日本を原ねて 心の健康 ストレス解消【菅原道真】
33 菅原道真(845~903)
百人一首 平井勲著 夏目延雄著 虹有社
二十四 菅家(菅原道真)
このたびは ぬさもとりあへず 手向山(たむけやま)
紅葉(もみじ)の錦神(にしきかみ)のまにまに
今度の旅は朱雀院(宇多上皇867~931)のお供をして取り急いで出かけたので、道々の神に捧げる幣帛(へんはく)も用意して来なかったが、幸ここに美しく紅葉を神の御心にまかせて幣(ぬさ)としてご覧下さい。
【ぬさ】幣の字をあてて、神に祈願をこめる時に供えるもの、多くは麻又は木綿(ゆふ)で紙を代用することもある。
【手向山】奈良にある山の名と幣をたむけるとを掛けた詞。
【まにまに】心まかせにの意。 31ページ
日本文化の基層研究 上田正昭著 学生社
月の耀(かがや)く晴れたる雪の如し 梅花は照れる星に似たり
憐れぶべし 金鏡(きんきょう)の轉(かひろ)きて 庭上に玉房 (ぎょくほう)の馨(かお)れることを 241ページ
道真は、逝去後天満大自在天神とか、あるいは、大政威徳天など、さまざまな名称であがめられていったが、寛和2年(986)慶滋保胤(よししげのやすたね?~1002)の「菅丞相廟(じょうそうびょう)に賽(さい)する願文」には、「文道の祖、詩境の主」と書かれている。また大江匡房(おおえのまさふさ1041~1111)の曾祖父にあたる匡衡(まさひら952~1012)の寛弘9年(1012)の北野天満宮への願文には、「文道の大祖、風月の本主」とたたえられている。
…室町時代の京都五山(天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺)の臨済宗の禅僧たちは、いわゆる五山文学の担い手となったが、その学問には漢詩・漢文学が重きをなした。…書道の三聖のひとりあるいは和歌の三神の一神としてもあがめられ、連歌がさかんになると、天神奉納の月次(つきなみ)連歌が恒例化するようになる。そして舞楽・茶の湯・念仏踊や歌舞伎踊が奉納されたのにもうかがわれるように、芸能の神としても敬慕されたのである。天神信仰は民衆のなかにも息づいていた。 252・253ページ
菅原道真は無為自然をあらわし生活感情をあらわしている。