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杜甫「九日藍田崔氏莊」について

  一 はじめに

   九日藍田崔氏莊    杜甫

 老去悲秋強自寛  老い去りて 悲秋 強ひて自ら寛うす
 興來今日盡君歡  興来たりて 今日 君が歓を尽くす
 羞將短髮還吹帽  羞づらくは短髪を将て 還た帽を吹かるるを
 笑倩旁人爲正冠  笑つて旁人を倩ひて 為に冠を正さしむ
 藍水遠從千澗落  藍水は遠く 千澗より落ち
 玉山高並兩峰寒  玉山は高く 両峰に並んで寒し
 明年此會知誰健  明年 此の会 誰か健なるを知らん
 醉把茱萸子細看  酔うて 茱萸を把つて 子細に看る

 人口に膾炙している杜甫の「九日藍田崔氏莊」だが、読んでいると実に奇妙な印象を受ける。この奇妙な印象について、森槐南は「悲と云ふ字と歓と云ふ字を巧みに綜合いたしました詩」と『杜詩講義』で述べている。少し長いが引用してみよう。
 
 此詩は悲歓と云ふ字を以て組織いたしますので、此悲と云ふ字と歓と云ふ字を巧みに綜合いたしました詩のやうであります。さう云ふ意味で後が出来て居りますから、此悲と云ふ全く反対いたして居ることを巧みに融合いたして調和する様に出来て居ります所が、此詩の千古に亘つて名作と言はれます所以であらうかと思ひます。それでは何故に悲と歓とを調和すると云ふ念を生じたものであらうかと云ふと其意は外でも無い、自分は老人の事であつて段々年を取つて来る、秋の末となりますれば只さへ秋は物悲しいものであるに年を取りましたから無論悲しいに相違ない。所で九月の晴れた日に藍田の崔氏から招かれて其人の別荘へ参つて其席で詩を作るのでありますから、仮令己の老人の訳を悲む念がありました処が、どうも人の家へ行つて己の悲を漫りに述べる訳には参りませぬ。人の家で作る詩でありますから、矢張り自から其主人の身分を高める様に写さなければならぬ。又己が其主人に対する挨拶と云ふものもあることでありまして、さう自分が何を悲むかと言ふて悲い事ばかり言つて居る訳にはいきませぬ。先方に招かれて詩を作ることであれば、仮令悲しい境遇に在つても嬉しいと言はねばならぬ訳のことであります。それでは又嬉しいと云ふことばかり言ふかと申すと、それでは自分の実際悲い所を秘して嬉しいと云ふのでありまして先方に追従の様になり、本当の心から出た詩とは言はれませぬ。それで已むを得ず悲と歓とを巧く綜合して調和を附ける様に致して、先方の為めには喜ぶし自身の身体の為めには悲むと云ふ斯う云ふ具合に致しまして悲歓の二つ、反対のものが丸るで仕舞まで反対をせずに自から悲中に歓あり歓中に悲ありと云ふ様に写してあります。誠に珍しい作法であると思います。(注①)

 森槐南の言う「悲」と「歓」を整理すると次のようになる。

 ① 年を取って来て、秋がますます物悲しい……「悲」
 ② 藍田の崔氏から招かれて喜ばしい……「歓」

 第一句目の「悲」と第二句目の「歓」、これら二つのことが詩の中に同時に描かれているために、奇妙な印象を受けるわけである。森槐南自身は決して「奇妙」だとは言っていないが、詩を読むに当たって「已むを得ず悲と歓とを巧く綜合して調和を附ける様に致して」いると頭の中で考えなければ解釈しきれないというのは、やはり「奇妙」である。森槐南は「此悲と云ふ全く反対いたして居ることを巧みに融合いたして調和する様に出来て居ります所」と言っているが、果たして「巧みに融合」していると言えるのだろうか。なんだか、分裂した印象を受けるのである。
 融合か、分裂か。主観の問題かも知れないが。

 全体の構成を述べた解釈も多い。代表的なものを次に挙げる。

 乾元元年(七五八)の秋の作。「九日」は、陰暦九月九日、重陽の節句。この日は、山は丘などへ登り、酒宴を開き、茱萸(かわはじかみ)を頭に挿して邪気を払った。
 詩の主意は、第一句に尽くされている。年老いて悲しい秋の季節にあえば、どうしても心は沈みがちになるのを、しいてくつろごうとする。「強」の字が効果的に置かれている。
 頷聯は、故事を用いて、おどけた調子。頸聯は、別荘の秋景。いずれも、崔氏の好意を喜ぶ気持ちを表出する。しかしながら、季節も晩秋ともなれば、人生の迫り来る老いを、いやでも意識してしまう。はたして、来年の重陽に元気でいられるか。ここで、第一句と照応して、最後の句が用意される。手に取って、しげしげと見る邪気払いの茱萸の枝、「仔細」の字がきいている。「酔って」というが、酒を飲んでも酔えない杜甫なのである。(注②)

