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人は人で、自分は自分だから…。 だから…こそ!!

誰かと比べて、劣る自分の部分をわざわざ探して落ち込んでしまう

あの人よりはまだマシだから…
と言い聞かせるように諦め、失望する

こういった考え方は全人類誰にでも!
とはいかなくとも心当たりのある人、けっこう居ると思います。

ただでさえ、実際に面と向かっている人に対してもこういった卑屈な劣等感は感じるのに

SNSや投稿サイトの台頭により、会ったこともない話した事もない人にまでフォロワー数やいいねの数
サムネの印象で評価して人物像を貼り付けながら自分勝手に一喜一憂する日々

実は他でも無い私がそうです。

メンタルが弱くていつも自信を持っていない自分にがっかりする…

心が落ち込んで人を羨んで…自分とは違うから…と落ち込む

そんな日々を過ごすなか、穏やかに沁み入るような
言葉がありました

「 【 人は人、自分は自分 】だということ。
わざわざ人と比べたりしない」

とてもシンプルで聞いてすぐの頃は
「…いや、そりゃそうでしょ…」と聞き流して関心を無くしかけたけれど、よく噛み砕いて考えてみると

それはつまり、
【 自分にとって何が大切なのか、どういう状態が幸せなのかを自覚できてる? 】ってことだと思いました

私は生活環境下における周囲の人間の顔色を気にしすぎる事がある。それに加えて、

周りの人の邪魔にならないように…

とにかく嫌われないためなら自分を押し殺してでも一先ずは同意を示してこの場をやり過ごそう!

と意義もない他尊自卑のような立ち居振る舞いをして生きてきました。

一部の人からはこの性格が鼻について逆に嫌われ、離れていったけど、それ以外の大多数の関わり合った人たちからは特にマイナスのレッテルを貼られる事なく済んだのは安心した

ただ最も参ったのが、自分が本当にしんどい瞬間
助けを求める事にハードルの高さ、抵抗感を感じる…というのは死活問題なのだと、そうなってから気づきました

それでも自覚できた。この事実のおかげで今は少しずつだけど外に声を出して助けを求める癖をつけ始める事ができるようになってきています。


「 【 人は人、自分は自分 】だということ。
わざわざ人と比べたりしない」

何が大切なのか
この言葉を受けとめて自分なりに考えてみました。

そもそもここまで考え込む前に自分の中にあったのは

「困ってる?何か手伝えることはありますか?」
だった

何か私が出来る事があるなら力になりたい
出来る範囲で。と自分で思ってるから無理な肩入れをすることもない

凄く格好良く言うなら
『今、この人を支え、往く道を照らすこと 』
『本人が気付いていない選択肢を指差して教える』

当たり障りなく対人関係を築き、その場その場で
のらりくらりとやり過ごしてきた

これって言い換えると、少なくとも相手から関係を断ち切られるような「拒絶」の対応をされずに今まで生きてこれた。
とも言える

なら私からは見えているけれど「あの人」は見落としてしまっている素敵な選択肢という落とし物に気付かせる。そんな存在を目指してみよう


『 大切な人の笑顔のそばで過ごせること 』
に強く価値を感じるから、これが満たせていれば十分幸せ。

当たり前だけど、私が幸せでいるための条件だから人と比べることなんてない

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