日本を原ねて 心の健康 ストレス解消【虎関師錬】
25 虎関師錬(こかんしれん)(1278~1346)
図説いけばな体系2 いけばなの文化史Ⅰ 監修川端康成他 角川書店
虎関師錬は『元亨釈書』の著者である。その著書の成ったのは次のようなわけがある。
若いころ、元から渡って来た一山一寧(いつさんいちねい)(1247~1317)に逢い、その問いに対して中国のことは知らぬものはなかったが、わが国の事跡についてはしばしば応対に苦しんだので、それから国史を繙(ひもと)いてついにこの書が成ったのである。彼は学問のみならず、また趣味方面も多岐にわたり、その盆石賦は乾坤(けんこん)をミクロの世界の中に見る考えを示していて、瓶花の考え方にとっても大いに参考となるも
のである 132ページ
中国瓶花といけばな 細川護貞 講談社
図説いけばな体系2 いけばなの文化史Ⅰ 監修川端康成他 角川書店 と
同様の内容が書かれています。 60・159ページ
史料による茶の湯の歴史 上 熊倉功夫 主婦の友社
一山一寧(いちさんいちねい)(1247~1317)浙江省のひとで諸山を歴参した後に詔勅をもって来朝。北条貞時に元の遊偵と疑われて捕られたが、やがて建長寺に招かれ、ついで円覚寺、浄智寺と転住して、正和2年(1313)後宇多上皇(1267~1324)勅により南禅寺三世となった。 94ページ
中国瓶花といけばな 細川護貞 講談社
五山文学に大きく寄与した、一山一寧、元使として来日。 189ページ
図説茶道大系 茶の文化史 芳賀幸四郎・西山松之助 角川書店
虎関師錬の外集『済北集』に「茶磨(ちゃうす)」「茶壺」と題した七言絶句各一首がみえ、竜泉冷淬(りゅうせんれいさい)(生年不詳~1366)の外集『松山集(しょうざんしゅう)』にも「茶瓢(ちゃひょう)」という一絶が見いだされるから、抹茶を茶筅でたてて飲む飲み方が、鎌倉末期から南北朝時代にかけて、禅僧社会におこなわれていたことは確かである。
83ページ
虎関が「茶」と題する詩で「両腋(りょうえき)の清風、十虚窄(じっこせ
ま)し、三千世界一甌(いちおう)の春」(済北集)と詠じ、…これらの詩句は、かれらの茶に期待したものが、腋下に羽翼を生じ十万虚空せましと持外(もつがい)に逍遥(しょぅよう)し、羽化登仙することであり、その茶趣が老荘神仙思想と結ぶものであったことを、雄弁に物語るものだからである。 84ページ
虎関師錬は無為自然をあらわし、生活感情をあらわしている。
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