 整理すると次のようになる。

 ① 年老いて悲しい秋に、心は沈みがちになる……「老」「悲」
 ② 崔氏の好意を喜ぶ気持ちをおどけた調子で表現する……「歓」
 ③ しかしながら、人生の迫り来る老いを意識してしまう……「老」悲」

 「老い」を「悲し」む気持ちと招待を「歓」ぶ気持ちが交互に表れる。感情の振幅が激しいと言えるだろう。頷聯では、崔氏に招かれた喜びが悲しい気持ちを覆い隠すように描いているという解釈をせず、「おどけた調子」で、喜びを素直に表現していると解釈されているようである。
 この解釈では「奇妙な印象」はさほど感じられない。だが、「しかしながら、季節も晩秋ともなれば、人生の迫り来る老いを、いやでも意識してしまう」の「しかしながら」に私はひっかかるのである。宴会に招かれた時の詩にこの「しかしながら」がふさわしいのかどうか、「悲」と「歓」が交互に表出される複雑な構成がふさわしいのかどうか、疑問を感じるのである。

  二 杜甫の「九日」詩

 そもそも健康を願う宴会に招かれて、いきなり我が身の老残を嘆くのは失礼ではないだろうか。杜甫には「九日」の詩がいくつかあるが、それらはどうなっているのだろうか。老いを嘆いているものはあるのだろうか。
 「九日」詩において、自らの白髪や老いを嘆くものは7例ある。

1伊昔黄花酒  伊昔 黄花の酒
2如今白髮翁  如今 白髪の翁
                 「九日登梓州城」

5苦遭白髮不相放  苦しみて遭ふ白髪の相放たざるに
6羞見黄花無數新  羞ぢ見る黄花の無数に新たなるを
                     「九日」

7弟妹蕭條各何往  弟妹 蕭条各何くにか往かん
8干戈衰謝兩相催  干戈と衰謝と両に相催す
               「九日五首 其の一」

3即今蓬鬢改  即今 蓬鬢改まる
4但媿菊花開  但だ媿づ菊花の開くに
               「九日五首 其の三」

7艱難苦恨繁霜鬢  艱難 苦だ恨む繁霜の鬢
8潦倒新停濁酒盃  潦倒 新に停む濁酒の杯
             「九日五首 其の五(登高)」

3老翁難早出  老翁 早く出で難し
4賢客幸知歸  賢客 幸に帰することを知る
                 「九日請人于林」

5舊采黄花賸  旧采 黄花賸まるも
6新梳白髮微  新梳 白髪微なり
                 「九日請人于林」

 だが、これらは杜甫が宴会に招かれて詠んだものではない。「九日請人于林」は一見宴席に招かれた時のものであるようだが、実際にはその招きを断るという内容の詩である。その他は登高の儀式のために何人かと一緒に行動しても、「独」りで詠んだものである。あるいは「独」りで詠んだという設定になっているものである。複数の人々と行う重陽の節ではあるが、これらの諸作は単独での述懐と等しい。そのため「悲」と「歓」を綜合したり、交互に表出したりする必要がない。ただ、老いを嘆くだけである。

 九月九日重陽の節に宴会で詠まれたと思われるものには「九日藍田崔氏莊」以外に次の二首がある。

  九日楊奉先會白水崔明府    九日 楊奉先 白水崔明府を会す

 今日潘懷縣  今日 潘懐県
 同時陸浚儀  同時の陸浚儀
 坐開桑落酒  坐には開く桑落の酒
 來把菊花枝  来りて把る菊花の枝
 天宇清霜淨  天宇清霜浄く
 公堂宿霧披  公堂宿霧披く
 晩酣留客舞  晩酣 客を留めて舞はしむ
 鳬舃共參差  鳬舃 共に参差たり

 宴席を設けた主人を潘岳、賓客を陸機に見立てている。いかにも儀礼的な詩の内容になっている。作者の思いが述べられることは一切なく、もちろん自らの老残を述べることもない。

  雲安九日鄭十八攜酒陪諸公宴    
           雲安の九日に鄭十八酒を携ふ、諸公の宴に陪す

 寒花開已盡  寒花 開くこと已に尽く
 菊蘂獨盈枝  菊蘂 独り枝に盈つ
 舊摘人頻異  旧摘 人頻りに異なり
 輕香酒暫隨  軽香に酒を暫く随ふ
 地偏初衣裌  地偏にして初めて裌を衣る
 山擁更登危  山に擁せられて更に危くに登る
 萬國皆戎馬  万国 皆 戎馬
 酣歌涙欲垂  酣歌 涙垂れんと欲す

