「気落ちしてる人を励まそうと無理にでもポジティブに転換する人」は、実は相手を否定している事に気付こう?
「でもさ」「だってさ」という一言は
相手のその時点での思いを真っ向から否定出来てしまう言葉なんですよね
使い勝手が良くて多用もしがちだけど実はそういう言葉。
その無茶な「ポジティブ変換」は、その時シンドイ思いをしている人からすればぶっちゃけうざくて仕方がない行為だと教えてもらいました
今回は私のそんな体験談から、反面教師として
みなさまのお役に立てれば幸いです。
【その"自称善き行い"ダルイよ?】
つい最近の私の話です。
お付き合いをしている人が気落ちしていました
励ましてせめて良かった点を意識させよう!
と声掛けをしたところ、
「今はただ落ち込ませて欲しいんだ」
と逆に諭してもらえたことがあります。
その後その人が落ち着いてからお話の場を設けてもらい改めて聞いてみると、
「人って知らないことは理解が及ばないよね?」
「だから、分からないなら分からないでいい」
「そうだったんだね。だけで言葉は十分なんだ」
「なのに『分かった風』な発言でさらりとポジティブに変換、上書きしようとする事が癪に触るし正直ダルっ…。って思っちゃう」
との事。
大切な人が今辛い思いをしているから支えたいと動いたつもりが逆効果で、 むしろ追い詰めてしまっていた事を知り
頭を金槌で叩かれ冷や水を浴びせられた気分になりました。
【自覚できた自分の側面】
会話の中で交わした言葉を反芻しながら、
特に何がその人のストレスを助長させてしまったのか、今後繰り返すことのない様にするにはどう意識すれば良いのか今でも考えています。
その中で一つ思い至ったのが
「ネガティブ=悪である!」
と否定しているから。ではないかと思い至りました
嫌なものは嫌。
辛いものは辛い。
仲良くて気のおけない人に話せば
「うわぁわかるわぁ。最悪じゃん!」で済む話を
「でもそれってこう考えればポジティブじゃない?」という提案を私は常々していました。
悩んでるときも辛すぎるその瞬間も、その時その時にまず相対している。
それでも不意に溢したい不満や愚痴は絶対ある。
だからこそ解決の目処はまるで立たなくてもいいからただ聴いてほしい。
これだけで良かった話だったんですね。
私は何となく「根っからのポジティブ」と言うより
「ポジティブでなければいけない」と自分に思い込ませながら生きている感があります。
だからか自分以外にも「どうにかポジティブに」
を強要してしまっていました。
疲れてベコベコに凹んでる時にふと、溢してみたら
「でも、こう考えたらラクじゃない?」
って謎のポジティブを押し付けてきて、挙げ句の果てには
「良い事言ったった!」って謎の自己満足に浸りながらいつの間にか聞いてもいない自分の話を勝手に語り出す…そんなんされたらそりゃウンザリしますよね…!?
ここまでの思い至った考えをポツポツと彼女に打ち明けてみると
「うん、その違和感というか居心地の悪さは確かに感じてたよ」
と正直に伝えてくれました。
きっと小さい日々の不満が溜まりに溜まりながらもそれでも私を気遣い、ぶち撒けることもせず心の内に留め続けてくれたんだと思います。
本当に感謝と申し訳なさが増すばかりです
【これからどうする?】
私は今『傾聴』という生き方のスタンスを意識して自分に取り入れています。
相手の話や想いを引き出して、受け止める
ただこれだけだけど、これがとても難しい。
人生を懸けて習得したい人生観です。
あっさりしているけどシンプル。
相手がすんなり受け入れられる言葉を伝えられる。その人にとって「居心地がいいな」と思える人。
何よりも私にとって、とても大事な人の心を少しでも支えられる
そんな人になろうと志し今日からも過ごしていきます