4-3 統合推進者に求められる「手」
統合推進者に求められるスキルとしては「手」が大切である。ここでいう手とは技術に近い表現として扱っている。状況に応じて必要な手段を選択するというという意味での手であり、時には目的達成に向けて良い意味で人を動かすための手練手管としての手である。それらはさらに“数字を扱う「手」”と“言葉を扱う「手」”の2つに分かれる。それぞれを解説していきたい。
数字を扱う「手」
まずは数字を扱う「手」である。PMI活動において困難を伴うのは様々な言葉の解釈の違いである。組織が達成すべき数値を、「目標」という会社もあれば「予算」という会社もある。お客様から問い合わせの打診があることを「着電」という企業もあれば、「新規」という企業もある。これらを統合することの重要性は後程の「言葉を扱う手」に譲るが、両社とも共通して変わらない言語体系がある。それが数字である。数字こそが万国共通でのビジネス活動の共通言語であるため、PMIにおいてはこの数字を扱える力があるかどうかで、統合へのスピードや機運醸成が大きく変わってくる。この場合の数字を扱う手というのは、当然ながら算数力などではなく、数字を使って組織を動かす方法論を指す。
統合推進者が経営経験者であったり、経理財務の担当者、金融関係出身者などの場合はこの数字を扱う手に対しては、比較的得意な認識を持っているだろう。しかし、現場において事業推進を担ってきた者が統合推進者になった場合などにおいては、営業における計画達成のための数字管理や、製造における在庫管理や生産性管理などにおける数字管理は得意であるものの、経営の基本であるB/S、P/L、C/Fなどの基礎的な数値が読み込めない人が多かったりするものである。現場で活躍している人が統合推進者になることも多く、一定自分のスキルに自信を持っているからか既知の知識で乗り切ろうとする場合もあるが限界がある。やはり、PMI推進の役割を担うものは、共通言語としての財務諸表が読み解き、課題を抽出し、活動KPIに落とすことは重要である。
現場で大活躍してきたエースが乗り込んできて、買収された会社において正しく残業代が支払われていない状況を見て、「だから社員のモチベーションが上がらないのだ」と言わんばかりに正確に残業手当を申請するように伝えたところ、赤字が大幅に膨らんでしまった結果、さらにリストラや基本給削減に追い込まれたなどの例もある。本来は残業実態を把握し、プロセスの効率化と分業を促進させることで残業を減らすことを前提にアクションすべきであった。買収サイドの統合推進者は、売却サイドに比べてこれまで比較的安定した財務環境で社内分業も進んでいた所で活動していることが一般的である。そのため自分の意思決定が財務状態や活動実態にどのような影響をもたらすかをイメージが正しく及んでいない場合もある。現場で活躍してきたエースなどが陥りがちな罠である。
私の失敗例も紹介したい。M&A先の個人向けの教育サービスを展開する会社の役員になった時の話である。新商品の発売時に、買収先の会社におけるホームページのプロモーションの在り方を全面的に入れ替える指示を出した。法人向けの新商品の発売などは発売直後に集中的にブランディングしていかなければ、広まっていかないという考えが私の中に染みついていたので、何の迷いもなく進めていった。しかし、個人向け新商品の認知にはタイムラグもあり、また立ち上げたばかりでサービスクオリティもばらつきが多く、ほとんど売れなかった。一方で、ホームページ上で既に販売しているメイン商品へのアクセスが大きく下がり、結果として月次計画の達成を大きく外してしまったことがあった。法人向けビジネスで成功体験を収めてきた私は、個人向けビジネスにおいてはホームページの内容が新規来客の問い合わせに大きな影響を与えるということを頭ではわかっていても、体で分かっていなかったのである。自分の指示がどういう数字的影響を与えるのか、「数字を扱う手」の重要性に気づかされた瞬間であった。
言葉を扱う「手」