 宴会の詩にしては寂しげな印象から始まっているが、これらはすべて尾聯の「万国 皆 戎馬、酣歌 涙垂れんと欲す」に収斂していく。作者杜甫の思いは宴席の諸公と共有しているものである。主観といっても、自分自身のありさまを嘆くのとは異なる。

 このように見てくると、「九日藍田崔氏莊」が宴会に招かれたものとしては例外的な作品となっていることがわかる。(注③)いや、「例外的な作品」となるのは「悲」を描いていると解釈しているからであろう。「九日藍田崔氏莊」も他の九月九日重陽の節に宴会で詠まれたものと同じように儀礼的で、宴席の人々を意識したものと解釈すれば、どうだろうか。

  三 「歓」を中心に読み解くと

 杜甫「九日藍田崔氏莊」を「歓」を中心に読み解いていく。

  1 首聯

 老去悲秋強自寛  老い去りて 悲秋 強ひて自ら寛うす
 興來今日盡君歡  興来たりて 今日 君が歓を尽くす

 詩全体を通して、崔氏の好意を歓ぶ気持ちを中心に解釈するならば、首聯の「老去」は自らの「老い」を最初に詠うことで、宴席の人々に対して自己卑下をしてみせ、主人とその客たちを持ち上げるという仕掛けである。また、それは次の頷聯の髪が薄くなって帽子を落とすエピソードにつながるものでもある。宴席の人々は「歓び」を詠う作者を予想していたので、老いを嘆く素振りに少し驚き、「君が歓を尽くす」ですぐに冗談だと分かり、宴席が和む。

  2 頷聯

 羞將短髮還吹帽  羞づらくは短髪を将て 還た帽を吹かるるを
 笑倩旁人爲正冠  笑つて旁人を倩ひて 為に冠を正さしむ

 頷聯を「悲」とれば、年老いて髪も薄くなったことを嘆いているということになる。「短髪と云ふ中に自から老去悲秋と云ふことが籠つて居」(注④)るということである。「歓」ととれば、石川氏の言うように「故事を用いて、おどけ」ているということになる。
 この「九日落帽」の故事は陶淵明の孟嘉にある。

    「晉故征西大將軍長史孟府君傳」    陶淵明

 九月九日、温游龍山、參佐畢集。四弟二甥咸在坐。時佐吏並著戎服。有風吹君帽墮落、温目左右及賓客勿言、以觀其擧止。君初不自覺、良久如厠。温命取以還之。廷尉太原孫盛、爲諮議參軍、時在坐。温命紙筆令嘲之。文成示温、温以著坐處。君歸、見嘲笑而請筆作答、了不容思、文辭超卓。四座歎之。(注⑤)

 九月九日、(桓)温龍山に游び、参佐畢く集まる。四弟二甥も咸坐に在り。時に佐吏並びに戎服を著す。風有り君が帽を吹きて堕落す。温左右及び賓客を目して言ふこと勿からしめ、以て其の挙止を観る。君初め自らは覚らず、良久しくして厠に如く。温命じて取りて以て之れを還さしむ。廷尉たりし太原の孫盛、諮議参軍と為り、時に坐に在り。温紙筆を命じて之を嘲らしむ。文成りて温に示すや、温以て坐処に著く。君帰り、嘲を見るや笑ひて筆を請ひ答を作るに、了に思ひを容れずして、文辞超卓なり。四座之を歎ず。

 孟嘉は杜甫と同じように風で落帽するのだが、その理由は「短髪」ではないだろう。このエピソードは桓温のいたずら心と孟嘉の切り返しの妙に焦点がある。「文辭超卓。四座歎之。」が主題である。杜甫はそのような機知を発揮しようとしているのではない。孟嘉の笑いには余裕があるが、杜甫の笑いには自らを笑うほろ苦さがある。

  3 頸聯

 藍水遠從千澗落  藍水は遠く 千澗より落ち
 玉山高竝兩峯寒  玉山は高く 両峰に並んで寒し

 「悲」「歓」が交互に描かれると解釈すると、頸聯はどちらになるのか、はっきりしない。「悲歓の両方どちらからでも見られ」る。(注⑥)「悲」と見るには「寒」に注目するのである。
 「歓」を中心に考えると、宴席から実際に見える景色を即興的に描いたものと考えられる。遠い藍水と高い玉山へとこの宴席はつながり広がっていく。玉山は寒いがここは温かい。このように宴席の興趣を盛り上げるためである。ただし、この詩の場合、実際に見えるのではない。「藍水は遠く 千澗の落つる」のである。見えないものを見るのが詩人であるが、宴席からの延長線上にあると考えるのが自然であろう。
 宴席から見える景色を描くのは宴会詩における常套と言える。特に送別の宴では、別れの情景と旅先の情景が描かれることが多い。旅先の情景はもちろん、見えない景色である。

