いつかそのときはくるけれど
今日は一人だからお昼はそうめんかなあ、
なんて考えているとケータイに着信。
お祭りに出かけた二女、ミカから。
「あのね、猫、捨てられてるんだけど、どうしよう…」
どうしようもこうしようも、
この電話かけてきたってことはつれて帰る気だよね。
ミカが大学に入学してはじめての夏休み。
お友達のカヨちゃんとお祭りに行こうと、となり町の駅で待ち合わせ。
一緒にちょっと歩いたところで、妙な人の動きに気がついた。
道の片隅に寄せては返す人の波。なになに?段ボール箱?
そう。「捨て猫です 拾ってください」と書かれた段ボール箱。
中には小さい小さい子猫が2にゃん。
「かわいそうだねぇ」と言いながら遠ざかる人々が悪いわけじゃない。
わかっちゃいるけどむしょうに腹が立ったミカは電話をかけた。
つれて帰らなければ保健所か、はたまた清掃センターか。
「つれて帰れる?」
車で迎えに行きたいのはやまやまだが、なにしろお祭りのど真ん中だ。
電車で移動してもらえれば、こっちの駅なら迎えに行ける。
ミカが駅員さんに猫をつれて電車に乗りたいと相談すると、
きっちり蓋ができる箱でないと乗せられないと言われた。
コンビニで理由を話すと、蓋のできる空き箱をゆずってくれた。
店員さんは「捨て猫です 拾ってください」の箱を引き取ってくれた。
家に着いてから箱の中を見た私は啞然とした。
片手くらいの大きさの子猫たちは骨と皮ばかり。
あちこち血がにじんでいる。
そして蚤、蚤、蚤。
正直なところ、これは無理かも、と思った。言わなかったけど。
とにかくやることは一つ。今現在開いてるできるだけ近い動物病院を探す。
日曜日のちょうど昼だから、電話でお願いしてから出かけた。
体重180グラム。推定生後一か月。男の子と女の子。
薄茶色で目が青いということに、その場でやっと気づいた。
大量の蚤は「100匹はついてるね」だと。
蚤駆除剤の投与を受け、薬をもらい、
必要な物や家での世話のしかたなど教わった。
締めて二万ちょっと。お会計は現金のみ。
家じゅうから現金をかき集めてきておいてよかった。
そのまま近くのホームセンターへ寄って
猫用ミルクや蚤とり用の梳き櫛など買いそろえた。
そのへんはミカにも払ってもらう。
カヨちゃんは遊びに行くはずだったのに、
ここまでついてきて手伝ってくれて、
その上お金が足りなければ貸すよとまで言ってくれた。いい子だ。
帰るまでに子猫たちには名前がついていた。
たぶん7月生まれだから、七夕にちなんでアルちゃんとベガちゃん。
家に着くと早速人肌より少し暖かめのミルクを用意。
シリンジでお口へ。飲んだ。
次に薬も。飲んだ。
息をつめてのぞき込んでいたみんなが息をした。
そのときベガちゃんはぶるっと震えて、ミカの膝の上で動かなくなった。
嘘だろう。生まれてきて、こんな痛い目にあって、そのまま?
蚤とって、少しは楽になったろうか。
ミルク飲んで、少しはほっと一息つけたろうか。
こんな形で飢えや痛みや痒みから解放されてしまった。
ベガちゃん。
抱きしめたくても、
片手のひらにおさまるくらいのあまりにも小さい体だった。
体重180グラムで蚤100匹。200倍で36キロ、300倍で54キロなら、
この子たちを捨てた人間に、100匹の200倍か300倍、
二万匹から三万匹くらいの蚤をくっつけてやりたい。
事情があったかもしれない。やむをえなかったのかもしれない。
でもでも、この小さい子達がこんな苦痛に耐えて
肩代わりをしなければならないのか?
