連載「こころ」とは何か ④ ―三木成夫『内臓とこころ』―
さて、幼児の指差しには、やがて「ワンワン」「ニャンニャン」などの呼称音が伴うとされています。「ことば」の、最初の姿です。
「あー」とか「ワンワン」とか声を発しながら、風景の中の一点を指差す。言葉を介してしか物事を捉えきれなくなった私たちにはよく理解できないのですが、ここに人間としての、初期の目ざめた「こころ」の存在が認められることは誰にも否定できないことだと思います。
また、ここには「こころ」の存在とともに、初期の指示思考、象徴思考、つまり考えることをする、「あたま」の働き、その萌しが出ています。
このころ、赤ん坊は立ち上がろうとします。「視界拡大の衝動」というクラーゲスの説を三木さんは紹介しています。簡単に言えば、遠くを眺めたいという衝動、「遠」に対する強烈なあこがれ、好奇心、これらが人類に直立をもたらしたものだとする考えです。もちろん赤ん坊にとっては、人類の長い歳月の間に本能と化した「立ち上がり」であり、二足歩行なのでしょう。
いずれにしても、これら「指差し」、「呼称音」、「立ち上がり」こそ、動物から人間への第一歩のサイン、「心の目ざめ」の決定的なサインなのだと三木さんは言います。
3 初期のことば
やがて、部屋の中や、まれには庭先をハイハイするだけだった幼児が、歩くことによって活動範囲を広げていきます。
一歳半をすぎた此のころ、「ナーニ」と頻繁に尋ねるようになります。まわりの世界がしだいにはっきりしてきて、すべてが新鮮で、興味深いものに映るのでしょう。
幼児たちにとっては、手にとって眺めたり、舐め廻した記憶のない、つまり初めて接するイメージのつかめないものが問題になります。このことは、幼児にとってはそのままにやり過ごすことのできない、切実な問題なのでしょう。
印象がない、実感が持てない、ことは、不安や混乱をもたらすのかもしれません。
三木さんは、このとき幼児が求めているのは、過去の印象や実感に代わるものを、「ことば」として求めているのだと言います。