欲望の結び目をほどく――ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』
今回の読書範囲は、ブルース・フィンク『ラカン派精神分析入門』の後半でした。
この本を読むまで、精神分析は何を目指して行われるのか、について考えたことがありませんでした。分析のプロセスについて、自分なりにまとめてみます。
ラカンは、分析の過程を「欲望の結び目をほどくこと」と表しています。
欲望の結び目とは、本来色々なものに向かって動き続けるはずの欲望が「固まっている」状態を指します。これをほどいて、欲望本来の流動性を取り戻すのが分析の目標です。
といっても、実際に欲望がドロドロに暴走するわけではありません。私の解釈ですが、「結び目をほどく」というのは、すなわち別の結び目をつくることです。ひとつの結び目に固執するのではなく、次々とほどいては別の結び目をつくっていくことが、欲望の流動性なのではないでしょうか。
もう少し分節してみます。
結び目、つまり欲望が固まっているとは、欲望の原因が固まっているということです。欲望の原因とは、欲望のきっかけになるものを指します。それはひとによって異なりますが、多くは幼少期の家族や親しい人とのあいだで結ばれた関係によって決まります。
欲望の原因とは、欲望の対象ではありません。
ある例では、ひとりの男性がひとりの女性に強く惹かれていました。女性ははじめ男性を強く拒絶しますが、男性は余計に情熱を燃やします。ところがついに女性が折れ、男性に歩み寄ったとき、男性はとたんに女性への興味を失ってしまいます。
この例では一見、女性が欲望の対象だったように見えます。しかしそれでは、女性を手に入れたとたんに男性の欲望が消失してしまったことが説明できません。ここからわかるのは、女性の存在が男性の欲望の対象だったのではなく、「女性に拒絶されること」が原因として欲望をかき立てたのです。
別の言い方をすると、欲望とは、もともと男性が持っていたエネルギーがある対象をみつけて向かっていく、という形式ではなく、ある原因によってはじめて発生するものです。これをラカンは「欲望は引っ張られるのではなく押し出される」と表現しています。
だから、男性は女性に受け入れられることで、欲望の原因を失ってしまったのです。
こうした欲望の原因は、自分できちんと意識することが難しいものです。無意識で規定されているものなので、自分でコントロールすることはまずできません。
分析家は、患者がどのような幼少期を過ごしていたか、といった話を通して、無意識下にある欲望の原因を見極めていきます。分析家は、子どものころの体験に、欲望の「原因の原因」のような、根源的な一瞬があると考えます。
かといって、「あなたの欲望の原因はこれですね」と探偵のように言い当てるわけではありません。患者の話す言葉から、どうやらこの体験が重要なようだ、というポイントを絞り込んで、患者がそこに何かの意味を読み取るよう促します。
その手法はわりと単純で、重要そうな話に差し掛かったら咳払いをしたり、突然セッションを打ち切ったりします。そうした分析家の反応を見て、患者は「あれ、この話って何か、自分の分かっていない深い意味があるのかな」と考え始めます。このとき、欲望の結び目が客観視されはじめている、「ほどけはじめて」います。(分析家の手法は、文章でいうと改行や鉤カッコのよる強調、章の分かれ目に相当する気がします)
さきほど、欲望の原因について、幼少期の体験が意味を持つことが多いと書きました。具体的には、人生で初めて出会う他者、つまり両親の欲望をどのように受け止めたかが、その後の欲望の原因を形成します。
「人に迷惑をかけてはいけません」とか、「やさしい子に育ってね」など、両親はさまざまな要求を口にします。しかし、子どもはその裏に何か本当の狙いがある、見えない謎があると考えます。それが欲望です。
両親=他者の欲望ははっきりとは示されないので、子どもの中で仮の形で想像されます。「きっと両親は私にこうなってほしいに違いない」という想像上の欲望に対して、「そうなろう」あるいは「思い通りになるもんか」など、様々な形で子どもは自分の方向性を無意識に決めていきます。それが子ども自身の欲望になっていきます。
だから、欲望とは他者の欲望に他なりません。自分オリジナルの所有物ではなく、他者によって、他者に合わせて(あるいは反発して)作られたものです。分析家に促され、人生で最初に作られたその結び目についてはじめて認識することで、患者は自分の欲望を客観視していきます。
精神分析とは欲望の結び目をほどくこと。
欲望とは、原因によってかき立てられるエネルギーのこと。
欲望の結び目とは、欲望の原因が固まった状態。
結び目をほどくとは、親によってつくられた根源的な原因にこだわらずに、欲望の流動性を確保すること。欲望を主体化すること。
という感じでしょうか。初期ラカンの、しかも神経症治療に絞った話になってしまいましたが、現時点の理解をまとめてみました。精神分析とは内なる他者を見つけること、みたいに単純化してしまってもいいかもしれません。