能力主義と障害者とギフテッド
こんにちは~ St.Mです。前回記事の続きになります。「能力があること」はいいことである反面、「能力がないこと」は良くないことと見なしかねない危うさをはらんでいるということに気付いたという内容でした。この記事では「能力」ではない、僕が考える「いい人・良くない人の基準」を紹介したいと思います(まぁnoteにいらっしゃる人の大半が「いい人」だと思っていますけどね)。前回記事はコチラ。
能力を発揮したいと思って努力してきたけど
前回記事のコメント欄でのやり取りで
「能力を発揮できる=幸せ」という考えは
「能力がない=不幸せ」 と近い
危なさをがあると気付きました
これはハンディキャップを持っている方を
「不幸」「かわいそう」と
ラベリングするようなものです
このハンディキャップについては
障害の有無だけではなく
経済的なハンディキャップも含んでいます
こうしたハンディがある人は
下に見られるしかないのでしょうか?
そんなことはありません
僕は何度か
どっちが上 どっちが下という考え方から
解放されていると話したことがありますが
能力的な上下というよりも
人間性の上下を見ている気がします
抗う人が好き
僕は相手のその時点での能力よりも
「より善い生き方を目指しているかどうか」
で人を評価しています
「評価」というとエラそうですが
積極的に関わるか
距離を置くか
の判断をしています
より善い生き方を目指している人は
自分自身にとっても学びを得られますし
一緒にいて居心地がいいです
ギフテッドの特性として
全員もれなく幸せにしたい欲求がありますが
易きに流されてしまう人に対して
手を差し伸べてしまうと
甘やかしになり
依存されてしまいます
楽な方を選ぶ人と判断した人に対しては
何も言わないようにしています
たとえ能力に恵まれていなくても
逆境に抗い努力する人は助けたいと思っています
note内の抗っている人たちへ
note内でツラい状況に置かれていることを
吐露されている人たちを見ていて
自分の中のドロドロした感情
しかも
誰かを責めるでもなく
かといって
自分を責めるでもない
そうした内容を書き始めた人は
「もうトンネルの出口に差し掛かっている」
という風に僕からは見えています
その理由はこの段階が
「自分の状況を受け入れ(肯定し)
その上でどうしたらいいかを
考え 行動し始める状態」
だからです
この段階に達したからといって
状況がすぐに改善されるわけではありませんが
悩んでいる人たちには
「誰か(自分)を責めても状況は改善しない」
と伝えたいです
noteで出会った方に
「あなたはもうすぐトンネルを抜けるよ」
とコメントしたことがありますが
気休めではなく
僕なりの根拠はあるんですね
ここまで読んで下さり
ありがとうございました
一緒にがんばっていきましょう
ではまた!
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