アルちゃんは眠った。
私はそっと立ってカヨちゃんを送っていった。
長女ミナがバイトから、三女ミキが塾から、次々と帰ってきた。
アルちゃんを見て喜びつつ、ベガちゃんに泣いた。
夜になって帰ってきたダンナは一言「あ、ネコだ。」
こうしてアルちゃんとベガちゃんはうちの子になった。
それまでにうちにいた人間以外の生き物は
金魚とオタマジャクシ(そしてカエル)。
猫の、それもこんなに小さい子の世話ははじめてだ。
だけどなんとかアルちゃんの命をつなぎとめたかった。
幸いなことに夏休みだったので人手はある。
交代で夜もずっと誰かがついた。
8月上旬、夏真っ盛り。
だけど動物病院でエアコンはあまりよくないと言われた。
あんなに小さな体では気温変化の影響も大きいのかなと思って、
みんなで熱帯夜も我慢した。
はじめのアルちゃんのお部屋は大きめの段ボール箱。
最初のトイレはお弁当箱くらいの箱。すぐに覚えてくれた。
トイレ以外の場所でしたのは片手で数えられるほど。
毎日シリンジでミルクと薬を飲ませ、梳き櫛で蚤をとり、
出てきた蚤はガムテープで回収した。
蚤は日ごとに少なくなり、やがて出てこなくなった。
まもなくミルクは自分で飲むようになり、
ふやかしたドライフードも食べられるようになった。
今にもベガちゃんのところへ行ってしまいそうだった骨のういた体にも
肉がついてきた。
みんなの緊張感もすこしゆるんできた。
カヨちゃんも遊びに来ては、成長を喜んでくれた。
夏休みが終わると人間が誰も家にいない時間ができるので、
みつけた中で一番大きなケージを買った。
閉じ込めるのはかわいそうな気がしたが、
誰もいないところで事故になるのが怖かった。
出かける前にアルちゃんをケージに入れる日が続いたら、
あるときから自分で入っていくようになった。
ごめん。誰か帰ってくるまで待っててね。
一番早く帰ってきた誰かがケージを開け、
水をとりかえ、ごはんを補充し、トイレの始末をする。
学校やバイトや仕事の都合でケージ開け係は日によって違った。
高校生のミキが一番になることが多かったが、時刻はまちまちだった。
ミナは、大学が休講になりバイトもない日には
アルちゃんをお腹にのせて昼寝したりしてた。
じっと乗せていても苦しくもなんともないくらい軽かった。
それでもアルちゃんはふやかしてないドライフードも食べるようになり、
少しずつではあるけれど順調に体重は増え、
しっかりと歩くようになり、家の中を見回るようになった。
体は元気になっていったが、アルちゃんの心のうちはどうだったんだろう。
いつからだったか、夜真っ暗になった台所の真ん中でニャアニャアと、
絞り出すような声を上げるようになった。
なにかしら苦しそうな切ない声だった。
ベガちゃんを探して呼んでいるような気がした。
体のことならしてあげられることもあるけれど、心のことだとしたら?
そっとなでるくらいしかできなかった。
夜泣きは暫く続いた。
二学期が終わる頃には、
アルちゃんは年齢並みよりちょっと小さいだけの子猫になっていた。
もう傷だらけで骨ばったボロボロの子猫じゃない。
寄生虫を出したり検査を受けたりしているうちに一歳になり、
体もぐっと大きくなり、
アルちゃんが病院に行くことは少なくなった。
見てないうちに動かなくなっているんじゃないかとはらはらする日々は、
いつのまにか終わっていた。
***
10年過ぎた。
アルちゃんは特に大きな病気もせず年を重ねてきたが、
このごろは足の爪をしまわなく(しまえなく?)なった。
眠っている静かな時間が長い。
気持ちは穏やかに暮らせてるかな。だったらいいな。
娘たちは一人ずつ出て行った。
カヨちゃんももう実家にはいない。
うちには私とダンナと猫が残っている。年寄りばかり。
だから自分の終わりについて、それぞれの終わりについて、
腹をくくっておかなければならない。
幼いときとは別の意味で、
見てないうちにアルちゃんが動かなくなっているんじゃないか
という不安がまた戻ってきていた。
嫌でもそのときはいつか必ず来るし、
今度はもう頑張ってもそんなに先延ばしはできないだろう。
私はたとえ一日でもアルちゃんより長生きして、そのときを見届けて…
考えるだけで体が冷たくなるような気がするけれど…
そのときも一緒だよ。ね、アルちゃん。