続いて言葉を扱う「手」である。私は、言葉扱う手をこの人体図メタファーでは統合推進者に求められる一部の要素程度にしか表示していないが、正直この「言葉を扱う手」はPMIにおいて最重要テーマであると思っている。前述のとおり、同じような業界でビジネス活動していたとしても、その「言葉」については微妙な使われた方をすることも多い。言語学者であるソシュールの言葉を借りれば「言葉」は世界を文節するものであり、その文節の仕方によって認識されている世界が変わるものである。「言葉」を奪うことは世界を奪うことであり、「言葉」を塗りかえることは組織における文化を刷新することである。統合において言葉を安直に扱うことによってボタンの掛け違いが起こり、PMIの促進を鈍らせる例はたくさんある。
例えば、私が統合推進をサポートしていたスクール同士の合併においても、それぞれの社内で流通する言葉が違っていた。当スクールの門を叩いてくれることを「着電」と「問合(問い合わせ)」という言葉でそれぞれ表現していた。またお客様と契約を交わすことを「入学」と「入会」という言葉で表現していた。さらには社員のことを「先生」と表現するのか「インストラクター」と表現するのかなども違っていた。これらの違いを無視することもできるが、そうなると会議などの資料においてそれぞれ表記が異なり、全体で取りまとめる時となるとさらに大きな混乱を招くのである。そこで、統合プロセスの初期段階でまずこの言葉の表記の統一に時間を割いた。それは同時にお互いの微妙な文化の違いも浮き彫りにする。1970年ころから営業しているスクールにおいては、お客様からの問い合わせ行為は電話が一般的であった。そしてその会社では、一本の電話こそが私たちの生命線であると指導をしていたのだ。「一本の着電に全身全霊で臨め」という言葉が合言葉になっていた。着電という言葉に強い愛着があったのだ。一方でもう一つのスクール会社は「問合せ」となっていた。さすがに今の時代に電話での来客も少なくなってきていたので、「着電」を「問合せ」に統合しようと思ったが、「着電」という魂が、新しい会社に奪われると思われるリスクもあったので、あえて新しい言葉として「新規」という呼称に統一した。一方で「入学」と「入会」では、合併して作った会社のビジネスコンセプトが生徒と先生という旧来の学校モデルから、キャリアをアドバイスするキャリア支援専門会社への進化を目指していたため、「入学」という言葉にこびりつく旧来の学校観を払しょくしようと、「入会」で統一することを決めた。このように、言葉一つを選択する上においても、両社の歴史を尊重し、これから作りたい世界に準拠するように慎重にセットしていったのである。
ミッションやビジョンやパーパスなど、組織を推進する上での共通の目的を表現した言語体系を持っている会社も多い。買収サイドは自分たちが掲げるミッションやビジョンに合わせることが当然だと思っていることも多いし、最終的にはグループとしての一体感を作るためにはその方が合理的でもあろうと思う。しかし、これもいきなり変えることはお勧めできるものではない。特に、自分たちが創り上げてきた共通の目的に対して愛着を持っている場合は尚更である。おすすめするプロセスは、それぞれのビジョンを並べて、その言葉の背景にあるものを議論し、共通項を紡ぎあげていくことである。英会話スクールがグループに加わったときに、その会社が大事にしていたバリューとして「Customer Second」という言葉があった。これはお客様に最高のクオリティを提供するためには、まずは社員Firstの姿勢であることが大事であるという考えであり、それを内外に示すことで採用ブランドやサービスブランドに昇華させていっていた。私は、この言葉を軸に、自分たちが社員に対する想いや、モチベーションを大切にしている背景を伝えることで、すんなりとミッションビジョンの統合を果たせた。
最後に
「数字を扱う手」と「言葉を扱う手」においても、人の特性はどちらかに偏りやすい。金融関係や経理財務業務など数字を動かす仕事を多く経験として積んできた人は、誰かに何かを依頼する際に言葉に対して注意を払うことが少なかったり、営業や組織マネジメントなどの言葉によって人に影響を与えてきた人は、数字に関する感度が低かったりすることも多い。こちらも自分自身を自覚したうえで行動することが重要である。
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