  4 尾聯

 明年此會知誰健  明年 此の会 誰か健なるを知らん
 醉把茱萸子細看  酔うて 茱萸を把つて 子細に看る

 「明年 此の会 誰か健なるを知らん」と杜甫はみなに問いかける。みなの健康を願う席でのこの言葉はかなり失礼な話である。だが、詩の冒頭から年老いたことを嘆いている杜甫こそが、来年の宴会に出られそうにない人物であると誰もが気づいている。同席している者たちは、杜甫の言葉に苦笑していることだろう。杜甫は口にしてから、自分自身のことに気がついたように、手のうちを子細に看る。「茱萸」を挿せば来年も出られるのだろうか。しかし、挿そうにもその頭は薄くなってきている……。逡巡する杜甫の姿に同席の人々は腹の皮をよじったに違いない。

  四 二つの読者

 「歓」を中心に読み解く作業において想定した読者は宴会の席にいた人たちである。作者の杜甫は読者がどのように理解するか十分予測できていた筈である。この詩は読者の反応を予測しながら即興的に詠んだものだと考えられる。宴席に来る時、老いを悲しむ気分はあったかも知れないが、それをも題材に杜甫はおどけてみせた。落帽のエピソードも出来すぎのところを見ると、あらかじめ仕込んであったとも思われる。酔眼で茱萸を看るパーフォーマンスも計算のうちか。
 杜甫が宴席を退出し、時間をおいて作った詩であるならば、読者は不特定多数の人たちになる。不特定多数の人たちが読者になる場合は、従来の「悲」と「歓」が交互に出てくるという解釈が最もふさわしいものとなるだろう。いや、特定の読者である同席している者たちも、笑いの向こうに透けて見える杜甫の悲哀を感じ取っていたに違いない。

  五 おわりに

 私は杜甫という詩人のイメージを変更せよと主張しているのではない。詩人像は読者によって選択されるものである。不特定多数の「〈晴〉の読者」が選んだ詩人のイメージを否定するのは意味がない。ただ、特定の「〈褻〉の読者」を想定すると、解釈も詩人のイメージも変わるのであるならば、読者をそれぞれに場合分けして読解すべきだと思うのである。(注⑦)
 時折、詩人像の変換を迫る議論がなされることがある。たいていの場合、読者をどう想定するかで詩人像が変わっており、そのことに気づいていない。どちらの詩人像が正しいかと選択するのではなく、読者によってどちらも存在するのである。もっと注意深く扱ってもらいたいと思う。

[注]
 本文中に引用した杜甫の詩は『九家集注杜詩』によった。
 注以外の参考文献は以下のとおり
  吉川幸次郎「九日」『吉川幸次郎全集第十二巻』筑摩書房(昭和四十三年)
  目加田誠『杜甫の詩と生涯 目加田誠著作集第七巻』龍渓書舎(昭和五十九年)
  高木正一『中国古典選27 唐詩選(三)』朝日新聞社(昭和五十三年)
  黒川洋一『鑑賞 中国の古典 第17巻 杜甫』角川書店(昭和六十二年)
  松浦友久編『校注 唐詩解釈辞典』〔宇野直人執筆〕大修館書店(一九八七年)

① 森槐南『杜詩講義1』平凡社(一九九三年)
② 石川忠久『漢詩を読む 杜甫一〇〇選』日本放送出版協会(一九九八年第一刷・二〇〇〇年第三刷)
③ 宴会詩において自らの老いに触れるものは十首たらずあるが、その中で「老いを嘆く」と言えるものが、果たしていくつあるだろうか。宴席の主人を持ち上げるために、自らを「老」、「老人」といい、「白鬢」という。「嘆く」と言うには表層的である。すでに杜甫自身を指す記号のようなものになっていると言ってもよい。真の嘆きは宴席には似つかわしくないのである。
④ 森槐南『杜詩講義1』平凡社(一九九三年)
⑤ 逯欽立校注『陶淵明集』中華書局(一九七九年第一版・一九九九年第4次印刷)
⑥ 森槐南『杜詩講義1』平凡社(一九九三年)
⑦ 「〈褻〉の読者」「〈晴〉の読者」については薄井信治「送別詩の評価について」『藤原尚教授 広島大学 定年祝賀記念「中国学論集」』溪水社(平成九年)を参考のこと。

初出:「中国中世文学研究」 (第45・46合併号) P192-P199  2004年10月

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