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谷中しょうが

普段はJRを使っているので、京王線から歩くのは久しぶりだった。
僕たちがこの街に越してきたのは結婚と同時だったのでもうずいぶん経つ。
夏には大きなお祭りがあり、友人も多くできて親しみを感じているが、その友人の多くが小さい頃からこの街に住んでいるからか、自分たちがこの街を地元と呼ぶには遠慮がある。
 
「しょうが祭りだって」
妻の言葉に顔を上げると、隣にある小さな公園が賑やかだ。
「しょうが祭」という言葉をなぜか懐かしく思った僕は、「行ってみよう」と言うなり、さっさとそっちの方向に歩き出した。
どうやら入り口は向こう側らしい。
妻は、勝手に向かって行く僕に、少し呆れた顔をして付いてきた。
 
日が暮れかかっているにもかかわらず、今日も暑い。
「神社があるね」
そう言って、公園の隣の10段ほどの石段を登り、ご祭神様に手を合わせている妻の背中の隣に力士の像が立っていることに気がついた。
どうやら江戸時代の八王子出身の、ものすごく強かった力士で、試合に出かける時はいつもこの神社に必勝祈願していたらしい。
 
神社の隣の公園のお祭りなんだな。
公園の入り口では、屋台で谷中生姜を売っていた。
採れたての、泥のついた数本の生姜をナイロン袋に入れて渡している。
お客さんはひっきりなしに来て、葉っぱの飛び出したナイロン袋を引っ提げて帰って行く。
 
あっ、
ナイロン袋の谷中生姜と力士像をみていて、さっき思った懐かしさに突然思い当たった。
「ああ、谷中しょうがだ」呟くと、妻が、何が?と聞いてきた。
 
この公園の近くに僕たちの、というか先輩達の行きつけの飲み屋があった。
マスターと奥さんのなおこさんのお店だ。
会社に入りたての頃、よく連れられて飲みに来た。
仕事が終わってから飲むお酒は楽しく、先輩たちは底抜けに明るい。
僕たちはこの店でたくさんのことを教わって、成長していったと思う。
ある日、なおこさんが、
「しょうが祭りやってたから谷中生姜買ってきたよ」
と、葉っぱを飛び出させたナイロン袋をかざして見せた。
「ほら、そこのお相撲さんの像の立っている公園」
これ、生姜なんですか?
知らないの?
食べる?
あ、食べます
僕は谷中生姜をその時初めて見た。
当然食べるのも初めてだった。
葉っぱの部分は食べないで根っこだけこのお味噌をつけてかじってね。
味噌と一緒に出してくれたそれは、そのまま生の生姜の味がして、口の中がさっぱりと辛くて、美味しかった。
「美味しいですね」
そういう僕にカウンター越しに「でしょ、お酒に合うんだよ」と笑いかけてくれた。
 
もう何年前だろうか、
マスターとなおこさんのお店のあったところはマンションになっていた。
僕も仕事が変わって、この辺りに来るのは久しぶりだ。
 
子どもたちが公園の中をぐるぐると回りながら鬼ごっこをしている。
俺、谷中しょうが買うよ、
じゃあ私は、妻は3店ほどしかないテキヤさんの屋台を見回している。
買うの?僕が聞くと、
当たり前でしょ、何のためにお祭り来てるんだよ
たこ焼き買おっと
そう言って、たこ焼きと書かれた屋台に並んだ。
 
葉っぱの飛び出したビニール袋と、たこ焼きのビニール袋を持って2人で歩いていると、少し風が吹いてきて、汗のにじんだ肌に心地よかった。
 
ぶらぶらと歩きながら、少し地元の人になったような気がした。
 
 

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