる事が出来る…ミディアムシップという力があり、今までにも何度となく歴史上の人物たちとも交流してきているのだが、
その経験で言うならばやはり、戦国時代と呼ばれる時代に生きた彼らの死に対する想いというのは、今のそれとは違っている。
身近にあった『死』という存在
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